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◆ 魂を蝕む痣(1)


 老竜の助言を受けて訪れた、シュランクの森に神獣の姿は無かった。
 ただ、残り香があった。
 確かに天界に連なる何者かが、長期にわたり留まっていたと感じさせる、郷愁にも似た空気。

 探索続行を申し出てくれたローザに、後を託して。
 タンブールの教会に立ち寄り、長椅子にかけて、礼拝堂の絵をぼうっと仰ぎ見る。

(また空振りになるの、かな……)

 片鱗に触れても、すり抜けていくもの。
 核心に近づこうと足掻くほど、道を誤って、同じところをグルグル回っているだけのような気がする。
 インフォス守護の任務が長引けば、それだけティセナや勇者たちの負担が増える。
 こうしている間にも、残された時の砂は流れ落ちていくというのに。

 混乱を未然に防ぐことも叶わず、駆けつけた事件現場ではその場凌ぎの対処ばかり――挙句、感傷に囚われてシーヴァスに八つ当たりときた。
 気まずさのあまり、まだ、忙しさにかこつけて謝りにさえ行っていない。

「うー……っ」

 ここに来れば頭を冷やせるかもしれないと思ったけれど、結局は己の問題。
 動かなければ始まらないのだ。
 とにかく気分を切り替えよう、台所の手伝いでもして来よう――やや後ろ向きな結論に至り、立ち上がろうとした矢先、ばたんがたんと玄関の方が騒がしくなった。

「おい、誰かいるか!?」

 次いで聞こえた大声に、どんどん扉を叩く音。
 なにぶん年季の入った建物であるから、あまり乱暴に扱われては壊れてしまう。クレアは、眉をひそめ出迎えに走った――が、こちらがドアノブに手を掛けるのを待たず、外から扉が蹴り開けられて。
「危な……ッ……」
 正面衝突する寸前、どうにか互いに踏みとどまった。黒い短髪に、鍛え上げられた長身の。
「――あ、れ?」
 男が誰だったか思い出す間もなく、
「あーっ、クレア様!? ちょうど良かったです教会にいらしたんですか大変なんですよぉー!!」
 飛びついてきた小さな紅色が、補佐役の妖精であること。
「え? シェ、リ……って……フィアナ!?」
 客人の背に負ぶわれたまま、昏睡している勇者の姿に気づいたクレアは、あわてて彼らを中へ招き入れた。




「あなた、フィアナのお友達さんかい?」
「友達……っつーか、賞金稼ぎの同業者です」
「そうかい。ありがとうね、あの子を連れてきてくれて――」

 沈んだ声音のシスターと剣士の会話が、寝室の窓越しに聞こえる。

 突然の来訪者は、ロイ・ヴァンディーク。前に一度、交易ギルド本部で顔を合わせたことがある青年だった。
 たまたまフィアナが倒れたところに居合わせ、ここまで運んで来てくれたらしい。

「カノーアで、賞金首の合成獣と戦って……けっこう楽勝だったんです。でもそれから、しばらくして咳が止まらなくなっちゃって」
 妖精の報告を聞きながら、ベッドに寝かせたフィアナの身体を締めつけている鎧を、順に取り外して、
「……痣?」
 気道を圧迫している服も脱がせようと、襟元にかけた手が思わず止まる。
 普段は布地の下に隠れて見えない首筋に、刀傷にしては不自然な痕があったのだ。やけに鮮明な、赤黒い――文字のようで、羽をもぎ取られた蝶にも見える。
(これ……どこかで……)
 記憶に引っ掛かりを感じながら、深く考えず指先を伸ばすと、いきなり熱した鉄を押し当てられたような激痛に見舞われた。
「! 呪詛、だわ――」
「ええっ?」
 ばっと引っ込めた手に自ら回復魔法をかけつつ、動揺は押し殺し、うろたえる妖精を問い質す。
「シェリー、敵は魔族だったの? 彼女に、どういう攻撃を?」
「は、はい! そうだと思います。フィアナ様が止めを刺したら、死体ごと消えちゃいましたから……けど、戦うときは力技で暴れるだけって感じで、魔法なんてなにも」
 いや、それと判らぬうちに呪いをかけられた実例は、少なからず文献にある。
 だが術者が息絶えたなら、その効力も必ず失せるはずだ。

 難なく勝てた、と彼女たちに思い込ませ――死んだとみせかけて、逃げたのだろうか? そのモンスターは。

「あっ、そういえば……そいつ、最期に気になること言ってました。フィアナ様のこと、呪われた勇者だって」
 必死の形相で、シェリーは言葉を続けた。
「それから、ええと……アポ……ル、オン? が、どうのこうの……」


 破壊するもの。

 それは “奈落の王” の呼び名。

×××××



「エレンさん、ちょっといいですか」

 瞬時に蒼白になったクレア様は、ベッドサイドから身を翻してシスターを呼びに走った。
 彼女の取り乱しようにギョッとして、
「ああっ、ダメです、男性は立ち入り禁止! いま、フィアナを着替えさせてる途中だったんです」
「そ、そうか」
 一緒について来ようとした長身の剣士さんは、寝室に飛び込む寸前で、赤くなって回れ右をした。

「どうしたんだい? ……フィアナの様子が、またなにか」
「いえ、容態は変わらないんですけど」
 落ち着かなきゃと、自分に言い聞かせてるみたいに深呼吸して、
「彼女は、子供のときに両親を亡くして、教会に引き取られて育ったんですよね?」
「なんでも、通り魔の仕業だったらしいんだけどねえ――犯人は見つからず終いで。血塗れの事件現場に、ひとり無傷で生き残っていた、この子を、村人は理由もなしに気味悪がって――誰も身元を引き受けようとしなくて。それで、私のところに相談が来たんだよ」
「首筋に痣が出来たの、いつ頃だったかご存知ですか」
 うなされている勇者の手を握りしめて、板張りの床に膝をついたクレア様の、
「それかい? ここに来たときにはあったから、5歳より前かねえ。生まれつきなんじゃないかと思うよ。目立つ大きさだろう? 同世代の男の子がからかうもんだから、本人も気にしてね。いつも服で隠していたんだ」
 質問に、シスターは戸惑った様子で答えた。
「そういえば、昔……フィアナを診てくれた高僧が、その痣が病の原因だと言っていたけれど。肝心の治療法は見当がつかないと、結局、匙を投げられてしまって」
 沈んだ調子でつぶやいて、そこで、弾かれたように顔を上げる。
「もしかして、なにか心当たりがあるのかい? クレアさん。やっぱり、この子が具合を悪くしているのは、体質じゃなくて病気なのかね」
「ええ。この痣は、毒素が形になったもの――生まれつきなんかじゃ、ないんです。潜伏期間の長い、病魔が、彼女の中に巣食って――ずっと身体を蝕んで」
 硬い声音で肯いた、クレア様の背中には、沸騰して噴きこぼれそうなピリピリした空気が漂っていた。
「エレンさん。お願いしたいことがあります」
 きゅっと唇を噛んで立ち上がると、アイテム入れに使っているポーチから、薬瓶を取り出す。
「これを30分おきに、フィアナに飲ませてください」
 なんだろうと思って見ると、なんの変哲もない、体力回復薬のオールポーションだった。
「凝縮した水薬ですから、服用量は一口ずつで充分です。それと、意識が戻るまで、傍にいて……たくさん話しかけてあげてください。楽しい思い出話や、なにか、彼女が好きで元気の出そうことを」
 次から次に指示するクレア様の手から、
「投薬以上に、本人の気力が病状を左右します。心配かけてしまうでしょうけれど――遊びに出掛けている子供たちも、帰ってきたら寝室に集めて。とにかくフィアナを、一人きりにはしないでください。リオやエミィなら、交代で、看護の手伝いも出来るでしょうから」
「ああ。この子の身体が治るなら……もちろん、薬も欠かさず飲ませるよ。だけど」
 縋るように小瓶を受け取って、シスターは、眼鏡の奥の目をきょときょとさせながら尋ねた。
「どうしたの、クレアさん。どこかへ行ってしまうのかい?」
「彼女の痣を、病原体ごと消し去るために必要なものがあるんです。今から、取りに行きます」
 返ってきた答えに納得したようで、それでもまだ心細そうに、
「それがあれば、フィアナは助かるんだね? ……分かったよ、この子は私が診ているから。早く帰ってきておくれよ」
「はい」
 肩を落としている老女を、励ますように微笑みかけて。
「――すぐ戻りますから、フィアナ」
 少しはだけた胸元を不規則に上下させながら、ぐったり横になっている勇者の耳に囁いて、クレア様は外へ向かった。


(う、えーっと……私は?)


 なにをすればいいのか分からなくて、フィアナ様の枕元にくっついたままで居ると、
「建物の中じゃ、魔方陣の効果が鈍ってしまう――近くの湖まで、移動するわ。立ち会って、シェリー」
 人間には届かないような、小声で呼ばれた。
「はい! って、魔法……陣? どうするんです、これから?」
 私が急いで追いかけている間に、クレア様は、ドアの横に放ったらかされていた勇者の荷物から、さっとブロードソードを抜き取っていた。
 その動作はとても自然で、ほとんど物音も立てなくて。
 すっかり養い子の容態に気を取られている、シスターは気づかなかったみたいだけど、
「おい」
 締め出されてから帰りそびれて、律儀に廊下で待っていたらしい剣士さんが、不審顔で見咎める。
「……いったい、どこに行くつもりなんだ? そんな物騒なもの抱えて」
「フィアナの治療に、必要なものを作りに」
 クレア様は、さっきと同じような台詞を繰り返した。
「遅くても、五、六時間で戻れると思うんですけれど――森を通って、少し、遠くまで行かなくちゃいけないから。護身用です」
 鞘ごと持ち上げられた長剣は、こうして彼女の手にあると、急に頼りない感じがするっていうかオモチャみたいで。
「街に用があるんなら、馬車を呼ぶぜ? それとも薬草かなにか、取って来るだけなら俺が」
 プロの賞金稼ぎからすると、見るからに危なっかしく映ったんだろう。
 あれこれ尤もな提案をしてくる剣士さんを、
「ありがとうございます、でも……私が直接行った方が、話が早くて済むと思うんです」
「ああ、そっか。医学生なら、病院にもツテがあるんだよな? 代理だからって、俺みたいなのが押しかけたら胡散臭がられるか」
「そういう訳じゃないんですけど。ほら、やっぱりヴァンディークさんだと、彼女の病状を専門用語では説明できないでしょう?」
 やんわり言いくるめて引き下がらせると、クレア様は、真剣な顔つきで切り出した。
「その代わり――ひとつ、お願いがあります」
 とっさに身構えた彼に、そんなに難しいことじゃないんですと苦笑を向ける。
「私が帰ってくるまで、居てあげてくれませんか? ここに」
「居ろ、って? なに」
「この教会、シスターの他には小さな子供ばかりで。みんながフィアナに付きっきりになったら、お客さんが来ても、空き巣に入られても気づかないくらい無用心なんです。男手があると助かるって、聞きますし――フィアナのお友達さんなら、もっと安心ですし、ね?」
「いや、だから友達って……」
 剣士さんは、なにやらブツブツ言っていたけど、すぐに 「分かった」 と請け負ってくれた。




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シスターの語り部分は、忠実に再現するとゲームそのままになってしまうので、ごっそり省略です。天界/ガブリエル様との会話もすっ飛ばし、堕天使と直接対決〜。