NEXT  TOP

◆ 悪友、来たりて(2)


「……ところで、クレアさん。こいつとは、どういう経緯で知り合ったわけ?」
 興味津々、エディークは訊いた。
「こう言っちゃなんだけど、貴族階級の人間じゃないだろ? 君みたいな子が社交界にいれば、気がつかないはずないからさ」
 この男は、自分好みの美女の顔は、すれ違っただけでも忘れない。呆れた基準だが、指摘は的を射ている。
「え? ええ、なんというか――仕事を、手伝っていただいてるんです」
「仕事って、医者の?」
「…… “教会” から派遣されて来ているんだ、彼女は」
 シーヴァスは、部外者に対する説明として、定着しつつある台詞を繰り返した。
「慈善活動を施しながら、世界各地を旅している。ただ、彼女の専門は医療だからな――夜盗や魔物が事件を起こしていると判れば、我々が出向いていって解決する。そういうことだ」
「あー、じゃあ、おまえが闇馬車だのバルバロッサだの、悪党とっ捕まえて役所に突き出したのは、それでか!」
 明らかに、おまえが殊勝な正義感でそんなことする訳がないしな、という揶揄を含む口調である。
「まあな」
 げんなりと肯くと、
「……待てよ。じゃあ、いつだったか……レイヴが英霊祭の時期に連れ歩いてた女って――」
 エディークが思いついたように言い、天使は、嬉しそうに両手を打ち合わせた。
「あら、レイヴともお知り合いなんですか? エディさん」
 この “エディさん” という呼び方も、なんとなくシーヴァスは気に食わないでいた。

『エディークさん、じゃ呼びにくいでしょう。エディでいいですよ』
『そうですか? じゃあ、そうさせていただきますね』
 ……とまあ、どこかで前にもあったような会話の産物だが、その響きが妙に親しげに聞こえて、癇に障る。

「なるほど、夜会に出なくなるわけだ――フェリスと別れたときには、こっちの仕事で手一杯だったってわけね」
 得心がいったらしく、ふんふん頷いているエディークの台詞に、クレアが 「え?」 と首をかしげた。
「あー、そういや聞いたか? 彼女、来月結婚するんだってよ」
「そうなのか? 新しい恋人が出来たという噂なら聞いていたが……」
 これという感慨も湧かずにいるシーヴァスを、十年来の悪友は、意地悪くからかう。
「なんだ、招待状は来てないのか?」
「来るわけがないだろう」
 あてつけに昔の恋人を呼ぶ。そういう性格の人間も、それなりの割合でいるだろうが――後腐れのない関係を好むシーヴァスにとって、泥沼が予想される粘着質の女性は、今も昔も恋愛対象外であった。フェリスもまた、別れた相手とは顔を合わせたくないが、偶然すれ違えば、そつのない挨拶を交わして通り過ぎるタイプである。
 名家同士の儀礼で呼ばれるにしろ、招待状は本家宛てに届くことだろう。
「あ、あの」
 フェリスなら賢妻になるだろうな、と苦笑していると、天使がおずおず口を挟んできた。
「別れた、って……いつ……結婚、違う人とするんですか? フェリスさん……」
「?」
 なぜ、彼女がフェリスの名前を知っているのかと、少し疑問に思ったが、
(……ああ、そうか)
 フェリスに振られ、ティセナと舌戦を繰り広げた、あの晩――確か、クレアも現場に居合わせたのだった。そういえば、ケルピー相手に、
『彼には、れっきとした人間の恋人がいるんですっ』
 とかなんとか啖呵を切ってもいた。考えてみれば彼女らしからぬ台詞回しだが、方便ではなく、本当にそう思い込んでいたらしい。ティセナと違い、中途半端なところまでしか見ていなかったのだから無理もないが。
「へ? だから来月、財界大物の次男坊と……」
 やや訝しげに、
「おまえと別れたのは、去年の英霊祭の後だっけ?」
 こちらを窺うように一瞥して、エディークが答えるや否や、
「クレア? どうした――」
「シーヴァスっ!」
 みるみる蒼白になった天使は、椅子を蹴たてて立ち上がった。
「フェリスさんの家って、どこにあるんですか!? 私、行って謝ってきます!」
「な? なにを」
 詰め寄る彼女に気圧されながら、やっとのことで訊き返すと、
「だって、去年の英霊祭の後って……タンブール行きをお願いしたからなんでしょう? 恋人が半年近く音信不通じゃ、フェリスさん、怒って当たり前ですよ! 私、そんなことにも気が回らないで」
 勝手に自己完結して、まくしたて、
「シーヴァスは悪くないんだって、セアラのこととか全部、説明してきますから!」
 方向音痴のくせしてどこへ行くつもりか、ばたばたと正門に向かって走り出してしまった。
「…………」
 呆然と取り残されていた男二人だが、
「――って、ちょっと待て!」
 クレアが時折、その場の勢いで始める行動に、いくぶん免疫が出来ていたシーヴァスは数秒で我に返り、
「おい、落ち着け、クレア!」
 なんとか彼女が庭園を飛び出す前に追いつき、腕を捕らえて引き止めた。
「落ち着いている場合ですかっ!?」
「いいから、聞け!」
 両肩を掴んで叱りつけ、やや強引に、こちらを向かせる。ほとんど怒鳴るような勢いのシーヴァスに面食らったらしく、
「…………」
 びくりと身をすくませた彼女は、とりあえずは黙った。
「フェリスと別れたのは事実だが、それは英霊祭当日のことで、タンブール行きとは関係ない。今までに受けた他の任務とも、一切な――君たちと出会っていなくても、いずれ別れていたはずだ」
 別に強がりでもなんでもなく、それがシーヴァスの認識だった。
「なっ……?」
 しかしクレアは、まるでそれが我が事であるかのように、ムキになって食い下がる。
「人と別れる運命なんて、ありません!」
「……そうじゃない」
 天使の剣幕に、言葉に虚を突かれながら。
 シーヴァスは場違いにも、笑いたくなるのを堪えていた。それは失笑の類ではなく――懐かしいような微笑ましいような、なんともいえない温かい感覚だった。
「私は、フェリスの期待に応えられない。彼女は、それに納得できなかったから、見切りをつけて別の男を選んだ。それだけのことだ」
 どうということはない、事実。
「だから、君がそんな顔をするな。振られたのは私なんだぞ?」
 そっと銀色の髪を撫で、苦笑してみせると、
「…………」
 天使は、視線を泳がせうつむいた。きつく下唇を噛んでいる、その思考がなんとなしに読み取れ、
「依頼を止めようとか考えても、意味はないからな」
「え……」
「言っただろう? 君が協力を頼まなくても、私は勝手に首を突っ込むと」
 シーヴァスは先回りして言った。
「…………」
 困惑もあらわに顔を上げたクレアは、ほとんど泣きだしそうな顔をしていた。

×××××


 クレアを宥め、客室に連れ戻した後で。
「……巫女さん、か。道理で世間擦れしてないわけだ」
 てれてれと廊下を歩きながら、エディークが呟いた。おもしろがっているようであり、感心したような口振りでもある。
「少し違うが――とにかく彼女は、神に仕える身なんだ。手を出すなよ」
 釘を刺しつつ、シーヴァスは溜息をついた。
「それでなくても、ティセナが怖いからな」
「? 誰だ、それ」
 改めて問われると、どう答えたものだろう?
 普通に考えれば 『上司と部下』 という間柄なのだろうが、その表現は、あの天使たちには不釣合いなように思える。
「同じ教会関係者で――クレアの、妹のようなものだ」
 少し考え、比較的しっくりくる表現を見つけ出したところ、悪友はまた俗な反応を示した。
「へー、その子も美人?」
「可愛いことは確かだな。まだ、子供だが」
 ついでに愛想の欠片もないが、と。シーヴァスは心の中で付け加えた。
「ふーん。そりゃ将来が楽しみだな♪」
「おまえな……私の話を聞いていたか? ちょっかい出すなと言っただろう」
「恋愛は個人の自由、ってね。クレアさんにならともかく、おまえにどうこう言われる筋合いはない」
 睨まれても、エディークは、どこ吹く風といった態度である。
「あー、なら勝手にしろ。貴様ごとき、彼女に相手にされるはずがないからな」
 純粋培養の天使様に向かって、得意の口説き文句を披露したところで、会話は永遠に噛み合わぬままだろう。だが、
「なんだよ。そりゃ、おまえの方だろ?」
 クレアの正体を知らない第三者が、このように解釈するのも無理からぬことであって、
「いや〜、シーヴァス・フォルクガングがフリーになったと聞いて、喜ぶどころか怒る美女に、お目にかかれる日が来るとは思わなかったな。あのときのおまえの間抜けヅラ、おかしすぎて腹がよじれるね!」
 エディークは、げらげらと笑い転げている。
「だから、どんな男だろうが “対象外” なんだ――彼女はな」
 なにしろ天使様だからな、と反論できない状況は、ややストレスを感じるものではあったが、
「バーカ、そういう子に惚れられるのが嬉しいんじゃねーか、男としては」
 余裕かましている悪友が、あえなく玉砕する場面を想像すると、なにか優越感に近いものも覚えた。

(せいぜい、無様に振られるがいいさ)

 どうアプローチしたところで肩すかしを食らうに違いなし、ましてや住む世界が違うのだ。体調が回復して任務に復帰すれば、クレアがこの男と顔を合わせることは二度とないだろう。
「だいたい、クレアさんが神に一生を捧げて終わるなんて、世の損失だと思うね、俺は! あーあ、あんな美人とお近づきになれるんだったら、俺も剣術、続けとけばよかったぜ――」
(……一生ほざいてろ)
 無言で毒づくシーヴァスの横で、お調子者の悪友は、なおもペラペラとしゃべり続ける。
「養成機関もさぁ、むさ苦しい退役軍人のオヤジばっかりじゃなくて、ああいうキレイなオネーサンを教官に置くべきだよな。いや教官じゃなくてもさ、美人に見られてると思うと気合が入るし、褒められると励みになるし、命令されたって嬉しいだろ? 脱落者が多いのは、結局のところ華がないからだと思うわけよ」

 エディーク・アシュフォード。23歳――かつて、
『女人禁制の生活を、何年も続けるなんて俺には無理!』
 という、素晴らしく己の欲望に忠実な理由で、ヘブロン騎士の称号を諦めた男であった。



NEXT  TOP

『夜会』 延長戦? 実際、任務に引きずり回されるようになったら、不特定多数の女の子と付き合ってなんかいられないでしょう。