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◆ 毒の泉(2)


 ありったけの紙に刷り終えた警告文を、総出で各地へバラ撒き――壁時計が正午を告げる頃には。

 『感染区域で採取された河川水に、含まれる毒は、半魚モンスター・エムプーサのものだ』と。

 突き止めたアレンたちが実験室にこもり、ほどなく、オフランド山地へ赴いていた天使も確証を得て帰還。それを受けた医師協会のスタッフは、不眠不休で血清作りに励んでいた。
 紙運びの次は、各地から輸送されてきた “サンプル” を担ぎ。
 港と協会本部の間を何十回と往復させられたオレだったが、肉体労働はともかく薬剤に関しちゃ、まるで役に立たず。
 乱雑に触れればアンプルが割れてしまうという理由で、看護婦のババアどもに、血清の瓶詰め作業場からも締めだされてしまった。
(だいたいなぁ……相談に来たからって、いちおう客なんだぞ? 良いように扱き使いやがって)
 それでも 『やるだけのことはやった』 と一心地ついて、遅い昼メシを終え、待合室のソファに転がっていると。
「たっだいま戻りましたーぁ♪」
 ビラ撒きに続いてキンバルト方面へ血清を届けに行っていた、シェリーとローザが窓から飛び込んできた。
「おう、どうだった?」
「んもー、バッチリでしたよ! ベイオウルフの団員さんがたむろってる酒場の、郵便受けにですね、メモと一緒にこそっと置いたら」
 ぱたぱた尾を振って力説する、猫耳妖精。
「最初は皆さん、なんじゃこりゃ〜って変な顔してたんですけど。グリフィン様の手紙を見たとたん、このヘッタクソな字は間違いなくお頭が書いたもんだ、ちんたらするなよ後でどやされるぞーって!」
 きゃははっと笑い転げる、同僚を横目に、
「さっそく皆様、馬を飛ばして、ティアズを始めとした発病区域へ向かってくださいました」
 ローザは、普段どおり真面目くさった表情で言い添えたが、その頬は微妙にひくついている。
「ほおぉ、よーく分かったぜ」
 オレは右手を伸ばし、すぐに判ってもらえて良かったですよホント〜と腹を抱えているシェリーに、軽くデコピンを食わせてやった。
「みぎゃっ!? なにするんですか、暴力反対ー!!」
 ぽーんと吹っ飛んでカーテンに絡め取られた妖精は、赤くなったデコを押さえつつぶんむくれた。
「オレの機嫌が悪いからだ」
 ヘッタクソで悪かったな、字なんぞ読めりゃいいだろうが。
 そもそも団員の奴ら、几帳面なゲイルを除きゃあ、どいつもオレと似たり寄ったりなレベルのくせに。
「それで? アルプ方面には、クレアが行ったろ。キンバルト北西部は、あいつらに任せときゃ問題ねえから……配布が遅れてんのは、クヴァール北東か。ティセが一回、アルプに届けたっきりだしな」
「イダヴェルさんがお連れになった、家臣の方々はどうされたんですか?」
「運ぶ人間はいても、薬の生産が追いついてねえんだよ」
 南大陸全土に存在する患者に対して、限られた医者の数――さらに血清は、五分そこらで精製できる代物じゃない。
 助手くらい務められるんじゃないかと期待したが、医者の卵といえど天界の娘。クレアは、人間界の毒に関してはまるっきり範疇外なんだという。
 だったらティセナと一緒に翼を生かし、遠方へ薬を届けて回った方が効率良いだろうと、オレが協会本部に残った訳だが。
「そろそろ2、3箱ぶんくらいは上がってるかもな……」
 時計を一瞥して立ち上がり、作業場を覗いてこようと待合室のドアを開けた、そのとき。
「先生、リトリーヴさーん! お客さんですよッ」
 どたばた階段を駆けあがってきた受付の姉ちゃんが、実験室へと続く廊下を突っ切っていこうとした。
「おい、今は誰が来ても取り次がずに、って話だったろ?」
「十分そこらのロスくらい、すぐ巻き返せますよ――あ、先生っ! ディアンさんが訪ねて来られてます」
 あまりの騒々しさに何事かと、扉を開いた医者連中の中にアレンを見つけた、女は嬉々として手招き報告する。
「ディアン?」
「やっとかよ、アルヴィースの野郎。どこをほっつき歩いてたんだ、今まで」
 ほとんどが頼もしげにその名を呟き、けれどごく一部のスタッフは微妙に表情を翳らせ。
「……そうか」
 頷いたアレンは白衣をひるがえし、ロビーへと降りていった。
(おいおい、マジかよ)
 だが、やはりと言うべきか――踊り場から窺った階下、どこか居心地悪そうに立っていたのは、以前ソルダムで出くわした銀髪の男。

「……お久しぶりです、アレン」
「まったくだ、この馬鹿野郎」
 ぎこちなく頭を下げたディアンに、ざっくらばんに返す医者の口調は親しげで。
「倒したエムプーサから切除したという、内臓嚢は、クレアさんが届けてくれたよ。手紙の主も、やはりおまえだったか――」
 思い出話に花を咲かせる暇はない、行くぞ、と顎をしゃくり促して歩きだす。
「待ってください、私は……ここで治療に携わる前に、話さなければならないことが」
「俺も聞きたいことは山ほどあるが、それも患者の容態が快方へ向かってからだ」
 きっぱりと相手の言葉を遮り、アレンは苦笑した。
「おまえの近況は、風の噂に聞いている――良き悪きも、な。しかし特効薬を待つ患者が何十万といて、俺は医者で、ディアン・アルヴィースという男の有能さを知っている。一刻を争うのは子供たちの命であり、あとで済むことは後回しだ」
 穏やかながらも反論を許さない、強い調子で言う。
「とりあえず、俺の過労死を防ぐために手伝え」
「……分かりました」
 ディアンは観念したように頷き、外套を脱ぎ捨てると、看護婦から渡された白衣に袖を通した。


×××××


 その翌日。
 神獣ジャックハウンドが、小さな村の警護に費やした、幾度目かの夜を明かした頃――

「お姉ちゃん、おなか空いたー」

 宿の片隅、祈る想いで朝を迎えた天使と勇者は。
 眠たげな目をこすりつつ食堂に現れた、パジャマ姿の子供をぽかんと眺めていた。
「ねえねえ、このリンゴ食べていい?」
 カゴに盛られた果物を見つけ、ヤルルは無邪気にねだる。
「いい、けど……出歩いて大丈夫なの?」
 一足先に我に返ったクレアが、おっかなびっくり訊ね。
「うーん、良くなったのかな? 病気って風邪引いたことくらいしかなかったから、いまいち分かんないや」
 昨晩まで床に伏せっていた少年の答えは、なんとも頼りなかったが。
「あ、だけど。このへんがムカムカして吐きそうに気持ち悪かったのは、無くなったよ」
 ぽんと薄い胸板を叩いてみせた、その顔色が、格段に良くなっているのは素人目にも判った。
「こうまで即効性があるものか、血清とは?」
「ど、どうなんでしょう? 解毒剤と考えれば、不思議ではありませんけど……私も、こちら特有の薬品には疎くて」
 シーヴァスの耳打ちに、天使もまた小声で応じる。

 先日、精製されたばかりの血清を村へ持ち込んだところ、クレアは猛反発を浴びた。
 正確には 『医師協会によって作られた薬』 が、だが。
 衰弱した我が子に注射して本当に害はないのかと、不信感をあらわにする男女に、協会の医者が教えてくれたという “作り方” を説明すると――人々はいっそう頑なに拒絶してしまった。
 毒を飲んだ動物の血液から採取された成分と聞いて、生理的に嫌悪するのは仕方あるまいが。
 微量の毒素に対する抗体成分ですと、懇切丁寧に説いても埒が明かず。
 さして広くもない村を漂い始めた不穏な空気を、押し止めたのは、患者の一人でもあるヤルル・ウィリングだった。
『お姉ちゃん、貸して――僕が試すよ』
 外の騒ぎを聞きつけた少年は、宿の亭主に意向を伝え。
『お医者さんが作ってくれた、特効薬なんでしょ? このまま寝てたって良くなりそうにないし』
 不安げな村人を集めた寝室で、血清を注射されてみせたのだ。
『早く元気になって、母さんのところに帰らなきゃ』
 つぶやいたヤルルが眠りにつき、主の回復を待ち望むジャックハウンドにも経緯を伝え――そうして迎えた、朝。

「ね、このリンゴ食べていい?」
「まだ二週間くらいは安静にしておかなきゃだけど……おなか空いたのね。リンゴなら栄養バランスも良いし、毒素は木に中和されてるからだいじょうぶよ」
 ヤルルはのんきに喜びながら、天使の足元にまとわりつき。
「じゃあじゃあ、半分すりりんごにして、あとはウサギの形にしてくれる? 僕がちっちゃい頃ね、熱出して寝てたら、母さんが――そうやって食べさせてくれたんだ」
「もちろん良いわよ! 他に、欲しいものはない?」
 クレアは、感極まったように少年に抱きついた。
 束の間、驚きに目を白黒させていたヤルルだが。えへへ〜と頬を朱に染め、彼女の胸に顔をうずめてご満悦のようだ。
「お姉ちゃん、お花畑みたいないい匂いするね」
「そう? あちこち、森を通って来たからかな」
「……ラッシュ、どうしてるだろ。リンゴ食べたら、外、散歩してきていい?」
「それは、まだダメよ。ラッシュなら、ちゃんとあなたのこと待ってるから――もう少し元気になってから、ね」
 代わりに私が様子を見てくるからと、少年を窘めるクレアは涙ぐみ。
「ん、分かった」
 べたべたと天使にくっつくヤルルを無言で見やり、シーヴァスは必死で自制心を働かせる。
(母親恋しさに彼女に甘えているだけ。子供の特権だ……と言い切るには、そろそろ微妙な年頃だが)
 なんだか知らないが、眼前の光景が非常におもしろくない。

「あの、キッチンお借りしますね」
 それはかまわんが、とクレアに応じた宿の亭主は、
「そうだ、村の連中に報せてやらんと……!」
 弾かれたように興奮した面持ちで、どたどたばったんと外へ転がり出て行った。

 ほどなく、砂漠で辿りついたオアシスへ群がるように血清を奪い取っていった村人から、効能と評判が内外へ伝わり。
 話を聞きつけたアルプの住人が、血清を求め訪ねて来る頃には、協会本部で増産された薬のアンプルが続々と到着――ひとまず疫病の脅威は、彼方へ去った。


 つい先日までの胡乱げな眼つきは一転、ありがとう良かった助かったと 『医師協会の関係者』を持て囃す、
「現金と言うか、なんというか……これはこれで、腹立たしいな」
 人々の変わり身の早さに少々げんなりしつつ、シーヴァスは愚痴をこぼす。
「? なにがですか」
 天使ゆえか元からの気質か、無頓着に訊き返すクレアの傍らには、すっかり彼女に懐いてまとわりつく病み上がりのヤルル・ウィリング。
「……胸がムカついて気分悪いんだが」
「うわ、なに? 兄ちゃん、僕の病気がうつっちゃったの!?」
「ええっ!?」
 見当違いな解釈をしてうろたえる二人の反応が、さらに気力を萎えさせる。
「子供しかかからん病に、私がなる訳ないだろう――生活環境の問題だ。いいから君たちは、療養と看病に励んでくれ」
 ますます意味が分からないというように、首をひねる両者から、シーヴァスはうやむやに目と話を逸らした。



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疫病騒ぎ、ひとまず収束。魔女シエラは、ゲームシナリオ本編より少し早めに退場です。ディアン闇堕ち、死に至るストーリーも考えましたが……やっぱり、生きててナンボだと思う。