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◆ 天からの見舞い客(2)


 来客を迎え、ひとまず応接室に移り、メイドたちが退室してから。
「でも、どうしたの? 突然。仕事はいいの?」
「うん、サボリ」
 事も無げな回答に、クレアが絶句するのを見て、
「……なーんてね。見舞いに決まってんでしょ。友人代表ってことでね、ラツィエル様が行っておいで〜って」
 彼女の幼なじみだという天使は、からからと陽気に笑った。
 頬にかかる亜麻色の髪、柘榴を思わせる瞳。愛嬌のある顔立ちと、ざっくらばんな物腰には好感が持てるが、気高さとは無縁の軽いノリで、天界の住人だと告げられても実感が湧かない。実体化して、翼が見えない状態では尚更だ。
 なんにせよ、 “天使” という種族への先入観は、そろそろ捨てた方が良さそうである。
「しっかし、暑いわね! こっちは」
 ラヴィエルは窓際に立ち、片手でぱたぱたと自分を煽ぎながら、ぼやいた。
「扉抜けて、街の近くまでは飛んできたんだけどさ。なんかもう、焼け焦げてる感じ? あんた水属性のくせに、よく平気ねぇ」
「だって、夏だもの。少しは慣れなくちゃ、仕事にならないわ」
 クレアは、笑いながら肩をすくめた。
 先日、湯あたりで倒れたことは、彼女の名誉のためにも伏せておくべきだろうか。
「それに、この地域はまだ涼しいのよ。南の方、行ってみなさいよ。砂漠っていう地形があって、もう死ぬほど暑いんだから」
「うえーっ、噂の天然オーブンでしょ? 遠慮しとくわ」
 おおげさに嫌がる相手を眺めやり、苦笑を浮かべていたクレアだが、
「……っていうか、地上界に四季があることくらい、知ってるんでしょ? どうして、わざわざそんな厚着で来たの?」
 ふと、訝しげに首をひねった。長衣の裾をつまみながら、ラヴィエルが答える。
「ん。ティセちゃんが、地上に行くならローブ着ていけ、ってさ。なんか、いつものアタシの格好だと、悪目立ちしかねないんだって?」
「う〜ん……? そうね。確かに、あんまり見かけないかな」
「まぁ、ここなら別にいいよね、脱いでて。あんたと、勇者の人しかいないんだし、暑いしさ」
 言うなり、ラヴィエルは無造作に衣服を脱ぎ捨てた。
「!?」
 さすがに絶句させられた。
 ローブを取り去ってしまうと、もはや胸と腰が淡紅色の薄絹で覆われているだけで、腕も腹部も太腿まで剥き出しである。
「あー、暑苦しかった。やっぱこういう、ひらひらした服はアタシの趣味じゃないわぁ」
 神聖なる天の御遣いは、歓楽街の女たちの遥かに上をいく、あられもない格好で、
「あ。そうそう、クレア。あんたもちょっと脱いで、それ」
 涼しい顔をして、とんでもないことを言い放った。友人の非常識な言動を、当然、クレアは諌めるものとばかり思ったのだが、
「え?」
 彼女の反応は鈍かった。全裸に近いラヴィエルの格好を、意に介した様子もない。
「これ。レミエル様から預かりモン。塗り薬だってさ」
 手荷物から取り出されたのは、ラベルが貼られた半透明の小瓶だった。中身は、乳白色をしたクリームのようである。
「ティセちゃんが治療したなら大丈夫だろうけど、相手が中位魔族ともなると二次汚染が心配だから、念のため、って」
「えええ? この服、着るの大変だったのに……」
 クレアは抗議の声を上げたが、それは、期待した台詞とは見事なまでにかけ離れていた。
「なによ、ただのホールターネックじゃん。あとでアタシが結んでやるわよ」
 あっさり受け流したラヴィエルは 「相変わらず、こういうのは苦手なのねー」 などと評しながら、クレアのドレスの首紐をほどきにかかった。
「お、おい。クレア……!」
 まさか二人して、この場に男勇者がいることを失念しているのかと、慌てて呼びかけたが、
「はい?」
「どうかした?」
 天使たちは、きょとんとした視線を返すだけだった。からかっている、というわけでもなさそうである。
(…………まさか……)
 あまり考えたくはないが、おそらく事実であろう仮説に、ようやく思い至る。
 天界には、恋愛や結婚の風習はないと聞いた。ならば “男女” の概念も、人間とは異なるだろう。つまり彼女たちにとっては、ここにシーヴァスがいようが誰がいまいが瑣末事――そういうことか?
「あー、そうか。そっちの勇者さんもケルピーにやられたんだっけか。見たとこ大丈夫そうだけど……使う?」
 ラヴィエルは、まったく無用な気遣いをくれた。
「いや――」
 そんなことより、その格好をどうにかしてくれと願いたい。場所と相手が異なれば、別に騒ぐほどのことでもないが、ここは自宅で、しかも彼女たちは客人だ。そろそろメイドが、紅茶と菓子を運んでくるはずである。こんな場面を目撃されたら、誤解も防ぎようがない。間違いなく尾ヒレ付きで噂話のネタにされるだろう。
「わ、私は席を外した方がいいだろうな。用があれば、そこの呼び鈴を鳴らしてくれ!」
「へっ? あ、ちょっとっ!」
 返事を待たず廊下に走り出て、勢いに任せて扉を閉める。ドッと押し寄せた精神的な疲労に耐え切れず、シーヴァスは手近な壁に寄りかかり、ずるずるとその場にへたり込んだ。

「…………無口なのは、レイヴって勇者じゃなかったっけ? アタシの覚え違い?」
「ううん、いつもは――」
「ああ、そうそう。勇者といえば、ナーサディア? なんか、あんたが立て替えてた宿屋の弁償費ってヤツ、ティセちゃんから預かってきたよ」
「あ〜……ティセ、呆れてた?」
「うんうん、呆れまくってた」

 壁越しに、微かに天使の話し声が聞こえる。人の気苦労も知らず、まあいっか、という結論に達した彼女たちは、すぐにシーヴァスとは無関係な話題で盛り上がり始めた。
「……やはり、天使の感性は解らん」
 嘆いたところで、同意してくれそうな人物は、ここにはいない。
 出来ることなら文句のひとつも言ってやりたいが、この類の話で、天使と根本的な意思疎通を図ることが、どれだけ困難な命題かは、とっくの昔に思い知らされている。
(しかし、とりあえず――ティセナには感謝しないとな)
 どうやらラヴィエルには、あの格好が普段着らしい。訪ねて来た時点では、ローブを着ていてくれたことだけが、唯一の救いであった。

×××××


案外いいトコじゃない。地上界って」
 窓辺に掛けて外を眺めながら、ラヴィエルは眩しそうに目を細めた。
「まあ、清浄さには欠けるけど。鮮やかで、活気があって――アタシは好きだな」
「私も……時の淀みが晴れたら、もっと綺麗なんだろうなって、思うよ」
 空の蒼。海の碧。草木の翠緑。真夏の太陽と、真紅の花々。広がる景色は、まるで虹を蒔いたように華やぎ、生命力に溢れているけれど。
「それで、突き止められそうなの? 異変の原因って」
「……ううん、わからない。手掛かりすら掴めてないの」

 そこに生きる誰にも悟られぬほど少しずつ、それでも確実に、世界の色は褪せていっている。流れを堰き止められた大河が、まず上流から乾いていくように。
 その理由は不明のまま、探る術さえ定かではなく。これまでのことを思い起こしてみても、最善と判断して進んできた方向は、まるで濃い霧の中を歩いているように不確かで、心もとない。
 間違っても、協力してくれている勇者たちの前で、こんな不安を漏らすわけにはいかないが――自分たちは少しは、真相に近づいているのだろうか?

「そっかぁ」
 ラヴィエルは頬杖をつき、難しい顔になって言う。
「まあ、そんなトントン拍子に解決するような事なら、守護天使派遣なんて決議は出ないか……長期戦になりそうね」
「ええ、簡単にはいかないだろうけど――やり遂げてみせるわ、必ず」
「お兄さんが護った世界、だしね」
「……うん」
 どちらからともなく視線を交わし、苦笑する。懐かしさと寂しさを帯びた感慨は、おそらくラヴィエルも感じているだろう。養母と折り合いの悪かった彼女にとっても、ラスエルは、保護者のような存在だったのだから。
「けど、あんたさぁ。任務で忙しいのは分かるけど、たまには、こっちにも顔出しなさいよね。病院の子供たち、寂しがってたわよ」
 ラヴィエルは、突然がらりと口調を変え、クレアの後頭部をはたいた。
「私だって、たまには帰りたいわよっ」
 久しぶりの休暇だから、病院に寄ってレミエル様にも挨拶して、学院の研究室に借りていた本を返しに行って、それから家の大掃除をして――と、ここ数日考えていた予定は、見事に崩れ去ってしまっていた。体調がどうこういう以前に、扉を潜れなくてはどうしようもない。
「そうしたいのは、やまやまなんだけど、予定の調整が難しいの!」

 あの頃は、こんな形でインフォスと関わることになるとは思ってもみなかったが――同じ立場に置かれてみて、ようやく当時の兄の苦労が理解できた気がする。
 ただでさえ多忙な任務だというのに、たまに里帰りすれば自分たちに纏わりつかれ、それでも嫌な顔ひとつせず相手をしてくれた。兄の不在に拗ねつつも、時々お土産に持ち帰ってくれる地上界のお菓子を、ラヴィエルと一緒に楽しみにしていた――

「――ねぇ、ラヴィ。あなた、どのくらいの時間、こっちにいられる?」
 昔のことを回想していたら、ふと思いついたことがあった。
「え? いや、そんなに長居は出来ないんだよね。納期間近のアンクレットもあるし、日が暮れる前には帰るつもりだけど……」
 彼女は、駆け出しの装身具技師だ。卒業してから、ずっとフロー宮の工房で働いている。雑用ばかりじゃ腕を磨けないと、時折ぼやきながらも仕事は楽しいらしい。
「あのね、今からケーキ焼こうと思うの。病院のみんなや、アリスちゃんたちに届けてくれない?」
「あ。いいね、それ! 当然、アタシのぶんも作ってくれるのよね?」
「もちろんよ」
 しかし――天界と地上の知り合い全員に届けるには、いくつ作れば足りるだろうか?
「やりぃ! ご無沙汰だったからねぇ、あんたのお手製ケーキ。いい土産が出来るわ♪」
「じゃあ、決まりね」
 クレアは、飛び跳ねて喜んでいるラヴィエルの肩を、ぽんと叩いた。
「……ってことで、手伝いよろしく」
「え゛っ?」
 彼女は、その場で固まった。
「まさか病み上がりで、水属性の私ひとりを、台所に立たせる気じゃあないでしょうね?」
「あー、まー、うん。手伝うよ! ……粉混ぜるくらいなら」
 明後日の方角に視線を泳がせ、あはあはあはと空笑いしているラヴィエルは、なんとも頼りない。
「……小麦粉って言ってよ」
 それでなくても、作りたい個数を考えると、二人だけでは夜までかかってしまうだろう。
「とにかく、キッチンに行きましょ。ラヴィ、ローブ着ておいてね」
 まず材料が揃うかを確かめなくては始まらない。クレアは、世話役のメイドたちに、いくつか頼み事をするべく呼び鈴を鳴らした。




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ガブリエル様やレミエル様の衣装はともかく、ラツィエル様……あの格好で、地上をうろうろしていたら、浮くよなぁ、と。妖精たちの格好もね……リリィとか。なにげにお色気路線ですよね。豹柄だし。