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◆ 葛藤


 ナーサディアの告白から数日も経たぬうちに、グリフィンが赴いた悪霊騒ぎの顛末を受け、クレアは、やや無理を押して天界に戻っていた。
 ティセナに付き添われ、結界内に庇われていてさえ―― 『空間の扉』 を潜り抜けた後遺症の、激しい眩暈と吐き気は避けられず。こうしてベテル宮の執務室で、ぼんやり椅子に座り込んでいるだけの今も、ひどい倦怠感が肩にのしかかったままだ。
 聖気切れによるものか、それとも気分的な理由なのかは定かでないが……。


 時空の狭間に囚われた少女、並びに妖精シルフェについては、フォータ離宮のティタニアに謁見したことで、あらかたの経緯が明らかになっていた。

 守護獣バーンズを探し出すためインフォスに降りた妖精が、なんらかの事件に巻き込まれたらしく傷だらけで倒れていた幼女を、助けて。
 ティア・ターンゲリの資質を見出したティタニアは、いずれ、その “浄化の力” を頼む事態になるかもしれないと、シルフェが本来の任務を外れ、彼女の傍にいることを許した。
 他の妖精たちが調査を続けていたにも関わらず、バーンズを発見できぬまま十年以上の時が過ぎ――魔族侵攻の危機を察したシルフェは、自主的に捜索チームへ復帰。
 先日、守護獣のものと思われる “気” を感知して、クルメナ付近の調査に赴いた矢先、騒ぎに巻き込まれたらしい。

 彼女らの安否は、もちろん気に掛かる。
 けれどティセナが判断したとおり、時空の狭間はただでさえ不安定なものだ。資質者と妖精が共にあり、魔除けにと結晶石を渡しているなら、無理にこじ開けるよりは、1年後――亡霊たちの命日を待つ方が得策だろう。


 …………問題は。
 解決の糸口すら見つからないのは、兄とナーサディアのことだった。

 天使であるラスエルが、人間の女性と恋に落ちた。その事実が未だ、どうしても呑み込めない。
 ずっと前に、英霊祭記念のパーティー会場でも、同じことを考えた――自分たち天使に『恋愛』 という感情は、存在しないはずなのだ。
 だが、勇者の口から語られた “二人の過去” に、勘違いや誇張があるとも思えなかった。

 事実、ラスエルは 『インフォスに残る』 と言い残して天界を去った。
 そしてナーサディアの身体には、兄の手によるものであろう魔法がかかっている。

 先日、ようやくガブリエルの許可が下り――手掛かりを求め訪れた、プレア大聖堂の祭壇前で。
『彼の魂は、ここを訪れてはいません』
 大天使レミエルは物柔らかな、それでいて凛とした声音で告げた。ラスエル・ヴァルトゥーダは生きていると。
 けれど、確証を得られたのはそこまでだ。インフォスに、兄の気配はないのだから。

(愛する……人……)

 遠い昔。ラスエルが残した言葉が、ナーサディアに向けられたものであったなら――彼女を独り、置き去りにして、どこで何をしているというのだろう。
 ボルサの森に現れた奇妙な影と、ラスエルの行方には関わりがあるのか?
 “若返りの祝福” が兄のものであるとして、“老いの呪い” をかけた術者は誰だ?

 いくら考えても、現状、答えが出るはずもなく。
 眠れば必ずと言っていいほど、ヨーストの大火で焼け死んだという、シーヴァスの両親のことを夢に見てしまう。具現化した、不安のような。

 戦闘のサポートはともかく、自力で歩けるし飛ぶことも出来るのだから、まずはナーサディアの元へ報告に向かわなければならないというのに……立ち上がるのも億劫だった。

×××××


 その日も勇者は気だるげに、酒場の奥の席に座っていた。

「……私のこと、なにか分かった?」
「ごめんなさい……なにも……」

 クレアには、首を横に振ることしか出来ず。
 ナーサディアは、特に失望した素振りも見せずに 「……そう」 と頷くと、呑みかけのグラスに視線を落とした。
「えっと、でも! あなたに “若返りの祝福” をかけたのは、やっぱり兄様だとしか考えられないんです。大天使様も、ラスエルは生きているって断言してくださいましたし――」
 最初から期待されていなかったようにも思える反応に、逆に、いたたまれなくなり、
「私や妖精たちが、天界とインフォスを自由に行き来できるのは、きちんと管理されている “扉” を使っているからなんです。アストラル体である以上、天使も魔族も条件はそんなに変わらなくて……守護天使でないなら、力ずくで突破するか、時空連結の法則が狂うときを狙うしかありません」
 クレアは必死に、分かる限りのことを並べたてた。
「兄様が、なにか理由があって他の世界にいたなら。そうやってナーサディアに会いにきた可能性は充分にあります」
 そうして綻んだ時空は、いったん閉じても、気候などの諸条件が重なればまた開いてしまうもの。
「だから妖精たちに、ボルサの森を定期的に調べてもらうようにしますから。なにか変化があったら、一緒に行ってみましょう?」
 自分でなくとも、ティセナが現場に居合わせれば、もう少し判ることがあるはずだ。
「もちろん、それまで他の心当たりも探してみますから!」
 表情を変えることなく、ただ鳶色の瞳を瞠っていたナーサディアは――そこで突然くすりと笑みを漏らした。
「!?」
 相手の変化についていけず、クレアは、その場で固まってしまう。

 今はなにか、笑うような話をしていただろうか?

「あー、ごめんごめん、笑ったりして。バカにしたわけじゃないのよ」
 と言いつつ彼女は、ぽすぽすと天使の頭を撫でた。
 ……バカにされているかどうかはともかくとして、完全に子供扱いされている気がする。
「ホント、真面目ねえ。あなた――ラスエルそっくり」
 やや釈然としないクレアだが、こんなふうに懐かしげに目を細めて言われてしまっては、話を混ぜっ返すことも出来ない。
「だいじょうぶよ、私は。これでも案外楽しいんだから! 若いままでいられる身体なんて、そうそう手に入るものじゃないし。この間は……予想外なことが続いて、ちょっと取り乱しちゃっただけ。心配させて悪かったわ」
 さばさばと言い切る勇者の姿は、どうしても無理をしているように思えた。
「私ね、今でも心のどこかで、ラスエルのこと信じてるの」
 続いた言葉もまた、揺るぎない本心というよりは、自分に言い聞かせているように感じられて。
「なにか理由があって、こうして私を生かしてるんだって――」
 そう考えなければ、彼女にかけられた魔法の存在に説明がつかないのは確かだ、けれど。
「バカよねぇ……百年以上も待ちぼうけて。こうして次の世代の天使に選ばれてしまうほど、時は経ったのに」
「そんなこと!」
 反射的に首を横に振ったものの、クレアは、先の言葉に詰まった。

(…………否定、する? なにを、庇うの……兄様を?)

 ラスエルが、あなたを裏切ったりするはずありません、とでも弁護すれば良いのだろうか。
 それはとても白々しく、不実なことではないか?
 兄の行方は判らず、彼がなにを考えて姿を消したのかも知らず――そもそもラスエルが彼女に寄せたという想いを理解できない、自分が。
 なにを言おうと……ナーサディアを支えているもの、すべて踏み躙ることに、なるのでは。

「でもね、いいの。夢じゃなかったって、分かったから」
 うつむいて黙り込んだクレアを気遣うように、彼女は笑って言った。
「とにかく、あの森は探ってみないとね。あなたたちが一緒にいてくれるんだから、きっと大丈夫よ」
 そうですね、と笑い返そうとしても声にならず、
「……もう少し、飲んでいい?」
 勇者の問いに、クレアはこくりと頷いて、カクテルのメニューに手を伸ばした。
 ナーサディアは意外そうな顔をしたが、すぐに嬉しそうに微笑んで、お勧めはこれとそれ――と饒舌に語りだす。

 呑まずにいられない気分というのは、こんな状態を指すのだろう、きっと。




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イベント/踊り子ナーサディア1〜3まで消化。次はラスエルさんとの直接対面ですか……やはり彼女のシナリオは、シリアス度が高いような。