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◆ 魔女の弟


「ありがとうございました、ウェッジさん。こんな遠くまで――」

 街の少し手前で馬車を降り、クレアは深々と頭を垂れた。

「皆さんにも、よろしくお伝えください。お世話になりました」
「いや、とんでもない! むざむざ怪我させちまっておいて、こんなこと言うのもなんですが」
 御者席のウェッジは、大慌てで両手を振りつつ、屋敷の誰しもが思っているであろうことを代弁してくれた。
「近くまで来くることがあったら、また寄ってくださいよ。みんな喜びますんで」
「……ええ。ありがとうございます」
 はにかみながら天使が頷いたところで、シーヴァスは横槍を入れた。
「こいつ相手に、気を遣うことはないぞ、クレア」
 かしこまる必要はないと何度も言っているのに、結局は丁寧な物腰で接しているのは、もう性分というか癖なのだろうが。
「たまには扱き使ってやらなければ、中年太りに拍車がかかる。働いているように見せかけて、いつも厩舎で馬と一緒に寝ているんだからな、昔から」
「いらんこと言わんでくださいよ、シーヴァス様……」
 わざとらしく肩をそびやかす勇者と、情けない顔で抗議するウェッジとの間に挟まれて、天使はくすくすと頬笑んでいた。


 祖父との口論の末にパーティーを放り出してきたシーヴァスは、厄介ごとの回避も兼ね、しばらく顔を合わせていない女勇者を訪ねたいというクレアに同行していた。

 ジャマが入れば徹底的にやり合うつもりでいたのだが、どうしたことか、21日の夕方を過ぎても本家側に動きはなかった。その夜、ヨースト邸に顔を出したエディークの話によると、宴の主役である “次期当主” の不在は、病欠として片付けられたらしい。
 あの倣岸な祖父のことだ。無理に呼び戻したところで、財界の重鎮たちの前で恥をかかされかねないとでも考えたのだろう。こちらとしても願ったりだ。
 ただ “フォルクガング” に取り入りたいだけの連中に、愛想を振りまいてやる気分ではなし、招待客への挨拶は、ここ数日でほとんど済ませていたのだから、あとは体裁を取り繕うことに長けた執事たちがどうとでもすればいい。

 天使が話そうとしなかったため、なにがあったのかはジルベールたちから聞き出した。
 身内の所業ながら、弁解のしようもなく最悪だった。
 面と向かって 『出て行け』 と言われては、クレアの気質からして、どう引き止めても屋敷に留まるとは思えない――かといって世間知らずの彼女を、ひとりで歩き回らせるわけにもいかない。ならばもう、責任を取る意味でもシーヴァスが連れて行くしかないだろう。
 なにより、未だ面識のない “天使の勇者” には、一度会ってみたかったのだ。任務と無関係にクレアと旅をすることなど、まず無いのだから、これもいい機会ではある。

「トラストへは、また遠いですか?」

 わずかに首をかしげ、天使はこちらを仰ぎ見た。
 サマードレスの袖に半ば隠れた、白い包帯が痛々しい。それでも、こうして急くことなく移動するだけなら傷には響きはしないようだ。
 ……だから荷物は自分で持つ、という彼女用の旅行カバンは、強引に奪い取らせてもらったが。
「いや。ここからなら、どれだけ道が混んでいても夕方には着くだろう。我々が訪ねて行くことは、ローザが知らせてくれているのだったな?」
「はい」
「なら、昼食はこの街で食べていくか――」
 ちょうど正午過ぎ、飲食店はどこも客で溢れていた。
 不味い料理は願い下げだが、クレアを連れているからには、あまり長いこと待たされても困る。怪我を悪化させそうな人込みも避けねばならない。
「席が空いているかどうか、見てくる。そこで待っていてくれ」
 そう言い置いて、テーブル席を確保して。本当にすぐさま戻ってきたのだが、

「………………」

 ものの数十秒の間に、クレアの姿は軒下から消えていた。
 待っていろと言ったのに――ほんの少し目を離した隙に、いったい何処へ行ったのか。

(まさか、またトラブルに巻き込まれたんじゃないだろうな?)

 ふと過ぎった、嫌な予感は的中した。にわかに前方の路地がざわめいて、悲鳴を上げて逃げてくる女子供と、逆に興味津々そちらへ走っていく連中が入り乱れる。
(クレア……っ!?)
 騒然となった道の先に天使の姿を見つけ、シーヴァスはあわてて走り出した。

「なんてことするんですか、あなたたち!」

 あろうことか彼女は、武装した数人の男に取り囲まれていた。
「ひとりに寄って集って、しかも無抵抗の相手を殴るだなんて、大人として恥ずかしくないんですか!?」
「いや、あの。僕は――」
 そいつらに敢然と食って掛かるクレアを、左頬を赤く腫らした少年が必死で押し留めている。短い会話からでも、事の成り行きはおおよそ推察できた。

 しかし……ソルダムでも思ったことだが。
 他人の揉め事に首を突っ込む前に、勇者に一声かけて行けないものなのか?

「うるせぇな、おまえには関係ないだろう、引っ込んでろ!」
「おいおい、なんだぁ、この女?」
「さては、テメエも魔女の一族かっ――」

 殺気もあらわにナイフを振り上げ、かまわず襲いかかろうとした連中の一人が、
「うぎゃあ!?」
 矢で腕を射抜かれ、もんどり打って倒れた。さすがに怯んで半歩退いた荒くれ者たちを、弓で狙いを定めて牽制しながら、
「下がってください、彼らは脅しでやっているわけじゃないんですよ!」
 少年は険しい表情で、クレアに避難をうながした。
 か弱そうな外見に似合わず、取り出した武器をかまえる姿には隙がない――扱い慣れているのだろう。比較的、女子供に適した武器である弓矢も、使いこなすにはそれなりの腕力と集中力が必要とされる。
 しかしクレアは、そんな少年をキッと睨みつけ、反駁した。
「それが分かっていたなら、どうして逃げも抵抗もせずに、じっとしてたんですかッ!?」

 じっとしていた? どういうことだ、それは?

「ごちゃごちゃと、なに言ってやがる……!」
 そうこうしているうちに勢いを取り戻した悪漢どもが、ナイフを振り上げ、二人に掴みかかろうとする。
(……やれやれ。どこにでも、こういう輩はいるものなのだな)
 すんでのところで駆けつけたシーヴァスは、天使たちを背に庇い、敵全員を一太刀で薙ぎ払った。
「ぐえっ」
 カエルのように呻いて吹っ飛ばされた男たちを、じろりと一瞥。
「なんの騒ぎか知らないが――ひとの連れに随分と手荒な真似をしてくれるじゃないか?」
 うち一人の喉元に長剣を突きつけ、少しばかり凄んでみせると、
「け、憲兵か……?」
「畜生っ、覚えてやがれ!!」
「次は必ず息の根を止めてやるからな、この、魔女の弟め!」
 さっきまでの威勢はどこへやら、あきたりな捨て台詞を残し、尻尾を巻いて逃げ出した。
 捕縛して役所に突き出してやるべきかとも思ったが、地の利は向こうにある。静養中のクレアを連れて、厄介事に関わるのは御免だ。だいたい見知らぬ少年を相手に、そこまでしてやる義理もないだろう。

「まったく――人助けをするのは構わないが、どうして先に私を呼ばないんだ? こう無茶ばかりされては、心臓がいくつあっても足りんぞ」

 ぼやきながら振り返ると、薬瓶を手に少年の頬にガーゼとテープを貼り付けていた天使は、真顔で答えた。
「……あ。すみません、忘れてました」
 本気で言っているらしい彼女に、シーヴァスは、がくりと脱力する。
 報せることを忘れていたのか、それとも勇者の存在そのものを失念していたのかを問い質したい衝動に駆られたが、どちらにしても余計に疲れそうだったので、それは止すことにした。


「それにしても……なんだったんですか? あの人たち」
 暴漢どもが我先にと逃げ去り、遠巻きに人垣を作っていた野次馬たちも少しずつ散ってゆく中、
「ただの通りすがりで、ケンカを売られたわけじゃないんでしょう? あなたのこと、ご存知だったみたいですし――」
 心配そうに眉を曇らせ、クレアは訊いた。

「彼らは……無実の罪で斬首された、ケルン公爵の一族。姉の野心の犠牲者です」
 手当てされながら、ひどく暗い眼をして、
「今ではデュミナスの実権を握るミライヤの、非道な行いの報いを……僕が受けても、仕方ありません」
 うながされるままに答えていた、柔弱な印象の少年は、
「姉の暴走を止められなかった責任は、僕にもあるんです」
「お姉さん?」
 クレアが問い返したとたん、ハッとして身を引いた。

「……いえ、なんでもありません。ご迷惑をおかけしました。失礼します」

 しまった、口を滑らせた、という焦りが表情に滲んでいた。
 取ってつけたように一礼すると、あわただしく人込みに紛れ歩み去ってゆく。
「ちょ、ちょっと……!」
 まったく、お節介なんだか控えめなんだか、ときどき彼女のことが解らなくなる。シーヴァスは嘆息しつつ、あたふたと少年に追いすがろうとするクレアの肩を掴んで、引き止めた。
「シーヴァス?」
「追って、どうする気だ? 天使というのは、初対面の人間の家庭事情にまで首を突っ込むものなのか?」
「いえ、そういう訳じゃありませんけど」
 振り向いた彼女は、心外そうに訴えた。
「抵抗もせずに殴られていたんです、あの子……よっぽどの事情があるからだと思うんです。なにか力になれるかもしれませんし……」
「君に、どうこうできる話じゃない」
 放っておけば、少年を呼び止めて人生相談でも始めそうな勢いだ。あえて切り捨てるように、シーヴァスは告げた。
「デュミナスの魔女ミライヤを姉と呼んだのが、偽りでないなら――彼は、フェリミ・マクディル。ああいった輩に逆恨みで襲われても、なんら不思議は無い立場にいる少年だ」
「……お知り合い、ですか?」
「いや。彼らの名と、デュミナス政府の内情を聞いたことがあるだけだ」

 尽きることを知らぬ、社交界の噂話。
 流言の大部分は色恋沙汰が占めているが、各国の情勢に関するものも少なくない。マクディル姉弟の悪評も、そこで耳にした。
 デュミナスの老帝を、類稀なる美貌で骨抜きにした悪魔のような女と、行く先も告げず王宮から姿を消したという、その弟。

「あの国を実質的に支配しているのは、后妃ミライヤだ。軍備増強に余念がなく、逆らうものは容赦なく排除する――平和主義にはほど遠い方針に、諸国が脅威を感じているのは事実だが、紛争状態にあるわけではないのだ」

 人間の権力争いなど、いつの時代も無くなりはしないのだから、

「君たちが手を煩わせるようなことじゃない。子供ではないんだ、身内の行為が原因なら、なおさら彼が自分で片を付けるべきだろう」



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前に見かけた他人のことなんて、そうそう覚えてはいないもの。ハープを弾いてる姿を見れば思い出すかもしれないけれど、そうでなければ認識はあくまで初対面……そんなもんでしょう、きっと。