◆ 騎士の条件
「いや〜、せっかく出会えたのに、これでお別れってのは寂しすぎるな」
正門まで見送りに出てきた天使の手を握り、エディークは、ぺらぺらと上機嫌で喋っていた。
「今度、デートしようね、クレアさん♪」
「……デート、ですか?」
昨日は鬱々と沈み込んでいたクレアだが、一晩たって落ち着いたのか、その表情は普通である。
「そっ♪ 男女が親睦を深める定番行事さ! カフェでお茶したり、ブディックをはしごしたり、夜景が綺麗な高台に登ったりとか、ね」
昨晩。
夕食を終えても帰る気配を見せない悪友に、いつまで居座るつもりだと訊ねると、
『あー、そうそう。クレアさんに会ったんで、頭から飛んでたんだけどさぁ。親父と軽くケンカして出てきたんだよね、俺』
エディークは、けろりとして答えた。
『謝る気ないし、帰りたくもないし、何日は知り合いの家でも渡り歩こうかと思ってな。そういう訳だから、とりあえず今日は泊めてくれ』
アシュフォードの現当主と跡取り息子の不仲は、社交界でも有名だ。派手な口論をやらかして、こんなふうに屋敷に転がり込んでくることも珍しくはない。今回は、それは単なる口実で、クレアになにかする気ではと勘繰らずにはいられなかったが、
『……ったく、あのクソ親父。俺は金儲けの道具じゃねえぞ!』
酒を浴びつつ愚痴り倒したエディークは、早々に寝入ってしまい、夜通し無駄な心配をしていたシーヴァスの方が寝不足気味であった。
「やっぱ巫女さんって、そういうのはやんないの? だいぶ遠い国から仕事で来てるってことだけど、ヘブロン国内は観光とかした?」
「いえ、仕事がありますから、そういう時間は――」
「う〜ん……仕事熱心なのはいいけどさ、根を詰めるのは良くないと思うよ? たまには息抜きしないと」
色恋沙汰は個人の自由。クレアにどう誘いをかけようと、放っておくべきかとも思ったが、
「って訳で、どこに行きたい?」
「え……」
悪友の性癖は熟知しているだけにそうもいかず、ちらりと振り返ると、ほとんど天使の唇を奪い取らんばかりの至近距離に顔を寄せている。人が、ちょっと目を離した隙に、これだ。
「…………」
クレアに口説き文句が通用しないのは、意味を理解していないからで、相手が不意をつく行動に出れば、おそらくされるがままだろう。本人は気にも留めないだろうが、それはそれで、こちらの気分が悪い。
『クレアの滞在中は、私の許可なしに奴を通さないでくれ』
――と、門番たちに言い渡すべく、正門横手の守衛室に顔を出そうとしていたシーヴァスは、
「悪いが、彼女は怪我から回復したばかりで、静養中なんでな」
取って返してエディークを押し退けた。
「貴様に振り回させるわけにはいかん。とっとと帰れ」
「? ??」
力ずくで引き剥がされたクレアは、やはり状況が分かっていないようで目を白黒させている。
「ちっ。おまえがいたんじゃ、ゆっくり話も出来ねーぜ……」
男の嫉妬はみっともないねぇぞ、とでも言いたげに肩をすくめ、エディークは、彼女の耳元に囁いた。
「また会いに来るよ。こいつがどっか、出かけてるときを見計らって♪」
わざと聞こえるように言っているのだろう。丸聞こえだ。
「来るなっ!」
「ははっ、じゃあな――またね、クレアさん」
「あ、はい。お気をつけて」
エディークは、ひらひらと片手を振りながら、背を向けた。今度は、マキスかイールの家あたりに押しかけるのだろう。
その姿が路地を曲がり、見えなくなるのを確認してから、
「……クレア」
シーヴァスは天使に向き直った。
「騒がしくして悪かったな。あまり、あいつの言うことは真に受けないでくれ。自分好みの女性に対しては、いつでもあの調子なんだ」
「はい、わかってます。貴族の男性が、社交辞令で、挨拶代わりに使う台詞なんですよね。ああいうの」
クレアは、笑顔で頷いた。さらりと返ってきた予想外の反応に、
「は!?」
シーヴァスは、思わず自分の耳を疑う。これまでの経験からすれば、もう少し、こう――手こずらされるはずなのだ。それなのに、このひどく世俗的な受け答えは何事だ?
目を剥いている勇者を仰ぎ、クレアは小首をかしげた。
「……って、ティセが教えてくれたんですけど。違うんですか?」
「え? あ、ああ……ティセナ……が?」
「はい。昨日の夜、お見舞いに来てくれて――フェリスさんのことを相談したら、人間の『恋愛』 にはたくさん種類があるんだって」
こちらの動揺には気づかぬ様子で、
「シーヴァス様が振られたのは、身から出た錆……? で、去年の英霊祭のときだから、任務とは関係なくて心配いらない……仕事にかまけて私生活を犠牲にするような性格じゃないし、他にもたくさん恋人がいて、破綻するのも予定調和だから、この先また、こじれてダメになっても問題ない……フェリスさんは『結婚する恋愛』 を見つけて幸せで、むしろこれで良かったんだとか、なんとか……」
九九を暗記したばかりの子供のように、喜々として言う。天使の表情の無邪気さと、内容の辛辣さが相まって、まさしく最高級の皮肉であった。
「………………」
シーヴァスは、呆然とそれを聞いていた。
昨日の憔悴ぶりが嘘のように、彼女がフェリスの件を割り切っているのは、ティセナがフォローしていったかららしい。それ自体はありがたいが、
(なにをどう、吹き込んでいったんだ……?)
クレアを介して聞いているのだから、ティセナ本人の弁舌は、三倍増しで刺だらけだったことだろう。
「なんだか、ややこしいものなんですね。恋愛って」
つぶやく彼女が平然としているのは、昨日の過剰な反応から考えるに、まだ『同時に複数の相手と付き合う』 ことが、不誠実かつ不道徳な行為とは認識していないからだ。
(これは……悟られたら……)
怒る。間違いなく、彼女は激怒する。場合によっては、グリフィンの窃盗行為に対するよりも手厳しい説教が待っているだろう。人目も場所もお構いなしでは、斜に構えた少女よりも手に負えない。
しかしティセナの見解を否定すれば、また 『やっぱり、私のせいで……!』と走りだしかねない。どうしようもない。
「…………まあ、だいたいは……そういうことだ」
どうしようもないのなら、この手の話題をひたすら避けて、忘れてもらうのが一番だ。
「そういうわけだから、フェリスのことは気にしなくていいし……エディークの言動も適当に受け流してくれればいい……」
「はい」
クレアは、ごく素直に頷いた。
「…………」
真夏だというのに、シーヴァスの背中を冷や汗が伝う。どうやら、天使と関わっているうちは、派手な行動は慎んだ方が良さそうだった。
×××××
「おもしろい方ですね、エディさんって」
妙に強引だが、不快な感じではなかった。話題が豊富な人物のようだし、あれこれ地上の話を聞かせてもらえば、きっと楽しかっただろう。
フェリス嬢の件を勘違いして、それからティセナが会いにきてくれるまで、ずっと客室で塞ぎこんでいたことが、少々悔やまれた。
「やっぱり――王立学院の頃からの、お友達なんですか? レイヴと同じで」
エディークを見送り、屋敷へと続く敷石道を歩きながら、クレアはなんの気なしに訊ねた。
「ああ、十年来の付き合いになるがな……友達でもなんでもない、ただの悪友だ。あんなのは」
素っ気ない物言いが、照れ隠しにしか思えず、
「……なんだ?」
「悪友って、知ってますよ。人間界では、反語的に “親友” のことを指すんですよね」
くすくすと笑いながら指摘すると、シーヴァスは、困惑したように顔をしかめた。
「だから、違うというのに――」
心外だ、と言わんばかりの語調である。だが、この勇者が、ああまで無遠慮に接する相手は珍しい。エディークと、彼とは、どのような少年時代を送ってきたのだろう。
「エディさんも、騎士なんですか?」
「いや、違う。あいつは昔から、剣を振り回すより、頭脳労働の方が得意だと豪語していたからな……実業家になるはずだ」
シーヴァスは、ちらりと友人が去っていった方角に視線を向け、つぶやいた。
「初志貫徹できれば、の話だがな」
「王立学院の卒業生全員が、騎士になるわけではないんですね」
実業家――貨幣制度を持つ地上界で、経済的事業を営む人間のことだったはずだ。王立学院とは、かなり多種多様な人材を育てる教育機関らしい。
「ああ……例年、卒業後の進路として、三割近くが騎士を志願するが、まず入団試験で七割が落とされ、実際に騎士の称号を得るのは、従士となった者たちの一割にも満たない」
ずいぶんと、狭き門であるようだ。
『いつの時代も、多くの騎士が必要とされてきた』
そう、レイヴは話していたが、だからといって審査が甘くなるわけではないらしい。
「エディークも、入団試験は通過したんだがな。数日で、自分には合わないと見切りをつけ、さっさと戦線離脱してしまった。レイヴのような模範生は、珍しいくらいだ」
「模範生?」
良い意味であるはずの単語、その響きが、あまり褒めているようには聞こえず、
「騎士団に属し、鍛錬に打ち込み、数々の武勲を立て、国に忠誠を捧げる。他人が描く、理想像だな――騎士としての」
眉根を寄せたクレアに向かって、シーヴァスは、肩をすくめてみせた。あいつにも困ったものだ、とでも言うように。
彼もまた、気づいているのだろうか? レイヴが、騎士としての立場を疎んじていること――死に場所を探していることも?
(そうよね。私よりずっと前から知り合いで、友達なんだもの)
もしかすると、その “理由” も知っているのかもしれない。だが、人伝に聞いて良いことではないだろう。
(レイヴと親しい人たちは……みんな、知っているのかな?)
事情を把握していても、どうにも出来ないことなのだろうか? おそらくは、騎士としての過去に起因することなのだろうけれど――
(……そういえば)
「シーヴァスは、騎士になったんですよね」
ティセナの評価によれば、男勇者三人の、剣の技量は拮抗している。シーヴァスが、団長と渡り合える実力の持ち主で、騎士団に属することが騎士としての理想像ならば、
「どうして、騎士団に入らなかったんですか?」
素朴な疑問だった。だが、訊ねた途端、
「……」
ほんの一瞬だったが、勇者の表情が凍りついた。
(あ……やだ……)
しまった、と思った。相手は、シーヴァスではなかったが――前にも、こういう表情の変化を見たことがある。
知らず、古傷に触れてしまった。しかも、治りきっていない傷に。
「…………」
無視されるだろうか? それなら、その方がいいのかもしれないが。これ以上、気まずくなる前に話題を変えてしまおうと、口を開きかけたところで、
「私は……レイヴのように、国に忠誠を捧げるために騎士になったわけでは、なかったからな……」
シーヴァスは、視線は逸らしたまま、思いのほか静かな口調で答えた。
「力の使い道は、他にある――そう思っていた」
それきり、黙り込んでしまった。
真面目で物静かな少年だったシーヴァスが、皮肉屋のプレイボーイと化した理由。ゲームでは、そのあたりは描かれていないんですよね。この“描かれていない”部分の多さが、創作意欲を刺激する作品です。フェバシリーズは。