◆ フォルクガング(2)
本家に到着したシーヴァスは、祖父への挨拶も後回しに、パーティー会場たる大広間をつかつかと早足で歩いていた。
誕生当日までは、あと二日もあるというのに、ホールは着飾った人々で溢れ返っている。ひとまず感謝すべきなのか、気分に従ってうんざりしていいものかは微妙なところだ。
(ええい、どこにいるんだ、あの馬鹿は!?)
内心の苛立ちは表に出さず、声をかけてくる者たちには条件反射で会釈を返す。貴族生活15年間で培われた、便利なんだか悲しいんだか微妙なサガ。
ほどなくして、探していた人物は見つかった。
ホールの柱裏、人々の死角に位置する場所に引っ込んで、案の定ご婦人を口説いていたようである。
「――失礼」
シーヴァスは、相手の女性にのみ遠慮しながら、二人の会話に割って入った。
「おあっ?」
捜索対象ことエディークが、あからさまに顔をしかめ、
「まあ、シーヴァス様!」
おぼろげな記憶が正しければ、どこぞの資産家の末娘だったはずの令嬢は、パッと瞳を輝かせた。
「おひさしぶりです。このたびは、お招きに預かりまして光栄に存じますわ」
「いいえ、とんでもない。私ごときの祝い事に、わざわざご足労いただき、感謝の言葉もございません」
見覚えのある顔だが、名前が思い出せないなんてことは億尾にも出さず、シーヴァスはさらりと挨拶を済ませる。
「ところで……この男、少々お借りしてよろしいですか?」
「はい、かまいませんわ」
令嬢は、かわいらしく微笑んだ。
「王立学院時代からのお友達と伺っていますもの。積もる話がおありなのでしょう? その代わり、あとで一曲お相手くださいね」
「ええ、ありがとうございます」
「は? ちょっと待て! おいこら、なにすんだッ」
エディークの抗議を完全無視して話はまとまり、シーヴァスは悪友の首ねっこを掴んで、すたすたと大広間を後にした。
「だあああ、放せっつーの! わざわざヒトが祝いに来てやったのに、貴重な美女とのトークタイムに横槍入れるんじゃねえ!!」
第三者の目を逃れ、庭園まで引きずり出したところで、エディークは憤慨しつつこちらの腕を振り払った。
「結局それが目的なんじゃないか――って、そんなことはどうでもいい!」
脱線しかけた話を本筋に戻し、
「いったい、どういうつもりだ。誰彼かまわずクレアのことを吹聴して回るとは!?」
「ああ?」
「こっちに着いたとたん、開口一番、そろいもそろって根掘り葉掘り。ぜひ紹介してくれだの、婚約発表はいつになるんだ、だの……曲解にも程がある! 彼女が本調子に戻るまで、あと一ヶ月はかかるというのに、あんな暇な連中に押しかけてこられては静養どころではないではないかっ!」
シーヴァスは、イライラと面詰する。
「ちょっと待て、落ち着け。クレアさんが噂になっちまってる原因は、俺じゃねえよ」
「とぼけるな! 貴様の他に誰がいるかっ」
「バートランド伯爵」
端的に、エディークは答えた。
てっきりコイツが犯人だとばかり思い込んでいたシーヴァスは、呆然として黙る。
(……冗談だろう?)
堅物で、そういう類の話には一切興味がなさそうな、あの伯爵が彼女のことをそんなふうに?
「俺が会場に着いたときにはもう、あのオッサンの周りに人垣が出来てたぜ。なんか褒めちぎってるみたいだったけど、珍しいこともあるもんだよな〜……まあ、クレアさんなら誰とでも上手くやってける気もするけど」
ヨーストの屋敷で顔を合わせたわけ? どういう会話してたんだ?
訊ねてくる悪友の言葉を、シーヴァスは半ば聞き流していた。盲点だったというか、なんというか――言われてみれば、彼女にちょっかいかけようと目論んでいるエディークが、わざわざクレアの存在を他人に知らせて回る理由はない。
伯爵とて、悪気があってのことではなかったのだろうが……なんにせよ、ここまで噂が広まってしまえば、すぐに収拾をつけるのは不可能だろう。
予想される祖父の嫌味と、ヨーストの屋敷に戻ってからの騒動を考えると、ますます頭が痛くなった。
×××××
「まったく……屋敷の主が、こんなときに何処をほっつき歩いているんだか」
令嬢とのひとときをジャマされたうえ、濡れ衣を着せられかけたエディークの呪いというわけでもあるまいが。
あれから数時間後。シーヴァスは疲労困憊でベランダの柵に寄りかかり、ひたすらぶつぶつと、祖父に対する恨み言をつぶやく羽目に陥っていた。
新しい恋人だ、いや婚約者だと、クレアについて憶測が飛び交っているのは――これは、もはや対処のしようがない。
バートランド伯爵に話を聞いたところ、彼は、ただ単に愛娘がクレアに助けられた経緯を少々熱っぽく語っただけで、こんな騒ぎにする意図はなかったらしい。このテの話題に飢えていた暇な連中が、好き勝手に脚色して広めているなら、下手に否定すると逆効果だ。よけいに勘繰られてしまう。
根も葉もない噂は、放っておくのが吉だ。誰がヨーストの自宅を訪ねてきても適当な理由をつけ、クレアと引き合わせなければいい。彼女が本調子に戻るまで、約一ヶ月。それくらいの間なら、なんとか切り抜けられるだろう。
祖父からは、跡取りとしての自覚がどうこうと嫌味を言われそうだが……それも今に始まったことではない。いつものように聞き流していれば済むことだ。
それよりも今は、フォルクガングの現当主である祖父が留守にしているせいで、百人単位の客人の相手を、すべて自分ひとりでこなさなければならない状況が億劫だった。執事が言うには、シーヴァスとほぼ入れ違いに「明日には帰る」 といって出掛けたらしい。なんの用があるのか知らないが、仮にも主催者なのだから、さっさと戻ってもらいたいものだ。
(ご婦人方だけならともかく……華も潤いもない老人たちの接待など、なんの楽しみもないではないか)
ヨーストの別邸と異なり、ヴォーラスの本家では、どこにいても何をしていても気詰まりがする。
曲がりなりにも数年を暮らした “実家” だが――愚痴をこぼせるほど気心の知れた使用人や、懐かしむような記憶も思い入れも、ここには何ひとつ無いのだ。
子供の頃、途方もなくだだっ広く見えた、この場所は。こうして成長してみると、ただ無機質に映る。
「シーヴァス」
不意に、馴染んだ声に名を呼ばれ、
「レイヴ?」
顔を上げると、幼なじみの騎士団長が普段どおりの仏頂面で立っていた。夏だというのに、よくもまあ暑苦しい鎧姿で平気なものだ。
「おまえも、つくづく律儀なやつだな……招待状は無視してかまわないと、毎回言っているだろう。仕事はどうしたんだ」
「毎年のことだろう。きちんと段取りを組んでいれば、このくらいの時間は作れる」
ヴィンセルラス家の催事はともかく、こちらの本家など、訪れたとて娯楽にもならないことは重々承知しているだろうに。これまで欠席したことがないのは、やはりこの男の性分なのだろう。生真面目というか、なんというか。
「それより――クレアが怪我をしたというのは、本当か?」
「ティセナたちから、聞いていなかったのか? もう一ヶ月前のことだぞ」
唐突な問いを、シーヴァスは訝しんだ。
「ケルピーとかいう魔族の話なら、とっくの昔に聞いている。おまえの迂闊さ加減もな」
レイヴは、無遠慮に言ってのけた。それはそうだろう。協力を頼んだクレア本人が、しばらく動けなくなるのだから、勇者であるレイヴたちに報せがいっていないはずがない。
「そうではなく、最近なにかあったのかということだ」
「? どういう意味だ」
「……いや。数日は任務を受けられないと伝えておこうと思ったら、ティセナたちではなく初めて見る妖精が現れてな」
「珍しいこともあるものだな。どんな?」
これまで、どんなに事件発生が重なったときでも、ローザとシェリー以外の妖精が訪れたことはなかった。いくら人手不足とはいえ、肝心要の守護天使が負傷した以上、天界も臨時措置を取らざるを得なかったのか。
「……ぬいぐるみのようだった」
「は?」
シーヴァスは、返答の不可解さに首をひねった。
「いや、とにかくその妖精が……クレアが怪我をして、全員が出払っているから、自分が助っ人で呼ばれてきたのだと言ってな」
レイヴは気にするなというように、話を先に進めた。
「それはいつのことだと訊いても、インフォスと天界では時流が異なるから、よく判らない、と」
「まあ、やはり天界と地上では勝手が違うようだからな――最初のうちは、こちらも何度か冷や汗をかいたが、この頃はすっかり落ち着いている。おそらく、ケルピーの件を指してのことだと思うが」
ジルベールたちが傍にいるのだ。たった一日そこらで、なにかトラブルが起きたとは考えにくい。
「そうか。それならいい」
レイヴは、よくよく見なければ判らない程度ながら、安堵の色を浮かべた。
「………………」
だが、心配ないだろうと思ってはいても、やはり残してきたクレアのことは気にかかる。早く面倒なパーティーを終わらせて、ヨーストに戻りたい。シーヴァスは、心底そう思った。
シーヴァスのおじいさん。公式に名前が無いのは不便ですねー。