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◆ 私とワルツを(2)


 オレンジドレスの少女が会場を出て行った、20分後くらいにアーシェ様は戻ってきた。
「……騒がしいわね、なにかあったの?」
 まだざわめきが残るホールを見渡す、態度や口調はいつも通り。だけど、目元が腫れぼったい感じで赤くなっていた。根も葉もない噂に、悔し泣きしてたんだろうと思う。
 元婚約者が他の子に優しくしているところに、居合わせなくて良かったのか悪かったのかは、ちょっと判らない。

「噂の王子が御登場、だったんだよ。アーシェ」

 さっきまでベランダに出て、帰ろうとするビーシアさんと、引き止めに追っていった王子のやり取りを一部始終見ていたティセナ様は、なんだか物騒な笑い方をした。
『分け隔てなし、ってのもタチ悪いよね。度を越すとさ』
 つぶやいていた声の調子といい、ぴりぴり漂う不機嫌オーラといい、シーヴァス様に同行しているときとよく似ている――触らぬ神に祟りなし、とはこのことだ。

「出てきたの!? どこっ」
 噛みつかんばかりの勢いで、声を上げるアーシェ様に、
「向こうだけど……こんな隅から見てるだけじゃ、おもしろくないよね? せっかく来たんだから」
 さっきのゴタゴタをちっとも感じさせない人の良さそうな笑顔で、『この度はお忙しい中、私が主催したパーティーにお越しくださり』云々と、来客に挨拶回りをしている王子を眺めやった、
「気分転換にさ、ちょっと踊らない?」
 “キースさん” こと天使様は、にっこり微笑んで手を差し伸べた。



 くるくる、くるくる。メロディーに乗ってステップを踏みながら。

「ちょっと、ティセナ。あなたメチャクチャ上手いじゃない! 天使って、こんなことまで習うの?」
 興奮気味に、それでも周りの人間には聞こえないような小声で、アーシェ様が訊いた。
「習ったわけじゃないよ。子供の頃に少し、ね」
 ティセナ様も、囁いて返す。
 性格その他を知らない人からすれば、黒髪さらさら美少女と、文句のつけようがない美青年のカップルにしか見えない。そんな二人が、輪の中心で踊っていれば、もちろん目立つ。目立ちまくりだ。広間に居合わせた人々のほとんどが、彼女たちに注目していた。

「アーシェのお陰だと思うよ。リードが良くなきゃ、こうはいかない――さすが、って言うべきかな」
「ま、ダテに18年間も王女やってたわけじゃありませんから?」
 お互いの耳元でひそひそ会話している様子も、傍目には恋人同士に映るんだろう。

「ふふっ、気分いーい♪ こんなふうに踊るの久しぶりっ」
 なにはともあれ、ご機嫌ナナメだった勇者様はすっかり楽しそうだ。
「そう。それは何より」
 こういう場所は嫌いなのかと思っていた天使様も、けっこうくつろいでる感じがする。

「いやはや、これはなんとも美しい!」
「どちらの貴公子と姫君でしょう? 王家縁の方なのかしら」
「軽やかなステップ――お二人とも、まるで羽が生えているようですわね」
 あちこちから、感嘆の息が聴こえる。
 話題の “美しい姫君” が、さっきまで散々扱き下ろしていたファンガム王女だと知ったら、彼らはどんな顔をするんだろう? 想像すると、かなり可笑しかった。

「しかし、あれだけ見事なダンスなら……」
「おそらくミリアス様も、一曲お相手をと申し込まれるでしょうな」

 噂をすれば、なんとやら?
 貴族さんたちの話が耳に入ったのか、鮮やかなダンスが目に留まったのか、とにかく王子が近づいてきて、
「失礼」
 “キースさん” に対して、にこやかに断りを入れると、アーシェ様の踊りを褒め称えてダンスを申し込んだ。
「あ……」

 予想外の展開だったのか目をぱちくりさせて、窺うようにティセナ様を仰いだ、次の瞬間。

「初めまして、ミリアス王子。お会いできて光栄です」
 アーシェ様の瞳がきらーんと輝いた。にっこり笑っているように見せかけ、実はものすごく物騒な表情。なにやら、ティセナ様と以心伝心してしまったらしい。
「王子のお誘い、本当に嬉しいのですが――」
 ほんっとぉおーに、と強調しながら、しおらしく頭を下げたと思いきや、
「私には、パートナーがいますので!」
 彼女は、高らかに宣言した。
 王子を含む誰もが、断られるとは考えもしてなかったらしくて、広間全体がどよめいた。面目丸つぶれ状態のミリアスさんには、それ以上目もくれず、
「さっ、踊りましょ。キース!」
 アーシェ様は、パートナーの腕にべったり抱きついてみせたのだった。

×××××


 居合わせた人たちの視線をかっ攫って、主催者ミリアスさんの存在が霞んじゃうくらい、ひらひら華やかに踊り続けて。
 夜中の12時を過ぎたあたりで、
『さすがに足、痛くなってきたわ……』
『……化けとくの、そろそろ限界なんだけど』
 合意に達した勇者様たちは、休憩するフリしてベランダに出て、
『おじゃましました、っと』
 天使様の転移魔法で、誰にも目撃されずにとんずらした。
 一国の王子ともあろう青年に大恥をかかせた、美男美女カップルの謎は、この先とーぶん社交界で語り継がれるに違いない。
 ああいうパーティー会場で、ダンスの誘いを断るって、マナー違反もいいところなんじゃ? ……なんて野暮なこと、シェリーちゃん言わない。おもしろかったから。

 宿屋へと続く、帰り道。

「あー、おかしかった! 王子の、あの間抜け顔ったら」
 アーシェ様は、すこぶる上機嫌だった。執務室に戻って調べるまでもなく、蓄積してたストレスは吹き飛んでるだろう。
「ティセナ、あなたもけっこう悪ノリするのね」
 まあね、と肯いた天使様は、
「――で、どうだった? 元婚約者殿は」
 さっきから私も気になってウズウズしていたことを、さらりと訊き返してくれた。
「私には、ちょっと苦手なタイプだけど。好青年って感じだったよね」
「ええ? どこがよ。ぜんっぜん、たいしたことないわ」
 勇者様は、むすっと頬を膨らませて言う。
「ま、ルックスは基準値クリアしてたけど……でも……あの噂、気になるわね」
「気にしたら負けですよぉ? アーシェ様が王子をしつこく追い回してるだなんて、デタラメもいいところなんですから」
「そこじゃなーいッ!」
 間髪入れずに叫んだ彼女は、なにか丸いものを懐から取り出すと、遠慮なしに投げつけてきた。
「はみゃー!?」
 べしょりと命中したそれは、会場のテーブル皿から持ち逃げしたシュークリームらしかった。べたべたしたものが羽にくっついて動かせなくなって、
(うああ、落っこちる助けて〜!)
 と思ったら、
「反王家勢力がどうこう、ってヤツ?」
 ティセナ様の声がして、ぽすっと柔らかい衝撃があって、
「…………」
 とりあえず腕で顔をごしごし拭いてみると、私は、カスタードクリームまみれで天使様の手のひらの上にいた。
「そう、それよ。どうせ、くっだらない噂なんだろうけど……!」
 髪も上着もぐしょぐしょ、あんまりだ。この甘ったるい匂い、お風呂に入っても、すぐには取れないんじゃないだろうか。
「ファンガム、か――」
 勇者様は、はああと溜息をついた。
「……べつに……関係ないわ」
 いくら私が恨みがましい視線を向けても、すっかり物思いに耽っている彼女は気づいてくれそうにない。

「ティセナ様〜」

 悲しくなって仰ぐと、天使様は、よしよしと頭を撫でてくれた。
 補佐妖精のシェリーちゃんとしては、事件っぽい噂を聞いたからには、探索しに行かなきゃなんだけど。
(これの洗濯が終わるまでは、行ってあげないんだから!)
 やっぱり私とアーシェ様は相性悪いんだなあと、ささやかな反抗心を抱いた夜だった。



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婚約者がいるのに、年頃の女の子に声かけて舞踏会に誘ったりするなー! と、どついてやりたいミリアス王子。このシーンで振り飛ばすことに、罪悪感は湧きませんでした(笑)