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◆ 真実の序章(1)


 ヨーストの海辺で過ごしていた、涼やかな日々に別れを告げ。
 クヴァール地方、ブルスト山脈に赴いたシーヴァスは、うだるような炎天の下――襲ってきた三匹目のケルピーを返り討ち、塵に還していた。

「……こうなると、腕が上がったという実感を通りこして拍子抜けるな」

 剣を鞘に収めつつ、しみじみとつぶやく。
 地を這うような冷気と、コウモリに似た赤い翼。
 同一種の妖魔に嵌められ――天使ともども溺死寸前まで追い込まれた、去年の夏から。
 日々欠かさなかった稽古と、旅の最中に潜り抜けた実戦の数々。
 ファルシオンより持ち替えたブロードソードの破壊力か、新調されたアーマーの防御力か、はたまた生気を吸われぬよう距離をとった戦法が、こちらの有利に働いたのか。
 獣道で出くわしたときは総毛立ったものの、刃を交えた女魔族に対して、かつてのような恐怖は感じなかった。

(しかし、ケルピーのどこが “巨大な人食いトカゲ” なんだ?)

 瘴気が霧散した宙を見やり、首をひねる。
 ティセナの説明にあった、この界隈で騒ぎを起こしている魔物の予想図と、氷を操る妖魔の姿はどうにも合致しない。
 まあ、目撃証言をかき集めているのは妖精で、それも又聞きの話が多いとなれば、たまにはガセネタが混ざることもあるだろうが、
「一応、頂上までは行ってみるか……」
 なんにせよ、事件となれば同行に来るかもしれないと密かに期待していた、天使とは会えず終いになりそうだ。
 シーヴァスは足取り重く、急勾配の坂を登っていった。


 勇者の悪ふざけに激怒した夜以来、クレアは、ぱったり姿を見せなくなった。
 平手の痕が消えるまで丸三日かかった。

 メイドたちに好奇の目で見られるわ、遊びに来たエディークから指差して笑われるわ。あの日、貴族議会のあと誘われた酒宴を断りきれなかった己を呪い、酔っ払いが寝酒を飲んでいる部屋に飛び込んできた彼女の、間の悪さを逆恨みもしたが――何に責任転嫁しようと後の祭り。
 とにかく謝らなければと “水の石” を介して呼んでみても、現れるのはローザとシェリーばかりで、
『クレア様は、ずっと調べ物に追われてお忙しいんです』
 と口を揃える。
 あまりにも普段と変わらぬ妖精の態度に、不埒者の所業は周りに訴えられることなく、クレア自身さほど気にしておらず、ただ単に多忙ゆえ顔を出せないのだと……思おうとした時期もあったが、なんの音沙汰もないまま数週間が過ぎては、愛想を尽かしての訪問拒否としか考えられなくなってきた。
 依頼を持ち込んできたティセナは、ある意味、決定打と言えよう。
 元より冷たい少女の態度に、あからさまな侮蔑が含まれているように感じたのも、ただの被害妄想ではなさそうだ。
(……代わりにティセナを寄こすほど、私と居るのが嫌なのか?)
 謝罪したくとも会いに行くことすら叶わない、つくづく生殺しの関係である――と、

「!?」

 こぼした溜息は、どおんと地を揺らした爆音に掻き消された。
 やはりケルピー以外の魔物が潜んでいたらしい。抜刀したシーヴァスは、山の頂まで一気に駆け上がり、
「うおッ?」
 空を裂くように飛来した影を、すんでのところで避けた。

「わー、ひゃあー? ラッシュ、助けてラッシュー!」

 我に返ったシーヴァスの視界に、ぎゃあぎゃあ悲鳴を上げながら逃げ惑う、ポンチョ姿の子供が飛び込んでくる。
「いい加減にしろ、このクソガキ! 食っちまうぞ!!」
 シャーッと威嚇音を発しつつ怒鳴ったのは、大蛇ともトカゲともつかぬ異形の爬虫類だった。
「だから、ガキって言うなあ!」
 地団太を踏んだ10歳そこらの少年が、魔物に向かって投げつけたブーメランは、太い尾に弾かれて明後日の方向に消えていった。どうやらアレが、さっき顔面を直撃しかけた飛行物の正体らしい。
「うわわっ?」
「勇ましいのは、けっこうだがな――」
 シーヴァスは、武器を失ってうろたえる少年と、猛り狂うモンスターの間に乱入した。
「子供の腕力で太刀打ちできる相手じゃない、さっさと逃げろ!」
 ブロードソードを盾代わりに爪撃を防ぎ、後ろでへたり込んでいる少年を一喝。親はどうしたと訊ねかけ、そこでハッと息を呑む。
 なぜ、こんな山岳地帯に子供が独りきりでいる? まさか、人食いトカゲと噂されるこの怪物に、
(両親を……?)
 浮かんだ懸念と冷や汗は、次の瞬間にはキレイさっぱり吹き飛んだ。
「みんなして子供扱いするなあぁー!!」
 驚嘆の表情から一転、頭から湯気をたてる少年の癇癪っぷりは、父母を失った悲壮感など微塵も漂わせておらず、安堵と同時に脱力してしまう。
 保護者の元に送り帰すためにも、とにかく眼前のモンスターをなんとかしなければ。
 敵を見据えたシーヴァスは、ふと胸騒ぎを覚えた。
 白刃を鷲掴みにした両の手からどす黒い血を流しつつ、ぎょろり眼球を泳がせる怪物に、奇妙な “余裕” を感じたのだ。なにか狙っているような、油断ならぬ目つき――

「……! 魔法か!?」

 勘に弾かれて仰いだ上空に、漆黒の光を放つ幾何学模様を見とめ、青褪めたシーヴァスがその場を飛び退くより早く、
「二人まとめて餌にしてやる!」
 にたりと笑んだ巨大トカゲの腹部は、ひらりと岩場の陰から躍り出た、二角の獣によって刺し貫かれていた。
「ラッシュ!!」
 草原に尻餅をついたまま、少年が歓喜の声を上げる。
 応えるように 「ぐるる……」 と低く吠えた、青い毛並みの獣は、例えるなら鹿の角を生やした狼だろうか? 見たことのない動物である。
「ぐっ……ジャックハウンド、貴様……!」
 今にも発動せんばかりに蠢いていた魔方陣が崩れ去り、致命傷を負わされたモンスターは、くぐもった声で呻いた。
 角が引き抜かれると同時に、ぐらり傾いで倒れ伏す。
「ジャック――なに? お兄ちゃんの名前? あいつと知り合い?」
 立ち上がった少年は不思議そうに、シーヴァスを質問攻めにした。
「私の名は、シーヴァス・フォルクガングだ。爬虫類と付き合う趣味を持った覚えもない」
「僕だって、ヤルルだよ」
 こんな怪物と戦ったの初めてだよと、虫の息で横たわるトカゲを遠巻きに眺める。
「なら、そこの青いののことだろう」
「違うよ。こいつの名前は、ラッシュだよ」
 蹄を鳴らして近づいてきた、自分の三倍はあろうかという巨獣の頭をなでながら、ヤルルは心外そうに首を振った。
「ね、ラッシュ。向こうにいた怪物はみんなやっつけたの? 助けてくれて、ありがとね」
 切り替えの早い子供らしく、すっかり上機嫌で連れらしき動物とじゃれている。その背後で、

「――お、のれ」

 瀕死のモンスターが、痙攣しつつ身を起こそうとするのに気づいたシーヴァスは、息の根を止めようと剣をかまえた。
「裏切り……者……め……!」
 しかし、絞り出すように叫んだが最後、そいつは力尽きたように動かなくなった。




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ヤルル少年。ラッシュがいるので通常戦闘は誰より楽にこなせました。
そのぶん、同行もせず妖精もつけずに放ったらかしていたような記憶あり……。