◆ 侵蝕する病魔(2)
病床のヤルルは日増しに食欲が衰え、時間帯を問わず、ぐったりと昏睡しているようになり。
タンブールから舞い戻ったクレアは地図を手に、時折、神獣に指示を出してはキンバルト――さらにクヴァール一帯を調べ上げ。
再会から四度目の、夜が明けようとしていた。
ふと目が覚め、顔を洗いに部屋を出たシーヴァスは、隣室の扉から漏れる灯りに気づいて声をかける。
「……あまり根を詰めると、体調を崩すぞ」
ランプを消し忘れ転寝しているのかと思いきや、夕食後に見かけたときと変わらぬ姿勢で机にかじりつき、
「シーヴァス? おはようございます」
「おはようじゃない、少しは眠ったらどうなんだ」
所狭しと広げた紙面にペン先を走らせていた、クレアは、咎めに曖昧な笑みを浮かべた。
「これくらい平気ですよ。私は、人間じゃありませんから」
天界と地上では時流が異なる――それは単純に事実なんだろう。虚勢めいた響きを微塵も含まず、返された台詞が、なぜか無性に癇に障り。
「調査は、医師協会も行っているんだろう?」
近づいていって覗き込んだ彼女の手元、記された言語は天界のものらしく、医学知識云々以前に読むことさえ出来ない。
「ええ、食物に含まれる毒素が関係しているようなんですけど……ジャックの嗅覚では、大陸全土が、うっすら同じ匂いに覆われているとしか分からなくて。発生源の見当がつかないから、とにかく順番にでも探さなきゃ……」
険しい表情でつぶやいた、天使は再び、地図との睨み合いに戻ってしまった。
疲れ果てるまで止めそうにないなと判断した、シーヴァスはいったん自室へ戻り、
「気分転換くらいは必要だろう?」
半ばあきらめに似た気分で、紅茶を淹れたカップを差し入れる。
すみません、気を遣わせて――とバツが悪そうに受け取ったクレアは、ふうっと表情をほころばせ。
「……あったかいです。いい香り」
白磁に唇をつけた、とたん眉をひそめ。湯気たてる水面を睨み据えた。
「どうした? 少し熱すぎたか」
ヨースト滞在時の “湯あたり騒動” を思い返し、舌を火傷でもさせてしまったかと懸念する、勇者には答えず。
「もしかして……」
立ち上がった彼女は、ティーカップを置くなり両手で地図を掲げ、こぼれんばかりに瞳を見開き。
「お、おい?」
弾かれたように踵を返すと、ひどく慌てて外へ飛び出していった。
ただごとならぬ様子に後を追ってみれば、天使は、村外れの川岸にしゃがみ込んで水流に両手を浸している。
おぼろにゆらめく淡緑の輝きに、いったいなんの魔法を――と訝しんだシーヴァスが問うより早く、透明なせせらぎが左右約50メートルにかけ、突如、焦げ臭い霧となって蒸発した。
振り返ったクレアは、絶句して立ち尽くす勇者を見とめ、
「ありがとうございました、シーヴァス!」
感極まった面持ちで駆けよった勢いのまま、ためらいもなく抱きついてきた。
「な!?」
胸元に飛び込んできた天使を、反射的に受け止めたシーヴァスだが、想定外の事態にガラにもなくうろたえ硬直する。
女性を抱き寄せるに関してはともかく、こんなふうに飛びつかれた経験は皆無に等しい。
(なにが……どうなったというんだ?)
さっぱり訳が分からないまま、とにかく落ち着かせろむしろ落ち着けと己に言い聞かせ、ぎくしゃくとクレアの肩に手を回しかけるが――
「そうだ、ティセ! ローザたちも呼んでこなきゃ」
はっと声を上げた天使は、こちらの動揺などおかまいなしにスルリと身を翻し、宿へと走り去っていった。
「…………」
伸ばした腕は、すか、と空しく宙に浮き。
すこぶる不機嫌かつ首まで真っ赤に染まり、その場に取り残されたシーヴァスの姿を、目撃する者がいなかったことは幸いだったのかどうか。
召集をかけたティセナと妖精を前にして、彼女は告げた。
「感染ルートは、河川よ」
確信を込め、机上の地図を指差しながら。
「リトリーヴ医師が話していた、疫病の未発生地域には――近くに湖を始めとする水場があって」
感染区を示しているらしい、赤線と。
逆を表す、ごく限られた青い楕円。
「逆に、患者が続出している町や村では……元を辿れば同じ泉の支流に、生活用水を頼っているわ」
地形と照らし合わせてみると、水源は、天使の言葉どおりに分布していた。
「毒素そのものは弱くて、軽く沸騰させただけで無害化するけど。知らずに毎日、川から汲んだ水を飲んでいれば、少しずつ体内に蓄積していって――子供の免疫力じゃ耐え切れずに、発症してしまうんだわ」
「それじゃ、なんでか赤ちゃんだけ疫病にかからないっていうのも」
「赤ん坊には、普通、生水を飲ませはしないからな」
シェリーの疑問に応じつつ、考える。
母乳もしくは加熱した家畜の乳であれば、毒が分解されているから摂取しても問題ないということだろう。
「クレア様。水脈を逆流した線が、交差する場所はどこに?」
「オフランド山地よ」
すっと示された地点は、クヴァール北部。
「人災か天災か――とにかく病の元になった “なにか” が、その周辺にあるということですね」
うなずいたティセナが、アイスグリーンの瞳を眇め一同を見渡す。
「三方向から、挟み撃ちといきましょうか」
×××××
「グリフィン様ぁー!! 疫病の原因、判りましたよっ――あのですね」
「怒鳴らんでも分かったっつーの、川なんだろ?」
早朝。
「いいトコに来たよ、おまえら! 生水禁止って書いた医師協会のビラ、あらかた刷り上ったから担げるだけバラ撒いて来い」
タンブールまで飛んでいった私たちを、一瞥した勇者様は、
「アルプ付近にはシーヴァスがいるんだったよな? イダヴェルの奴が家臣連中を遣ったから、タンブール界隈も外していい。手分けして、南大陸の両端――ガルフやノバ辺りから頼むぜ」
「え、う、ちょっと待ってくださいよ」
「んだよ? ……この緊急時に戒律が云々ゴネやがったら、摘んで捨てるぞ猫娘」
早口でまくしたてながら、横目でこっちを睨んだ。
「そうではなくて! なぜ、ご存知なんですか? 感染源が川だと」
「なんでって、あの手紙――クレアたちが書いたんじゃねえのか」
「手紙?」
遮るローザと一緒になって、首をひねる私。
「昨日の夕方、リトリーヴ宛に届いてたんだよ。生物毒で、伝染ルートは各地の生活水だ――沸騰させて飲むよう報せてくれって、差出人不明の手紙がさ」
グリフィン様は、どさっとビラを束ねながら言う。
「血清が取れるかもしんねーから、毒を垂れ流してる動物とっ捕まえて来るって書いてあってよ。オレはてっきり、あいつらが郵便受けに放り込んでったのかと」
「クレア様も、生水が危険だと仰ってましたけれど……判明したのは、今朝方ですし。お二人とも、勇者様への連絡は私たちに任せて現場へ急行されましたよ」
じゃあ、誰が出した手紙なんだろう?
インクの匂いが充満した空間に、もやっと漂う沈黙。
「まあいい、結論としちゃ同じなんだろ? それでオレに、どうしろってんだ」
「うわっ、はい! ビラ配りは私たちがやりますから、グリフィン様は、該当の河川沿いにオフランド山地へ向かってください」
「植物ならともかく動物が元凶だった場合、あちこち移動している可能性も考えられるから、見逃さないようにと――シーヴァス様も一足先に、キンバルトより移動中です」
分かった、と肯いたグリフィン様は、朝陽が差し込み始めた窓を勢いよく開け放った。
「やることがハッキリするってのは、ありがたいモンだな」
ディアンの固有イベントは、なんだか話を膨らませやすいです。元の主題が重めだからか……管理勇者にしたら、連載ストーリーも大幅に変わっていたかもしれません。