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◆ 庭園迷路(1)


 天使ラヴィエルが訪れた、その翌日。

「クレアが……いなくなった?」

 昨日の騒々しさが嘘のように、静かに一日が過ぎてゆく――と思われたのだが、そろそろ陽も暮れようかという時刻になって、
「はい。夕食の準備が整ったので、ご案内しようとしたら……館内のどこにもいらっしゃらなくて」
「門番は、外出されてはいないはずだと申しているんですけれど」
「手分けして庭園の方も探してみましたが、お姿が見当たらないんです」
 メイドたちが連れ立って、シーヴァスの部屋に押しかけてきた。そわそわと落ち着かないチェルシーが、不安そうな面持ちで訊ねる。
「なにか、お聞きになられていませんか? シーヴァス様」
「……いや。私は、なにも聞かされていないな」
 そういえば今日は、昼食を共にした後から天使を見かけていない。メイドたちが見つけられないというなら、おそらく目につく場所にはいないのだろう。
(なにか急な事件でも起きて、呼び出されたか?)
 そんな考えが脳裏を過ぎったが、魔法を使えず飛ぶことすら出来ない、二ヶ月は静養する必要があるというクレアを、わざわざティセナたちが連れ出すとは思えない。個人的な用で外出するにしても、彼女の性格からして挨拶くらいはして行くはずだ。
「あああ、やっぱり、またどこかで倒れられているんじゃ……」
 チェルシーとタチアナが、おろおろと互いに顔を見合わせる。どうも可能性としては、そちらの方が高そうだった。
「最後に、彼女と会ったのは誰なんだ?」
「午後二時頃、庭師のジョセフが、中庭の花壇のところですれ違ったようです。特に変わった様子はなかった、とのことでしたが」
 レジーナの口調は理知的だが、やはり心配そうに顔を曇らせていた。
「それ以外は、誰に訊いても午後からは見かけていない、と――」
「中庭か……」
 炎天下の屋外で読書でもしていて、また暑さのあまり倒れたのかもしれない。
 このように地上界で過ごすのは初めてだろうから、仕方がないのかもしれないが、どうも彼女は加減を知らないところがある。
「……そうだな。私が探してみよう。君たちは持ち場に戻って、自分の仕事をしていたまえ」
 居場所に心当たりはないが、近づけば “気配” で分かるかもしれない。また、なんらかの事情で天界関係者と一緒にいるなら、部外者を連れて行くとやや面倒なことになる。
 手伝いたがるメイドたちを下がらせ、ひとまずシーヴァスは、中庭に向かうことにした。

×××××


「クレア様は、この正門をお通りになってはいません」
 門番たちは口を揃えて、主張した。
 途中で交代をはさみはしたものの、常に二人が門の左右に立っていたのだから、彼女が通れば気づかないはずがない、という。
 屋敷の反対側には裏門もあるが、普段は施錠されており、その鍵は執事のグレンが保管している――となれば、やはりクレアは敷地内のどこかにいるのだろう。

「ジョセフ!」
 花壇の一角に、草を毟っている作業着姿の人影を見つけ、呼びかける。
「……坊ちゃん?」
 耳が遠くなりつつある初老の庭師は、ゆっくりと振り向いた。もう子供ではないのだから止めてくれと、いくら言っても、同年代の古株であるジルベール同様、この呼び方は治らないようだ。
「どうしました。こんなところまで」
「おまえは、昼を過ぎてから、クレアに会ったそうだな」
「クレアさんですかい? 会ったというか、五分ばかり花の話をしただけですが――」
 ジョセフは、首にかけたタオルで汗を拭い、見事に日焼けした骨ばった首をひねった。ズボンの裾から、乾いた泥がばらばらと落ちる。
「さっき、メイドたちも同じことを訊きにきとりましたが、館にはおられんのですか?」
「ああ。外出した様子もないから、庭園で本でも読んでいたんじゃないかと思うんだが」
「確かに……あのとき、本は持っておられましたよ」
 眉間をシワだらけにして、ジョセフは肯いた。
 この庭師は、なにかを訊かれると――おそらく、記憶を掘り起こそうとするときの癖なのだろうが、苦虫を噛み潰したような顔をする。それでなくても職人気質の頑固者で、愛想の欠片もない。シーヴァスのように慣れている者はいいが、初対面の相手――とくに若い女性は、それを不機嫌と誤解して怯えてしまいがちなのだが。さすがと言うべきか、クレアは頓着していないようだった。
「しかしワシは、今日は一日中、樹木の手入れをして回っておりましたからなぁ。庭で過ごされていたんなら、どこかで見かけとるはずですが」
「それはそうだが……行き違いということもあり得るだろう?」
「……そうですな」
 庭師は、また顔をしかめた。
「この時間まで戻られないとなると、探した方が良さそうですな。今日は殊のほか暑うございましたし、熱中症など起こされとらんといいんですが――」
「ねっちゅうしょう?」
 訝しげに訊き返すシーヴァスに、
「庭師仲間が、みんな恐れとる奇病ですよ」
 ジョセフは簡単に説明して、
「真夏に外で作業をしておると、暑さにやられて、ばったり倒れちまうことがあるんです。汗のかきすぎが原因らしいんですがね。だから、この季節は水が手放せんのですわ」
 煉瓦の上に置いてある水筒を示してみせた。
「…………」
 シーヴァスは、自分の血の気が引いていくのを感じた。ただでさえ暑さに弱く、湯あたりを起こしたこともある天使だ。それで倒れている可能性は充分考えられる。
「中庭は、さっきまで見回っておりましたからな。裏の林を見てきましょう」
「ああ、頼む。私は中庭と、厩舎のほうを確認してくる」



 慎重に左右を確かめながら、庭園を抜けて厩に着いたが、クレアの姿はなく “気配” を感じることもなかった。こうなると、無駄に広い屋敷の造りが恨めしく思えてくる。


「この場合は、役に立たんのだろうな――」
 手元の青い石を眺めていると、思わず溜息がこぼれた。これで呼びかけても、訪れるのはティセナか妖精で、また面詰されることになるのだろう。こちらの所在を知らせる物ではなく、いっそ天使の居場所を突き止める道具こそ、勇者には必要なんじゃないのか?
「しかし、ここにもいないとなると……」
 厩舎に、馬はフリートを含め七頭いる。うち鹿毛の四頭は馬車用で、二頭はまだ仔馬だ。
 出歩けるようになってから、しばしば天使は、この場所で馬と戯れていたのだが。
「なあ、クレアを見なかったか?」
 動物相手に話しかけるとは、彼女の言動に感化されつつあるな――頭の隅で、そんなことを思いながら問い掛けると、馬たちは一斉に首を庭園の方へ向け、嘶いた。
「……どこにいるのか、知っているのか?」
 半信半疑で重ねて問うと、フリートはしきりに蹄で地を蹴り、綱を外してくれという動作をする。
(そういえば……人間よりも動物の方が、天使や妖精の気配には敏感だと、いつだったかシェリーが言っていたな……)
 どうせこちらは手詰まりだ。ならば駄目で元々と、綱を解いて自由にしてやると、フリートは真っ直ぐ庭園に向かって歩きだした。
 迷いのない足取りに、正直、期待したのだが。

「…………」

 フリートは時計塔の手前で足を止めると、ぐるりと首を巡らし――尾をばさつかせながら、もそもそと食事を始めた。その一帯には、奴の好物のクローバーが生えていた。
「あのなぁ……」
 頭を抱えたくなったが、馬に文句をつけても仕方がない。
「……いったい、どこにいるんだ、クレア!!」
 焦りと苛立ちに任せて怒鳴ると、
「はっ、はい! すみません、なにかご用ですかっ? 院長先生――」
 背後でガタッと鈍い音が響き、立て続けに、うわずった天使の悲鳴が聞こえた。
「!?」
 ぎょっとして振り返るが、そこにはただ、直径五メートルはあろうかという煉瓦造りの時計塔が聳えているだけだ。
「…………? なんだぁ、夢か……」
 寝ぼけたような呟きが、かすかに耳に届き――再び、辺りに静寂が戻った。わさわさと、フリートが草を食む音だけが聴こえる。
「………………」
 声は、塔の反対側から聞こえた気がしたのだが。そちらに回ってもクレアの姿はなく、念のためにと螺旋階段を上り、展望台を調べてみても誰もいない。だいたい、ここは厩に向かう途中で通ったのだから、彼女がいれば気づいたはずだ。
「…………??」
 声はすれど、姿は見えない。天使の姿に戻っているのだろうか? 実体化を解けるようになるにも、二ヶ月はかかるのではなかったか?
「……どうなっているんだ」
 ほとんど休みなしに屋敷中を駆けずり回ったので、さすがに息が切れた。訳が分からぬまま螺旋階段を降り、勢いよく塔の壁にもたれる――と。

「――うわ!?」

 いきなり壁が抜けた。体勢を立て直す間もなく、見慣れた景色が反転した。




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レジーナはしっかり者。チェルシーはおっちょこちょい。ライラはミーハー。タチアナは素直で単純、という性格づけがなんとなく定着しつつあります。シーヴァスが主役級なだけに、なにげに出番が多くなりそうですね〜。彼女たちは。