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◆ 過去の囚人(2)


 どうやら立て続けにトラブルが発生したらしく、迎えに来たティセナに連れられて、天使がタンブールの教会を発った数日後。
 シーヴァスもまた、ヨーストへの帰路につこうとしていた。

 ケルピーと戦った夜から、これまで。
 振り回されたのと面倒をかけてしまったのが半々で、当初の目的どおり静養させてやれたのか、甚だ疑問だが――屋敷に戻ってもクレアはいないのだと思うと、少し寂しいような気がする。
(……どうせ任務だ補給だと、けっこうな頻度で顔を合わせるんだろうにな)
 それだけ彼女が、使用人たちや地上での生活に溶け込んでいた、ということなのだろうか。

 それなりの月日が流れたことを示すように、昨晩ローザから、エスパルダ政府と謎の女――シエラの関係について調査報告を受けていた。
 結果、怪しい点は無し。
 法皇の委任状が本物だと言うからには、書類を扱う立場の人間を、一時的に操ったか買収したか……どうあれ国を束ねる人々に瘴気の香りは無く、天界にとって干渉対象にはならないと。
 シーヴァスが感じたように女が魔族であるか否かは、次に遭遇した際、ひっ捕らえて確かめるしかなさそうだ。
 異変の一因であるならば遠からず、また、なにか事件を引き起こすだろうが――

 桟橋に凭れ、とりとめもない思考に浸っていると、予定どおりの時刻に客船が入港してきた。タラップから続々と降りてくる乗客の姿がまばらになったところで、シーヴァスは、乗船手続きを済ませようと身を起こす。

 前方から歩いてきた女性が身を強ばらせるのと、こちらが彼女に気づいたのは、ほとんど同時だった。

「シーヴァス!?」
「……マリア」

 こじれた関係のまま、五年前に別れた相手。
 なんの因果か。ついこの間、ヨーストの浜辺で遭遇したばかりだというのに――

 黙って通り過ぎてしまおうかと、反射的に考え。
 だが、その衝動を留めるかのように、礼拝堂で目にした天使の沈んだ表情や、彼女と交わした会話の数々が思い起こされて。
「久しぶりだな」
 結局、シーヴァスは苦笑混じりに声をかけた。
 喉元過ぎれば、なんとやら。あとは案外すらすらと言葉が続いた。
「まさか、こんなところで会うとはな。旅行か?」
「旅行……っていうか。親戚の結婚式に、呼ばれて」
 彼女は少し面食らった様子で、遠慮がちに答えた。記憶の中よりもずっと伸びた髪が、さらさらと潮風に揺れている。
「一人でか?」
「ええ。家族は、みんな仕事を休めなくて――だけど港の待合室に、イトコたちが迎えに来てるはずだから」
「そうか、おめでとう」
 シーヴァスは、かるく祝辞を述べた。
 昔の恋人の、親戚。名前も知らぬ相手だが、そこはそれ。社交辞令のようなものだ。
「クヴァール地方は、とにかく陽射しが強烈だ。道中、気をつけて」
 それだけ言って、すれ違う。
 だが、十歩も進まぬところで呼び止められた。
「シーヴァス! あのね、今更だけどッ」
 こちらが立ち止まるのも待たず、マリアは堰を切ったようにまくし立てた。
「ホントに最初は知らなかったの! ただ、カッコイイのに気取ってなくて、すっごく優しい人だなって思って――父さんや母さんに言われて、玉の輿って言葉に憧れて、お金のこととか考えたのも本当だけど、でも」
 振り返ると、彼女は今にも泣き出しそうな、ほとんど癇癪を起こした子供のような、真っ赤な顔をしていて。
「わたし、あなたが好きだったわ!」
 なりふり構わず曝けだされた感情の強さに、シーヴァスは、半ば圧倒されて立ち尽す。

 ……自分が最後に、あんなふうに必死になにかを叫んだのは、いつだったろう?

 マリアと別れるときすら、怒りも失望も押し殺していたような気がする。
 言い訳など聞きたくもないと。ろくに知ろうと、考えようともせず、すぐに背を向けた――もしかしたら彼女の方は、ずっと話したいことがあったのだろうか。

 我に返ったときには、肩の力が抜けてしまっていた。
「……私もだ」
 微苦笑を浮かべつつ、柔らかい声で返す。
「君のことが “好きだった” よ」
 クレアが言ったように、偽りの想いでは、他者の心を動かせないのなら。
 あの頃は確かに、そうだった。共有していた幸せな時間があった――それだけで、もう充分だろう。お互いに。
「あれから何年経ったと思っているんだ? 私のことなど、気に病む必要はない」
 “どんな短い恋でも、思い出が残る”
 こんなときだからこそ、か。己の常套句が、やけに身に染みた。
「要らぬことで悩ませて、すまなかった……ヨーストの海辺で一緒にいた男は、恋人だろう?」
 端的に問うと、マリアは、ためらいつつも肯いた。
「幸せに、な」
「ありが……と……」
 シーヴァスの言葉に、くしゃりと顔を歪ませて、それでも彼女は晴れやかに笑った。
 昔、なにより好きだった――作り笑いではない、笑顔で。

「あなたも! 幸せになってね、あのとき一緒にいた人と!」

 感極まったように叫んで、駆けだした彼女を見送りながら。
 シーヴァスは、はてと首をひねった。

(……あのとき一緒にいた人?)

 ややあって、クレアのことを指しているのだと思い至り。
「いや、それは違うぞ――」
 訂正しようとしたときには、マリアは、すでに何処かへと走り去っていた。

 まあ、いいか。もう会うこともないだろうと思い直して、シーヴァスは船へと歩きだす。
 奇妙にねじれたまま、放置していた初恋は……もしかすると、ようやく終わりを告げたのかもしれなかった。




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これはフェバなのか、なんなのか……天使に両親の話をしたのが、過去を乗り越えるひとつの段階として。プレイボーイ卒業(?)の切っ掛けも必要かなー、という。