NEXT  TOP

◆ 侵蝕する病魔(1)


 奥の病棟へ入るには、殺菌剤を浴び、パリパリ乾いた白衣に着替える必要があったが。
(……面倒くせえな)
 天使が戻るまでロビーで暇を持て余しつつ、イダヴェルと並んで待ちぼうけ、なんて状況こそまっぴら御免だ。なによりティアズから来たオレが、万が一にも病原体なんぞくっつけていたらシャレにならない。

 アレン・リトリーヴと名乗った医者に六階へ案内され、辿りついた部屋の扉を開けると、
「この子は、ナナ。流行初期に入院した患者です」
 ピートたちと同年代だろう、赤毛の少女が清潔そうなベッドに横たわり、昏々と眠っていた。
「クレアさんは、医術の心得があるんでしたね?」
「ええ、まだ研修生ですけど」
 なるほど、と頷いた男にうながされるまま、そっと枕元へ回り込んだクレアは、
「お知り合いにも、同じ症状が見受けられましたか?」
「はい。でも……ヤルル君は、まだ感染したばかりなのに。この子より、少し病状が悪化していたように思えます」
 慎重な手つきで少女の脈を取り、首筋に触れ、声を潜めて答える。
「そうですか。あなたは?」
「素人のオレに分かるかよ」
 こっちにまで話題を振ってきた医者に、そっぽを向いて返すと、横からティセに肘鉄を食らった。


 あまり長居しては、患者が物音に目を覚ましかねない、と待合室へ場所を移し。


「ナナは、孤児院育ちでして。他の子にまでうつっては面倒を見きれないからと、発症してすぐ医師協会に運ばれてきたんですが」
 テーブルを挟んで向かい合い、ソファにかけたオレたちに、
「ここへ来てから、病状の悪化は止まりました」
「なに?」
「治りはしない。けれど、それ以上身体を毒素に蝕まれることもない――微風邪のような状態がずっと続いています。今では、後期に感染した子たちより、よほど容態が安定している」
 棚から取り出した地図を広げた、アレンは単刀直入に切り出した。
「患者は子供ばかりですから、たいてい自宅で看護を受ける。入院するにしろ最寄りの病院です。金銭だけでなく心情的な問題もあって、ナナのように故郷を離れ、生活環境を変えるものは稀だ」
 クレアは真剣な面持ちで、医者の説明に聞き入り。
「そこに特効薬を作る鍵があるのでは、と考えまして。数年前に流行った、同病の発生分布図と――現在、報告が集まっている地域を比較検証しました」
 身を乗りだしたティセは、ペン先で示される区々を目で追う。
「たとえばキンバルト領内ですが。まずシュマック、エスタージに続いてカプリオ、トリニテ、今回新たにアルプとティアズでも患者が確認されました……が、ノバ、ニーセンは今のところ影響を逃れています」
 オレには専門外の話題、ちんぷんかんぷんだが。
「ウイルス性の空気感染ならば、広まる順が明らかにおかしい。病に侵された地域こそ異なりますが、これは数年前も同様でした」
 それでも赤線が不自然に途切れている部分は、はっきり見て取れた。
「さらに注目すべきは――数日の時間差はあれど、同じ集落で暮らす子供が例外なく発症している中で、何故か、生後間もない乳児だけが発病を免れている点です。赤ん坊ゆえの耐性か、他の要因かは判りませんが」
 言い添えたアレンは、だから、と続けた。
「その土地でしか口にしない、食物が感染源ではないかと……各地の特産品を取り寄せ、毒素が含まれていないか調べているものの、現時点ではすべて空振りに終わっています。消去法で行き着く可能性もありますが」

×××××


 話を聞き終えた、クレアは 「私も調査してきます」 と飛び立っていった。
 本来タンブール近郊を担当している女勇者、フィアナ・エクリーヤは病み上がり。
 キンバルト中央部にシーヴァスが待機しているから、特効薬が開発されたときの伝達役として、医師協会に残ってくれと頼まれたオレたち。

 ――というよりオレは。
 医者が言うところの 『感染源かもしれない食材』 を調達すべく、体よく運搬係として扱き使われていた。
 消毒くさい建物に引きこもっているよりマシだろうと、ティセに提案されたわけだが……どいつもこいつも天下のベイオウルフ頭目を、なんだと思ってやがる。くそったれ。

 夕方、実験室へ荷物を運び込んだとき。アレンは椅子にもたれ、ぐったり両腕を垂らしていた。
(まーた、成果ナシかよ)
 進展の無さには苛つくが、こいつが真面目に対処していることくらい、近くで眺めてりゃ分かる――まさか、解決まで一睡もするなと強いる訳にもいくまいし。せめて、作業のジャマは自重すべきだろう。
 黙って退室しようと踵を返しかけ、そこで本棚の上に立てかけられた一枚の絵に目が留まった。
「……おい。誰なんだ、こいつ」
 左端に描かれた、アレンの容姿からして4.5年前の代物だろうか。
 緑と金に彩られた木漏れ陽の中――中央と、右側。二十歳そこらの男女が肩を寄せ合い、穏やかに笑っている。
 ああ、と首をこっちに向けた、男は困り顔で苦笑した。
「ライザ・リトリーヴ……私の妹です。生き写しというほどではありませんが、似ているでしょう? クレアさんに。先ほどは、心臓が跳ね返るかと思いましたよ」
「いや、それもそうだけどよ」
 唖然と見上げた額縁の中、リトリーヴ兄妹の傍らにたたずむ銀髪の男は。
(おいおい、ちょっと待てよ。ディアンじゃねえか!?)
 ソルダムで出くわしたときより年若い印象だが、間違いなくあの野郎だ。
「妹さんたち……も、医師協会で働いているんですか?」
 おずおずと訊ねたティセに、
「いいえ。ライザは、五年前――この疫病に治療法が無かったため、死にました」
「大人でも感染することがあったんですか?」
 病魔に侵されて命を落としたわけではありません、と呟いた、アレンは静かに絵の真ん中を指す。
「彼は、ディアン・アルヴィース。オルデン医師学校を卒業した、私の後輩に当たります。ライザとは、恋仲であると同時に……医者と助手で」

 流行り病が蔓延する村のひとつに赴き、懸命に治療を施したが、原因さえ突き止められず。
 子供たちは次々と死に至り。
 当時、大勢の患者を前に成す術を持たなかった、医師協会への批判・悪評は散々なモノで――村人へ親身に接してきた、彼らも例外ではなかった。
 手探りで治療を続けるにも限界がある、いったんタンブールに戻れと、アレンは何度か迎えに行った。
 事件が起きる数日前には、ディアンも諦め、長期滞在を切り上げようとしていた。

「けれどライザは、逆に彼を説き伏せ……村に留まり続けました。子供たちを、なんとか助けてあげたいと言って」
 アレンは、深々と息をつく。
「我々は医者です。助け得るものなら、とっくにそうしている――治療を投げ出したくないからといって、自分が死んでしまっては元も子もないでしょうに」

 ある日また、患者の少年が息を引き取り。
 我が子を失い錯乱した、母親は、ディアンに包丁で斬りかかった。
 ライザ・リトリーヴは、恋人を庇って死んだ。
 心臓を一突きにされていたから、あまり苦しまずに済んだろうと、語るアレンの声は諦念に満ちていた。

「……優しい、けれど向こう見ずな子でした。まったく、残される側の気持ちを少しは考えてもらいたいものです」

 亡骸を抱え、雨ざらしに旅路を経て。
 恋人の兄を訪ねてきたディアンは、涙も涸れ、表情ごと死んでしまったように映った。
 ライザの遺体を葬った、墓地で―― “この世には、理不尽な死と生があるのだ” と――独り言のように、つぶやいた。

「極端な思考に陥るんじゃないと、諭しましたが……あのとき欠片でも、彼に届いていたのかどうか」
 風の噂に遠い地で、医者を続けていると聞いた。
 墓標には、年に幾度となく不定期に、ライザが好きだった百合が供えてあるから、確かに生きているんだろう。けれど、
「私の前からは――その日以来、ふっつり姿を消してしまいました」
 再び忌まわしい病が鎌首をもたげた事態に、どこで何を想っているのかと、アレンは肩を落とす。
「……すみません。初対面の方々に、こんな話を」
「いえ。訊いたのは私ですから」
 首を振ったティセが、複雑そうにオレを窺い。
 なんとなく天使の考えていることが分かって、曖昧に頷く。
 ソルダムで昔、クレアがやらかした “無茶” は――ディアンには、心臓が跳ね返るどころの騒ぎじゃなかっただろう。



NEXT  TOP

とっさに身体が動いちゃったんだろうなぁ、とは思います。だけどライザ嬢の行動、優しいぶん最悪に残酷ですね。残された側はたまらないですよ、やっぱり。