NEXT  TOP

◆ 晴れ渡る空の下(2)


 その日も天使は前触れ無しに、とんっ、と窓辺に降り立った。
「出掛けるとこだった?」
「いや。別に急ぎじゃねえし、話があるなら聞くぜ」
 オレはちょうど朝メシを食い終えて、そろそろ宿を出ようかと荷物をまとめている最中だった。
「ううん、オールポーション渡しに来ただけだから」
「それだけかよ? ……暇なのか、おまえ」
 薬を受け取りながら茶化すと、ティセは半眼でこっちを睨んだ。
「水代わりに全部飲んでしまった勇者様へ、過密スケジュールの合間を縫っての特別補給ですが、なにか文句がお有りでしょうか」
「悪かったよ! だけどあれ、栄養ドリンクみたいなもんだろ? 苦くても冷えてりゃビールみてぇなモンだし、つい、さぁ」

 いくらオレが頑丈でも、真夏の炎天下を歩いてりゃ喉が乾くわけで。
 手元に常時ほどよく冷えてる飲料水があれば、飲みたくなるのが普通だろう。

「熱を弾くのは薬の性質だけど、だからって一週間もしないうちに使い切らないでよ! クレア様だって忙しいんだから四六時中、薬品調合してらんないし――フロー宮でも手に入るけど、ラツィエル様、ぼったくるんだから」
 腰に手を当て、ぶつくさとぼやいている。
 天界にも “えーぴー” とかいう、貨幣制度に似た仕組みがあるらしい――まあ、こいつらと話している限り、空の上とインフォスに極端な差があるとも思えないんだが、筋金入りの商売人や守銭奴の天使を想像してしまうと、それはそれで複雑だ。

「あー、なあ。このあと空いてるんだったら、ついて来ねえか?」
「だから暇じゃないって……どこ行くの?」

 ここ数日ずっと、機会があればティセも連れて、と考えていた場所だ。
「クルメナ、に」
 が、やっぱり止めとけば良かったかという気もする。
 ガキのくせに淡白っつーか放っとくと仕事ばかりしてそうな、こいつを “息抜き” に誘ったことは何度もあるが、今から行くのは、おもしろくもなんともない森の片隅だ。
「――死んじまった両親のさ、墓があるんだ」
 いや、もう十年近く放ったらかしにしていたんだ。どこに在るかは忘れちゃいないが、墓碑もなにも土に還っているだろう。いまさら足を踏み入れて、なにが変わるわけでもない。ただ、

『お墓があって、お参りにいけるって、大切なことだと思います』

 数週間前に出会った少女の言葉が、ぐるぐると耳元で回って離れなかった。

「ふーん……どういう風の吹き回しなんだか、明日は雨が降るかもね」
 ティセは特に難色を示すでもなく、窓の外を仰いだ。
「なんだよ、そりゃ?」
 別に、と肩をすくめる天使が物珍しがっているように映ったのは、オレの被害妄想だろうか?
「そうだね、ご一緒させてもらおうかな」
 ともあれ、墓参りには二人で出掛けることになった。

×××××


「ヒトなんて呆気ねえよなあ……死んじまえば、なにも残らねえ」
 予想に反して、丸太を縄で括っただけの十字架は、朽ちも倒れもせず記憶どおりの場所に立っていた。

 ビュシークの部下からオレたちを庇って、親父とオフクロが死んで。
 いったん逃げたけど、どうしても遺体をそのままにしておけずに途中で引き返して――妹と一緒に、泣きながら埋めた。

「このあたりはさ――昔は、樵の爺さんが住んでて、木の実や山菜なんかも採れて。オレたちには、いい遊び場だったんだ」
 傍らのティセは 「そう」 と相槌を打つと、また十字架に視線を落とした。
 柔らかい陽射しと、どこまでも広がる常緑。点々と咲いた、ピンクや白の花に覆われて、かつて炎に焼かれた跡は見えない。
 この森なら眠っていても寒くないし、うるさくないだろう。

(……にしても、怒ってそうだよなぁ)

 何年も顔を見せないと思ったら、裏家業なんぞに手を染めやがって。なに考えてるんだ、この馬鹿息子が。
 親父が言いそうな台詞がぽんぽん浮かんできて、オレは内心苦笑した。
 オフクロも、どこぞの天使と同じで説教好きだった。ごはんを食べる前には手を洗いなさい、とかなんとか――そういや、ちっとも守っていない。クレアの小言も聞き飽きたし、これから少しは気をつけるか。

(けどさぁ、最近は一応、人助けみたいなことやってるんだぜ? こいつが守護天使様ってヤツでさ)

 それから、あのクソ領主が生きてやがるって判ったんだ。
 悪魔と取引して、化け物になったんだとよ。ふざけるのも大概にしろって感じだろ?

「なにが “子供狩り” だ……!」
 思い出した端から腹が立つ。もし一人で来ていたら、見咎めるヤツがいなかったとしたら、どんな醜態をさらしていただろう。
「ビュシークは、オレが倒す。あんな女に言われなくてもな」
 頼まれたからじゃない、オレ自身の意志で、だ。
「炎を纏う、化け物。どっかで騒ぎが起きたら、必ず教えろよ?」
「知らせるけど、フィンもね」
「あん?」
「お父さんたちが守ってくれたから生きてるのに、フィンが死んだら、ホントになにも残らないじゃない――だから、私や妖精たちより先に、噂、聞きつけても――ひとりで乗り込んだりしないように」
 ティセは、その場に跪くと両手を組んで、目を閉じたままつぶやいた。
「息子さんが無茶しないように見張っておきますから、心配しないでください」
「バーカ、誰が負けるかよ」
 次は、仇を討ったって報告しに来なきゃなんねえのに。だいたい、いつも面倒見てやってんのはオレの方じゃねえか。
「…………」
 天使らしからぬ天使は、苦笑して返すと、しばらく墓碑の前でじっとしていた。

 なにを祈っていたのかは、もちろんオレには分からない。



NEXT  TOP

ビュシークの配下から逃げ惑う途中、まだ幼児だったカーライル兄妹に両親二人を運べたとも思えないので、力尽きた場所にそのまま埋葬した、もしくは遺体は別の場所にあるということになるんでしょうねえ。