◆ フォルクガング(1)
「どれだけ長引いても、週末には戻れると思うが――」
身支度はとっくに終わっている。まだ時間があるとはいえ、あまりギリギリに駆け込むわけにもいかない。さっきから馬車も待たせているのだが、
「ひとりで外を出歩くんじゃないぞ」
「はい」
「庭園を散歩するのは構わないが、暑さで倒れたり、転んで怪我したりしないようにな」
「わかりました」
どうしても心配の種が尽きず、シーヴァスは、見送りに出てきた天使に向かって、くどくどと注意事項を並べ立てていた。
例年、7月の第3週は、ヴォーラスの本家に戻らなければならない。
こちらとしては気疲れするだけ、できることなら欠席したいが主役抜きでは話にならない行事が、21日の前後2日を挟んで催されるためである。大部分はサボると後々面倒だという理由で――残りは義務感から、仕方なく足を運んでいるのは、フォルクガング家の時期当主であるシーヴァス自身の誕生パーティーであった。
赤の他人による世辞の嵐。要りもしない贈り物。いくら応対が億劫であろうが、そつなくもてなさねばならぬ政界の重鎮たち。誕生日くらい、気心の知れた相手とのんびり過ごしたいものだというのに、まったくもって煩わしいことである。
「風呂の湯が熱いと思ったときは、必ずそう言うこと。ひとりで厨房を扱うのも禁止だからな」
「しませんってば! もう……」
延々と続く小言まがいの台詞に、さすがに辟易したらしく、
「ジルベールさんたちもいてくださるんですから、私なら大丈夫です! あんまりお待たせしたら、ウェッジさん怒っちゃいますよ」
クレアは不本意そうに反駁すると、両手でもってシーヴァスの背を玄関の外に押し出した。
「あ、ああ。それから――エディークが訪ねてきても、屋敷には上げるなよ」
最後に後ひとつ釘を刺すと、天使はきょとんとして、
「なに言ってるんですか。お友達は、大切にしなくちゃダメですよ。シーヴァス」
まっこと頼りない答えを返してくれた。
(…………やはり、危なっかしい)
シーヴァスは、がっくりと頭を抱えた。
屋敷を留守にするにあたり、なにより気がかりなのが、この天使。いくら地上での生活に慣れようが、根本的な価値観がずれている彼女は、しばしば、こちらには予測もつかぬ突拍子ない行動に出ることがある。数日くらい問題ないだろうと思うものの、万が一、自分の不在中になにかあったなら。
(まあ、なにも一人で留守番させるわけではないしな……)
ジルベールに任せておけば、あらかたの事は問題ないだろう。ぐずぐずしていて到着が遅くなれば、祖父の機嫌が悪くなる。さっさと行って、お望みどおり社交辞令の数々を済ませ、とっとと帰らせてもらうのが得策だ。
「彼女を、頼む」
言い残して馬車へと向かうシーヴァスに、居合わせた使用人は頼もしくも肯いてくれたのだが。
「お任せください!」
……と答えたレジーナたち若手メイドの声が、妙にはしゃいでいたことにまでは、心配事で頭がいっぱいの勇者は気づかなかった。
×××××
シーヴァスを乗せた馬車は、がらがらと音をたて首都ヴォーラスに向けて出立した。
見送りを終えて、客室に戻り。
インフォスの歴史書と文学作品、どちらを読もうかと本棚を眺めていると、こんこんというノックの音が聞こえた。
「ど……どうされたんですか? みなさん」
扉を開けたクレアは、いったい何事かとたじろぐ。そろって押しかけてきたのは、ジルベール以外のメイド全員であった。
「あの、クレア様」
「実際のところ、どうなんですか?」
リーダー格であるレジーナを筆頭に、以下数名。さほど自分と年頃も変わらぬ少女たちは、こちらを取り囲むようにして詰め寄ってきた。
「は?」
放たれる異様な圧迫感に、クレアは当惑して後ずさる。どうと言われても、なにを訊かれているのかが分からない。
「シーヴァス様のことですよ! この際、しょ〜じきに答えてください?」
いつになく改まった顔つきで、ぐぐっと声をひそめ。まるで重大な秘密を打ち明けるかのように、チェルシーは言った。
「……ただの知り合いなんかじゃないんでしょう」
「え」
ぎくりとした。ただの知人じゃない、とは? まさか――天使だということを気取られて!?
(ううん、落ちついて! そんなはずないわ。悟られてしまうような失敗は、なにも)
しなかった、だろうか?
…………あまり自信がないような。
いやっ、万が一そうだとしても。頼りの勇者は不在なのだから、なんとか自力でごまかし通さなければ!
「だって、最近のシーヴァス様、ものっすごく真面目に執務こなしてらっしゃいますし?」
「あれだけお盛んだった夜遊びも、ほとんどしなくなっちゃって」
のんびり過ごす暇もなくなっていたのだろう。任務を依頼すれば、どうしても勇者の生活ペースを崩してしまう。
「冗談抜きに、エディーク様を警戒してたしね」
「なにより、他の女性とクレア様への接し方、あきらかに違いますもん!」
うんうんと頷きあう、ライラとタチアナ。
シーヴァスが、件の友人を邪険に扱う理由は、ちょっと判らないが。こちらに必要以上に気を遣ってくれるのは、非常識さを懸念してのことだろうから……。
(あああ、やっぱり何かの拍子に気づかれたの!?)
貼りつけた笑顔の裏で、だらだらと冷や汗をかいている天使には気づかず、メイドたちは口を揃えて訊ねた。
「恋人なんでしょう。恋人なんですよね!?」
動揺しきった思考回路に、質問の意味が浸透するには、たっぷり数十秒かかった。
「…………違いますよ」
クレアは、半ば拍子抜けながら答えた。どこをどうすれば、そんな話になるのだろうか?
「えぇーーーーーーっ!?」
とたんに四方で沸き起こる、不満の嵐。
いくら面詰されようと違うものは違うのだが。なぜか彼女たちは納得してくれず、さあ吐け! とばかりに追及を続け、
「まだ、納得したわけじゃないですからねっ!」
30分近くの押し問答の末、しぶしぶ引き下がっていった。
ぐったり疲れた。
クレアは、ふらふらとベッドに倒れ込んだ。彼女たちは、結局なにをしたかったんだろうと考えながら、ラスエルの面影に語りかける。
(…………兄様?)
私が未熟者だったばかりに、勇者の家にお世話になり初めて、そろそろ1ヶ月が経とうとしています。
地上界での生活というのは、次から次に理解不能なことが起きて、なんとなく思っていたより大変です……。
フォルクガング家のメイドさんたちは、使用人という枠の中から逸脱こそしないけれど、けっこう自由に振舞っていそうな感じがします。たとえば、滞在客と仲良くなったり、恋話してみたりとか。