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◆ 傷痕


探索能力に優れたローザとともにインフォス全土を飛び回り、とにかく事件性がありそうな記録・噂話を片っ端からかき集め、あれこれ検証してみたが――本来の任務も含め、なにひとつ問題解決の糸口になりそうなものが見つからない。
 というより、どれがどう手掛かりになるのか、ならないのかの判断も付かず。

 ここは、やはり専門家の意見を!

 握りこぶしで相談に向かった先は、ヴォーラス騎士団長の元だった。
 ちょうど今は五月上旬。レイヴは英霊祭の準備を執り仕切るため、首都の宿舎に詰めているはずである。
 資料を読み耽りつつ、ふらふらと勇者の気配を辿っていき、
(えーっと、レイヴは……)
 とんっ、と自分の足が地についた感触にようやく顔を上げると、探し人たる青年は真っ正面にいた。
 ほんの少し驚きを覗かせた、常と変わらぬ気難しげな表情。
 重厚な鎧は脱ぎ置かれ、ズボンは穿いているものの上半身裸という格好で、どっかり寝台の縁に掛け、黒いシャツの袖を腕に通したところで動きを止めている。
「あ、あ、あら? こんばんは。すみません、着替え中――」
 あたふたと視線を巡らせば、四方の壁に窓二つ。小さな明かりが点る天井と、板張りの床。簡素な家具類。
 ベッドサイドには無造作に置かれた旅荷と、立て掛けられた大剣。
 ここは彼の部屋で、ノックもせずに上がり込んでしまったのだと、遅まきながらに認識。急ぎ、退室しようとしたクレアは、
「……ずいぶん深いですね、その傷」
 職業病というべきか。ふと青年の脇腹に目を留め、眉をひそめた。
 彼の戦歴を物語るように、鍛え上げられた体躯に刻まれた無数の刀傷――中でも脇腹から背中を一直線に過ぎる裂傷は、もう少し深ければ内臓に致命傷を与え、死に至らしめていたに違いない。止血するのも大変だっただろう。

 しげしげと傷痕を見つめて、考え込む。
 理由はどうあれ異性の半裸を凝視するという行為が、人間界の常識に則れば、とんでもなく失礼ではしたないことなのだと思い至り、我に返ったのは約三分後。

「え、えーと」
 ぎくしゃくと後ずさりながら、相手の顔色を窺う。
 これがアーシェなら、遠慮なしに罵声と枕が飛んでくる。他の勇者たちも、まあ程度の差はあれ不愉快と思っていれば口に出してくれるのだが。
 怒っているか呆れているのか、別段どうでもいいのか……当初の困惑はすっかり陰を潜め、いつものごとく無表情で座っている青年の内心はなんとも読み取り難かった。
「あの、おじゃましました。また明日にでも」
「この傷は――競技会で、リーガルと戦ったときに受けたものだ」
 歯切れ悪いクレアの言葉にかぶせるように、彼は、重い口を開いた。
(……リーガル?)
 知らぬ名に、つい興味を引かれて立ち止まる。
 なにより、どんな内容であれ、レイヴが自身の過去について語ってくれることは滅多に無いのだ。
「どうして、そんな大怪我を負うことに? 真剣を使っていたにしろ試合だったんでしょう?」
 彼が参加する競技会というならば、おそらく国もしくは騎士団が主催した武術大会のようなもので、観衆や見物客もいたはずだ。
 他の地上界に関する古い文献には、一歩間違えれば死者が出るような残酷な剣闘を、見世物にした事例も載っていたが。インフォス――少なくともヘブロンに、そういった文化は無さそうである。
「俺の剣技が、リーガルより数段劣っていたから起きた事故だ……仕方がない」
 物静かに答えながら、着替えの途中であった勇者はシャツを着込んだ。当然、傷もすべて隠される。

(帰らなくてもいいのかしら、私?)

 出直すべきか迷ったが、会話が煩わしければ口を噤んでしまう人だから、今は話をしても良いのだろう。クレアは、自己完結して留まった。
「レイヴが敵わないほどの剣士、ですか……なんだか強すぎて、想像がつかない感じです」
 無意識に、ここを訪れた目的も後回しに、青年の台詞を反芻する。
 ヴォーラスの騎士団長を相手にしながら、こうまで歴然とした差を見せつける実力者が存在するとは――いや、傷の古さからして五、六年前の話だろうが、それでも驚きを隠せない。
 寡黙ながらプライドは高そうな彼が、敗北を語る声音に、微塵の卑屈さも含まれていないのは。
 リーガルという名の人間を、負けても恥にならない相手だと心底認めている証だろう。
「その方も、騎士団に所属していらっしゃるのですか?」
 単純に、己にも他人にも厳しいこの勇者が、格上と見なしているらしい相手に会ってみたいという思いに駆られ、クレアは尋ねた。
 だが、レイヴは押し殺した口調で答えた。

「……死んだ。俺の所為でな」


 残酷なまでに静まり返った空間を、にわかに降りだした雨音が浸す。打ちつけ、責めるように。

 そうして、戻れぬ過去へと押し流すように――

×××××


 深い、どこまでも果てしなく広い、滴るような常緑の森を歩く。
 争いの歴史を重ねた国を、東西に隔てる境。

『――昔、ファンガムとヘブロンが紛争状態に入ったことがあった』

 従士時代を経て、騎士になったばかりだった数年前。
 レイヴは、同じ部隊に属していた親友リーガルとともに最前線でファンガム軍と戦った。
 しかし戦局は不利に傾き、友軍から孤立した小隊は、本隊への伝令と時間稼ぎのための反撃、二手に分かれる必要に迫られる。

『俺が反撃に出るから、おまえは本隊に合流して戦況を伝えろ』

 互いにそう主張して譲ろうとしなかった、両者の道は、騎士リーガルが決した。
 自分の方が、追撃するファンガム軍に勝てる見込みが多い、と。

『俺は、リーガルに従うしかなかった……』

 彼は、いつでも正しかったから。天賦の才を、心技ともに優れた強さを、レイヴ自身が誰より認めていたから。
 敵地に残して離れることが不安でも、どれだけ胸騒ぎがしようとも――信じるしかなかった。

『必ず戻る、先に行け』

 窮地をものともしない不敵な笑み、親友の揺るぎない言葉を。

 段取りどおり、本隊に状況を伝えたレイヴが援軍を率いて、押しよせるファンガム軍を返り討ちに。
 ほどなく両国間で、停戦協定が結ばれた。


『だが……奴は、戻らなかった』


 戦死した部下たちの亡骸はこの森で発見されたが、いくら探してもリーガルの遺体だけは見つからず――ただ、真っ二つに折れた彼の剣が、まるで墓標のように遺志を示すように、国境の大地に突き立っていたという。

 称えられる功績、異数の出世。
 祖国を護るため前線に留まり、戦局をくつがえして勝利をもたらした騎士は他にいるというのに、人々の賞賛はレイヴに向けられた。
 弔うべき遺体も回収されず、なにより平民出身のリーガルは、英雄譚の主役と見なされなかったのだ。
 実力主義を唱えながら、なお歴然と存在する階級社会の差別意識――


 溜め込んでいたものを吐き出すかのごとく、訥々と語られた、勇者の過去。
 辛い枷であると同時に大切な記憶であろう、それは、かつて英霊祭の帰り道に投げかけた疑問の答えのようでもあり。
 身の引き締まる思いで聞いていたクレアだったが、話はそれだけに終わらなかった。


「サルファで起きた、反乱の――黒幕と思われる男を、覚えているか?」
「あの、黒い騎士ですか?」
 脈絡なく感じられた問いに、クレアは訊き返す。隻眼の剣士を一瞬で死に至らしめた、漆黒の影が、脳裏に浮かんだ。
「あいつは」
 そこでいったん言葉を切り、目線を落としたレイヴは、思い詰めた様子でつぶやいたのだ。

「もしかしたら、リーガルかもしれない……」

 わずかに目にした流れるような剣技、なにより声が、親友に酷似していた。
 もし、彼が生きているのなら。
 あのとき自分だけが撤退したこと、理由はどうあれ敵軍に背を向けた身でありながら、のうのうとヴォーラス騎士団長の地位に納まっていること、すべて謝らなければならないと。

 想いを吐露したレイヴは、ふと我に返ったように微苦笑を浮かべた。

「……話しすぎてしまったようだな」

 なにか用があって来たんじゃなかったのか? バツが悪そうに尋ねる勇者に、クレアは静かに首を振ってみせた。
 話してくれてありがとう、おやすみなさいと言い残して。

 その足で、もしかしたら件の騎士に出会えるかもしれないと、一縷の望みをかけて赴いた森は――静謐に、雨の跡に濡れているだけで。


『……時は来る。いずれ……また会おう……』



 時折、フクロウの鳴き声が響くだけの、木々の隙間から夜空を仰ぐ。
 サルファで遭遇した黒衣の騎士が、確かにレイヴに突きつけた、含みある言葉を思い出す。

 死んだと思われていた親友が生還した、それは喜ばしいことだろう。
 けれど、生き延びていたというのなら。なぜヘブロンに帰らず、祖国にも脅威を与えるような反乱軍に関わっていた?

 なにより、あの男が纏っていた気の乱れ――数え上げればキリがない不自然さも、一本気な勇者にとって、リーガル生存の可能性の前には些末事のようで。

 示唆された再会に、漠然とした懸念が纏わりつく。

 来るべき “時” とは、なにを指しているのだろう?
 こうして進むべき道に迷う間にも、インフォスに残された時間は費えていくというのに――




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リーガルの遺体は見つからなかったのか。レイヴが親友の功績を主張しても、黙殺されたのか。副隊長の任には、素直に就いたのか……そこらへんの事情は、ゲームシナリオだけだと曖昧で、想像を巡らせるしかないですねー。