◆ 幻の影(2)
久しぶりに教会を訪れた、その日の夜。
客室にいないシーヴァスを探して行き着いた先は、やはり礼拝堂だった。
「…………」
他になにをするでもなく、ただ絵を見つめている。
しばらく待ってみたが動きだす気配がないので、クレアは、気後れしつつも近づいていって声を掛けた。
「シーヴァス。ジェシカさんが、 お風呂が空いたからどうぞ、って」
「そうか。わざわざ、すまないな」
いったん振り向いたものの、また視線を元に戻してしまう。
彼の前方には、赤子を抱く天使の肖像。
「この絵、好きなんですか? ずっと眺めていらしたみたいですけど」
前々から、本人に聞いてみたいと思っていたことだ。今がチャンスかもしれないと、深く考えず尋ねると、
「好き?」
勇者は数瞬、虚を突かれたように固まった。しばらく黙考してから、やや頼りない口調で答える。
「そうだな。好き……なんだろうな」
「お母様の絵ですものね。私も好きです。あったかい感じで、何度見ても飽きませんから」
肯定が返ってきたことが嬉しくて、すっかり油断していたクレアは、
「両親の絵なのだから、世辞だとしても礼を言わなければならないところだろうが――なぜ君が、天使のモデルが私の母だと知っている?」
痛い点を突かれてしまった。
焦りうろたえた頭では、まともな言い訳も思い浮かばず、観念して白状するしかない。
「す、すみません、あの。以前、セアラを送って、ここへ来たとき……エレンさんとお話されていたのを、立ち聞きしていたんです」
「……つくづく馬鹿正直だな、君は」
こちらを一瞥して、
「これが誰の絵であるかなど、教会に出入りする者のほとんどが知っている。フィアナ・エクリーヤにでも聞いたと言えば、それで済むだろうに」
つぶやいたシーヴァスは、おもしろがっているような呆れているような、なんとも言えない笑みを浮かべた。
「君が近くにいるときは、なんとなく感じるからな……あのとき、そんな気がしていたよ」
「怒らないんですか? 勝手に聞いていたのに」
咎められるとばかり思っていたクレアは、肩透かしを食らった気分で訊き返した。
「別にな。もう、隠す気もない」
薄明かりに照らされたシーヴァスの横顔をそっと窺いつつ、考える。
それでは、やはり意図的に伏せられていたのか。
「好きな理由、か。どうなんだろうな。父親が描いた絵だからか、この絵自体の魅力か――とりあえず、眺めていると気分は落ち着く」
「お父様の作品なんですか? シーヴァスと一緒で、多趣味な騎士さんだったんですね」
美術のことはよく解らないが、素人が描いたものとは見受けられない。単純な感想を口にすると、
「いや。私の父は、騎士でもなんでもない。ただの、しがない画家だった男だ」
「画家……絵を描くことが、お仕事だったんですか?」
「意外か?」
勇者は、いつものポーカーフェイスを向けてきた。
「いえ、そんなに。シーヴァスには、そういう感受性に優れたところがあるって思っていましたから……」
切っ掛けは、いつだったか。
吟遊詩人の少年が奏でていた音色を、“物悲しい” と表現したことだ――あの場に居合わせた人々はおそらく、キレイな優しい曲、としか受け止めていなかったであろうものを。
それに、アストラル体を視認できること自体、秀でた直感力の証と呼べる。
勇者の中でも特に彼は、気配を殺しているティセナの存在さえ察知することが多く、妖精たちも驚いていた。
「まさか、君に私の感受性を褒められるとはな」
シーヴァスは、面映そうに目を細める。茶化されたように感じて、クレアは念を押した。
「真面目に言ってるんですよ? でも――」
任務の一環といえど地上で過ごしていれば、人間界の慣習も自ずと知れる。
「お父様が画家だったのに、どうしてあなたは騎士に?」
趣味や教養としてならともかく、貴族の家柄に生まれて、絵を描くことを生業とする人間はあまりいないだろう。
「……いろいろ事情があってな」
「どんな事情ですか? もし良かったら、聞かせてください」
ダメで元々、の勢いで食い下がると、
「つくづく君は、詮索好きのようだな……まあいい。天使になにを語っても、損にも得にもなるまい」
わずかに迷いを覗かせたあと、勇者は淡々と話しだした。
「事情というは、たいしたことじゃない。私の母が、大貴族の娘だったのさ」
「フォルクガング家の?」
「そうだ。私は母方の祖父に引き取られて育った。そこで家名を継いで騎士になったというわけだ」
「おじい様に、って」
先だって、ヨースト邸で顔を合わせた――正直、激怒していたイメージばかりが焼きついて、容姿などに関してはおぼろげな記憶しか残っていないが――あの人物に引き取られた、ということは。
「ご両親は、今は」
「私が8歳のときに死んだ。二人とも……ヨーストの大火でな」
遮るように問いに被せて、シーヴァスは答えた。
「母が、父と……貧乏画家と結婚すると言い出したとき、祖父はもちろんのこと、周り中が大反対したそうだ。特に、母を連れ戻そうとする本家の人間は、行く先々で、父のことを “人攫い” だと吹聴していたらしくてな……ヴォーラスに居られなくなった二人は、駆け落ちも同然に国を出て、縁あってタンブールの教会に匿われることになった」
礼拝に通っていたヴォーラス大聖堂の教母が、シスターエレンと親しかったのだ、と言う。
「……私は、ここで生まれた」
当時に想いを馳せるかのように、宙をさまよう金の双眸。
「それから5年が過ぎた頃――祖父との和解を望んだ両親は、私を連れてヘブロンに戻ったが、石頭のジジイは話し合いにすら応じなくてな」
挙句、天使に危害を加えた、救いようのない頑固者だと舌打ちして、
「少し離れたヨーストで暮らすようになって、だが……その街を、原因不明の大火が焼き払った」
また、見るともなしに絵を仰いだ。
「祖父の、父に対する憎悪は凄まじかったよ。我が子を奪って不幸にした挙句、殺した男、だと――今でも変わらないどころか、悪化する一方だ。死んだという事実だけでは腹の虫が収まらなかったようで、父の作品があると聞けば、どんな値段だろうが、どこに飾られていようが金に糸目をつけず買い取って、ひとつ残らず炎に投じてな」
「そんな……」
語られた様を脳裏に思い浮かべ、クレアは呆然と目を瞠る。
娘と、その伴侶の遺品。残された孫にとっては、両親の形見であろうものを、わざわざ探して焼いたというのか?
「お母様は、お父様やシーヴァスと一緒にいるのが幸せだったんでしょう? 原因が火災だってことは、おじい様もご存知なんですよね? それなのに、どうしてそこまで」
「さあ? 復讐というヤツかな――あの男が考えていることなど、解りたくもないが」
投げやりな口調。
諦めにも似た失望をそこに感じ、ますます、なんと相槌を打てば良いのか分からなくなった。
彼は、祖父に歩み寄ることを放棄している。
「そんな異常な執念から、たった一枚、逃れることが出来たのがこの絵だ。シスターは絵を売り渡さず、さすがの祖父も世間体を気にしたんだろう、教会には手出しできなかった」
(世間体……なの?)
死んでしまった娘の面影を宿す絵だからこそ、焼けなかったんじゃないんだろうかと、クレアは思う。
けれど、わからない。そんな激情を、自分は知らない。
親も子もない天使には、到底、理解の及ばぬ話? だから彼も、こうして訊かれるまで教えてくれなかった?
「今では、この絵が――この世界に両親が生きていた、唯一の証というわけさ。これ以外はもう、なにも残っていない」
混乱して黙り込んだクレアを見とめ、勇者は微苦笑を浮かべた。
「……話し過ぎたようだな」
こちらの肩を軽く叩くと、先に立って歩きだす。
「出よう」
さっさと風呂を済ませなければ、またジェシカに因縁をつけられるだろうしな――うそぶくシーヴァスの軽口も、立ち尽くす天使の耳にはほとんど届いていなかった。
天使の絵(2)、(3)まとめて進行。ゲームシナリオの台詞そのまんま。シーヴァスの過去に関しては、ちょっと捏造です。ヨースト生まれのヨースト育ちじゃ、タンブールと縁が無さ過ぎると思うので……。