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◆ ザ・ヒエラルキー


「お食事、こっちのテーブルに置いてますからね〜? ちょっとでも食べてくださいね!」
 扉越しに呼びかけて、待つこと数十秒。

「…………ありがと」

 普段ふんわり暖かい声音は、どんより暗く湿っていて。
 壁に張り付いてないと聞き取れないくらい、細くて消え入りそうだったけど――反応してくれるぶん、少しは具合も良くなってるみたいだ。
 けど、小窓からなんとか覗ける室内の、クレア様は頭からシーツをかぶって、ベッドの隅っこで亀みたいに丸くなっていて。
「起きていらっしゃる気配、ないわね……」
「ホント、どうしちゃったのかな?」
 心配顔のローザと一緒に、鍵がかかったままの扉を仰いで、溜息ひとつ。
 昨日の夕方、ふらーっとした足取りでベテル宮に帰ってくるなり、私室に閉じこもってしまったクレア様は、丸一日経ってもそのまんま外に出てこようとしない。じっと耳を澄ましていると、

『……八つ当たりなんて』
『守護どころじゃない……天使失格だわ』

 ときどき、もごもご呟いているのが聞こえてきた。
 いつだって優雅に振る舞ってるクレア様が、平静を取り繕うだけの余裕も無くしてるなんて――それだけで、もう只事じゃないって感じだ。
「だいじょうぶだよ。悩むだけ悩んだら、あとは勝手に浮上してくるだろうから」
 性格はきっぱり異なれど、痩せ我慢が得意なところはお揃いだったりするティセナ様が、それにしても、と息を吐く。
「今度はなにを、やらかしてくれたんだろうね? あのヒトは」


×××××


 さらに翌日。
「……インフォス全土を探索するわ。ローザ、手伝って!」
 立ち直ったというより、ムリヤリ気力を奮い立たせているようにも見えたけど。
 ティセナ様が予告 (?) したとおり、自ら奮起したらしいクレア様は、毅然とした表情でローザを連れて地上に降りていった。
 私は、ティセナ様にお供して、定期報告のためにグラシア宮へ向かっていたんだけど。


「嫌だわ、どうしてあの子が聖域内をうろついてるの?」
「“災厄” の分際で――」

 ひそひそと聞こえよがしに囁き合う、通りすがりの人たち。天界の中心部を歩いているときは、いつもこうだ。
 ミカエル様の指揮下にある軍の中でも、ティセナ様が属している遊撃部隊は、ちょっと特殊で。桁外れの魔力と、瘴気への耐性を併せ持つ、少数精鋭の天使で構成されているらしい。
 だからこそ高位魔族とも互角以上に渡り合えるんだけど、結界なしでも魔界を歩き回れるという稀有な体質は、潔癖症のお偉いさんや頭の固い人たちからすると “堕天使予備軍” にしか思えないようなのだ。

(瘴気じゃなくて、あくまで “耐性” なんだから……なんの問題もないじゃない?)

 魔族の侵攻から護ってもらっておいて、お礼を言うどころかケチつけるなんて。
 こんな所にたむろって陰口たたいてる暇があるんなら、任務用の消費アイテムでも差し入れてくれればいいのに、まったくもう。
 むかむかを抑えきれずに、つい睨み返してしまう私と対照的に、ティセナ様は、相手をするのも馬鹿馬鹿しいって感じで平然としている。
 もしかしたら内心は穏やかじゃないのかもしれないけど、顔色ひとつ変えずに、ぴんっと背筋を伸ばして回廊を歩いていく、その姿は――とても颯爽として見えるけど、あんな中傷に慣れてしまっているんだとしたら、少し悲しいことのようにも思う。

 だから、慈愛なんて高尚な精神とは無縁な、しがない妖精の私は勝手に怒らせてもらうんだ。
 ……と、周りを威嚇しながら飛んでいたら、

「あら」

 逆側から、つかつか歩いてきた女の子が、ぴたりと立ち止まった。
 ウエーブがかった黒髪に、ワインレッドの瞳。華やかな顔立ちで、金糸の刺繍が施されたローブを纏っている。
「お久しぶり。ずいぶんと手こずっているようね―― “時の淀み” の、原因解明ごときに」
 ほとんどの天使は、ティセナ様とすれ違っても、敬遠と怯えがごちゃ混ぜになったような態度でそそくさと目を逸らすのに。彼女は、高飛車に話しかけてきた。
「ええ。壊すのが専門で、守護の類には向いていないものですから」
 ティセナ様は投げやりな、どこかおもしろがってる口調で答えた。顔見知り……なんだろうか?
 そういえば、年齢も近いように見える。
「私を補佐に任命した、ガブリエル様のお考えが不思議でなりませんよ。ミシュエラ様の方が、よほど適任でしょうにね」
 ミシュエラと呼ばれた少女は、 「まったくだわ」 と真顔で言った。
「クレア様は、お元気?」
「ぶつかる問題すべてに真っ向勝負で、神経すり減らしているようです」
「頼りないこと」
 今度はまた尊大に、それでいて怒ったような眼で言い放つと、
「心配しなくていいわよ。あなたたちが潰れるようなら、栄誉ある地上界守護の大任は、私が果たして差し上げるわ」
 口元に手を当てて、おーっほっほと高笑いした。それは聞き捨てならない。
「そ、そんなことにはなりませんッ!」
 私は、勢い任せに彼女に食ってかかった。
「インフォスの守護天使は、クレア様と、ティセナ様です! これからもっともっと勇者様たちと頑張って、ぜーったい、ちゃんと解決してみせるんですから!!」

 ……ぜーぜーぜー。

 啖呵を切ったは良いものの、我に返ると、しーんと静まり返っている辺り一帯。
 呆気に取られた顔の、ティセナ様とミシュエラさん。
 遠巻きにこっちを眺めていた陰険天使たちは、こそこそと互いの脇を肘で突いたりしている。
 どこかで味わったような居心地の悪さだなぁ……と思ったら。
 気まずい空気が、グラシア宮で初めてクレア様たちに挨拶したときと、まるっきり同じだった。

(も、もしかして――この人、偉いの? 子供だけど、偉い天使様? なんか態度も自信満々だし!)

 冷や汗かきつつその場で固まっていると、
「……そう」
 ミシュエラさんは、ふっと笑った。
 お咎めを受けるものだとばかり思っていたから、意外な反応に拍子抜け。逆に、どうしたらいいか分からなくなってしまう。
「それは楽しみ。せいぜい気を抜かないことね、ティセナ――それから、威勢のいいおチビさん」
 私が戸惑っている間に、彼女はまた、おーっほっほと高笑いを響かせながら歩み去っていった。

(変なヒト……)

 豪華なローブの後ろ姿が、回廊を右に曲がって見えなくなったところで、私は質問した。
「お知り合いですか? ティセナ様」
「ミシュエラ・クレス――四大天使の、後継者候補筆頭よ」
 ティセナ様は、さらっと答えた。
 そ、それはつまり彼女の気分ひとつで、私は不敬罪で牢屋行きだったという……!?
 あらためて背筋を寒いものが走ったけど、私の言動に目くじら立てて怒るミシュエラさんというのは、なんだか想像しにくかった。
「我が道を行く、って感じのヒトですねえ……」
 感想をつぶやくと、ティセナ様は 「うん」 と頷いて、笑った。
「ホント、相変わらずだわ」




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久々、天界サイドのお話。
ミシュエラも、アルカヤ編の小説に登場予定の人物です。