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◆ 呪われた大地(1)


「……そうか、治療法が見つかったのか」
 シャリオバルト城のバルコニーにいた勇者様は、良かったな、と呟いた。
「すみませんでした。北部で暴れてた魔物退治、ぜんぶ任せっきりになっちゃって」
 悪びれた様子もなく言うティセナ様に、
「たいしたことはない。ヘブロン近隣で発生した事件の解決は、ヴォーラス騎士団の務めでもあるからな」
 レイヴ様は、やっぱり無愛想に応えた。
 相変わらずニコリともしないけど、じーっと聞いてたら、普段に比べて声が明るいし喜んでるみたいだ。うん。

 そんな二人が、疫病騒ぎの黒幕だった女魔族について、ぽつりぽつり話し合ってたところへ、
「団長! 遠征準備、整いました。ご命令くだされば、いつでも発てます」
 鎧姿のお兄さんが走ってきて、びしっと敬礼。
「ならば30分後、正門前に集合――俺は少し、ラーハルトと話をしてくる。南大陸で蔓延していた、流行り病が収まったらしい」
「本当ですか!? それは良かった」
「ああ。まだしばらく警戒は必要だろうが、検疫に割く人員を多少減らしてもかまわんだろう」
 打ち合わせの最終確認をというレイヴ様に、分かりましたと頷いて、熱血漢っぽい騎士は来た道を駆け戻っていった。

 なにかあったんですか、と訊ねたティセナ様に、
「エスパルダ皇国で、また反乱が起きた」
「まさか、黒衣の騎士が……?」
「いや。調査部の報告を聞く限り、サルファを占拠していた連中とは無関係のようだ」
 オルデン、アンシェ、グランキオに、ティモーネ、それからタクティオ、フィチカ、ブルン――主要都市を治める政府の要人や、貴族階級の人間を、次々と闇討ちして回っている神出鬼没な暗殺集団で。
 そこいらの傭兵じゃ歯が立たずに、居合わせた警備員も残らず殺されてしまって。
 敵の規模はおろか目的さえ掴めない事態に窮した、エスパルダ法皇が、ヘブロン国王に助けを求めてきたんだそうだ。
「あっ、それじゃ。お手伝いしますね?」
「……部下と共に行動するんだ、人目も憚らず回復魔法をかけられては困るが」
「怪しまれないように、こっそり頑張りますって〜!」
 私は力説した。
 なにも天使様の攻撃魔法だけじゃない。傷が異常なスピードで治るのだって、傍から見れば立派な怪奇現象――勇者様のサポートは、いろいろ注意点が多くて大変だ。
「けど実際、ヴォーラス騎士団でも鎮圧に手こずりそうな感じですし。同行しますよ」
 私の提案が一蹴されかけるのを見て、ティセナ様が申し出ると、勇者様は 「いや」 と首を横に振った。
「まだ、敵の根城を突き止めてさえいないんだ……助力が必要になれば、“石” を介して呼ばせてもらう。おまえこそ、仕事続きだったんだろう? 少し休んだ方がいい」
「それじゃあ、領内へ入る頃には駆けつけますから」
 約束した私たちに、小さく頷いて返して。
 厳粛に整列した騎兵隊を率い、レイヴ様は一路南へ――内乱続きのエスパルダに旅立っていった。


 それから合流に向かった、タンブールの教会。

「……クレア様たち、まだ協会本部でゆっくりしてるのかな?」
 子供たちはお昼寝の時間らしくて、まだ療養中のフィアナ様も一緒にサンルームで熟睡していた。
 中庭には、のんびり洗濯物を干しているシスターが。
 卒業生のジェシカさんは箒とチリトリ片手に、物置だった小部屋を掃除している。たぶん、これからクレア様たちが連れてくる女の子――ナナちゃんの部屋になるんだろう。
 ずっと滞在していたヴァンディーク氏は、どうやら帰ってしまったみたいだ。フィアナ様をからかうには、持って来いなお客さんだったのになぁ。残念。
「ディアンさん、でしたっけ? グリフィン様から少し話、聞きましたけど……訳有りの人間だったから、心配なのかもですね」
 魔女に誑かされかけてたっていう、銀髪のお医者さん。
 私は知らなかったんだけど、ティセナ様たちは何度か事件現場で遭遇して、危険人物っぽい印象があったらしい。
「経過報告は、みんな揃ってからの方が話しやすいし。ここで待ちぼうけっていうのもなぁ――迎えに、行ってみます?」
「私、あの人……苦手。なんか怖くて」
 億劫そうに歩いていって、礼拝堂の長椅子に掛けた、
「ヤルル君たちと団欒してるとこ、水を差したくないし――それなりに事情があったのは判ったけど、顔を合わせるの嫌だから」
 天使様は、そのまま寝転がって。
「ここで仮眠とってる……シェリー、ひとりで行ってきて」
 戻ったら起こしてと呟いて、ふいっとアイスグリーンの瞳を閉じてしまった。

×××××


 他方、協会本部を訪れたシーヴァスは。
 医療スタッフにあれこれと指示を出すディアン・アルヴィースの姿を横目で追いつつ、とるべき態度を決めかねていた。
 魔族の策謀が青年を追い詰めたこと、オフランド山地での戦闘や血清作りに手を貸してくれたとは――タンブールへの道中、クレアによって知らされていたが。
 ソルダムで目にした殺戮劇を思い起こせば、やはり困惑と警戒心は拭えず。
 居合わせたグリフィンを建物裏へ引きずっていき、真意を問い質せば、ライザという女性の話を聞かされた。
『……どん底に突き落とされたって、這い上がるか座り込むかはテメーで決めるモンなんだから。同情するつもりねえけどよ』
 今のディアンを前にしては、過去を蒸し返す気にもなれないと、
『なんつーか、さ……悲しい奴だったんだよな』
 やや感傷めいた台詞を残した男は、ローザを伴って、夜明けを待たずキンバルトへの帰路についた。

 すっかり陽も高く昇った、晴れた日に。
 病から回復した子供たちが、医師協会のスタッフと別れを惜しんでいる間。

「言いにくいなら、私が話すわよ?」
 郊外の森で、クレアは神獣と話し込んでいた。
 ヤルルが全快したとなれば、後回しにしてきた問題を直視せざるを得ない。
 アルプの街を訪れた少年は、すでにルドック・ウィリングの死を報されている――ジャックハウンドが人里に近寄らず、なにも語らなければ、生涯 『仇たる魔物』 の正体を隠し通すことも可能だろうが。
「それでは、夫人との約束を違えてしまう」
「だけど、ジャック……」
「やめておけ」
 また揉め事に首を突っ込みそうな天使を、シーヴァスは諌めた。
「他人が口を挟めば、余計にこじれるぞ。そういったことはな――伝えたあとにフォローするなら、まだ良いが」
「弱さゆえ魔族の口車に乗った、己が犯した過ちだ。これ以上、クレア殿の手を煩わせる訳にはいかん……ガルフへ送り届けたあと、すべて話す」
 神獣は首を伏せ、諦念を滲ませて言う。
「あの子に討たれるなら本望だ。罪滅ぼしが叶わずとも、ヤルルが暮らしてゆく大地、ナーサディアが生きていた星を――魔の手より守って朽ちるのも、悪くない」
 端から、赦されるとは考えていないのだろう。
「ダメよ、そういうのは」
 しかし天使は、柳眉を逆立て語気を荒げた。
「ウィリングさんたちに謝りたいって思うなら。嫌われて冷たくされたって、お父さん殺すつもりじゃなかったって、ヤルル君のこと好きなんだって……何回でも会いに行って言わなきゃ。あなたが死んだら、あの子、気持ちをぶつける相手まで失くしちゃうじゃない」
 虚を突かれたように黙り込んだ、ジャックハウンドは、ややあって苦笑をこぼす。
「そうだな……甘いようで厳しい方だった。ラスエル様も」
 肝に銘じよう、と答えた獣を、クレアはなおも不安げに見つめていた。


 そろそろ出発するかと、ロビーへ戻ってみれば。
「ありがと、ディアン先生!」
「お大事に――道中、気をつけて」
「元気でね、ナナちゃん。教会に着くまで、お姉さんたちと逸れないように」
「うんっ」
 保護者の元へ連れ帰ろうとしている少年少女、さらにアレンたちが、ちょうど見送りに出てきたところだった。
「…………」
 はしゃぐ子供と同僚に囲まれた、ディアンは独り、居心地悪そうに曖昧な表情で立っている。
 ヤルルたちの回復を喜びながら、しかし向けられる謝辞を扱いあぐね。混乱を抱えて、疲弊しているようでもあった。

 昨晩、協会本部の扉を叩いたシーヴァスの姿に。
 驚いた様子を見せつつも、ただ静かに与えられた仕事をこなすだけ。逃げ隠れする素振りさえ無かったのは、前向きになった、開き直ったというより――ジャックハウンド同様、齎される “断罪の日” を切望していたように映った。
 グリフィンが言わんとしたことも、なんとなしに解る。
 たとえばシーヴァスが今この場で、かつて目撃した毒物取引を追及すれば、あの男は抗いもせず牢獄へ向かうだろう。
 ……けれど何故か、そうする気はさらさら起きなかった。
 アレン・リトリーヴの元で医業に励むならば、保護観察処分と大差ない――法に裁かれるだけが、償いの手段でもあるまい。

「あのねあのね、アレン先生」
「ん?」
「ナナ、おっきくなったら看護婦さんになって、先生のお手伝いするから! 待っててね」
「そうか、それは楽しみだ」
 アレンは、よしよしと少女の赤毛を撫でた。
 協会の病棟に入院していた患者が、シスターエレンに預けられる予定の孤児だったと判明したときには、世間の狭さに驚いたものだが……これも人の縁というヤツだろうか。
「本当に、お世話になりました。リトリーヴ医師」
「我々の方こそ、助かりました」
 穏やかな眼差しをクレアに向け、協会の責任者たる男は微笑んだ。
「近くに立ち寄ることがあれば、いつでも寄ってください。職員一同、歓迎しますよ」


 そうして夕刻、到着した教会の庭で。
 ヤルルは、同年代のリオたちとサッカーを始め――ナナは、エミィやセアラに手を取られ、子供部屋へ案内されていった。
 納屋を寝床に宛がわれたジャックハウンドは、好奇心旺盛な幼児にされるがまま。
 シスターを含む女性陣は、夕食の準備に大わらわである。
 さっそく調理場の手伝いに向かおうとしたクレアだが、先に来ているはずのティセナがいない、と首をかしげ。
「……ティセたち? 今日は見てないけど、一緒じゃなかったの?」
 きょとんとしたフィアナの返事を受け、妖精の気配もするのにいったい何処へと、敷地内をうろうろ探し始めた。

(子供じゃないんだ、放っておけば良いだろうに)

 いや、年齢だけを考えれば子供かもしれないが。
 なんにせよ、たいして広くもない教会内だ。すぐに見つかるだろうとクレアを放って足を踏み入れた、礼拝堂では――捜索対象の少女が、やや不規則な寝息を立てていた。
 実体化した状態で、胎児のように背を丸め。
 その傍らにくっついたシェリーも、まるで物音に目覚める様子がない。クレアを待つうち、二人して眠ってしまったんだろう。
「おい、起きろ。クレアが探しているぞ?」
 かるく肩を揺さぶってやると、ぼんやりした瞳が宙をさまよい、真正面の絵に留まり。
「……かーさま? …………あと、五分……」
 欠伸まじりに寝返りを打ったティセナは、ころんと長椅子から転げ落ちてきた。
「お、おい?」
 あわてて受け止めたシーヴァスの腕の中、わずかに眉をしかめ身じろいだが――結局、夢の世界へ逆戻り。
「……誰が母さまだ」
 抱き上げた身体は、普段の大人びた言動に似合わず、ひどく華奢で頼りなかった。まさに “羽が生えたように軽い” といった感触だ。
 寝顔の幼さに至っては、つい苦笑が漏れる。
(まったく、こうして黙っていれば可愛げがあるものを――)
 ついでに添い寝していた妖精をつまみ上げて、ティセナの胸元に乗せ、中庭へ出ると。

「あらら?」

 きょろきょろと花壇の間を見渡していたクレアが、点目になって、こちらへ近づいてきた。
「礼拝堂で、寝ていた」
「……ものすごく珍しいものを見ました」
 無防備に眠り続ける少女の顔、それからシェリーをしげしげと眺めやり、拍子抜けたように息をつく。
「ああ、普段なら飛び起きそうなものだがな。よほど疲れているんだろう」
「無理ばっかりさせちゃってますから、私が――」
 思いついたようにティセナの頬を指でつつき、それでも反応しない熟睡ぶりを愛しげに、けれど寂しげに見つめ。
「クレア……確か天使は、光の塊から生まれるんだったな?」
「え、ええ」
「ということは、両親と呼ぶような相手はいないんだろう?」
「そうですね。人間の感覚でいう血縁関係はないです。ある程度成長するまで、保護者代わりになる天使はいますから――その人たちを養父母と言えなくもないですけど」
 ふとシーヴァスが口にした疑問に、答えた天使は、訝しげに訊ね返す。
「どうしたんですか、急に?」
「いや。ただ、ティセナもヤルルと変わらぬ年頃だろう」
 寝言で、母親を呼ぶくらいだ。
「たまには自宅でくつろぎたいだろうし、親がいたなら、インフォスでの任務を心配しているんじゃないかと思ってな」
「……そういうものなんですね、人間は」
 微苦笑を浮かべたクレアは肯定も否定もせず、くるっと踵を返し歩きだした。
「じゃあ、せっかく気持ちよく眠ってるとこ起こすのもなんですし、部屋へ運んでやってもらえますか? シーヴァス」
「あ、ああ」
 ベッドに寝かされたティセナは、その晩、ナナの歓迎会が始まるからとフィアナに声を掛けられるまで眠り続け。
 パーティーの雰囲気に呑まれたかジュースと間違えたのか、体質に合わないというシャンパンを煽り、別人のごとくはしゃいだ挙句に酔いつぶれ。

 翌朝、リビングに顔を出したときは――例のごとく、シーヴァス限定の態度かどうかは分からないが――激烈に機嫌が悪かった。




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『呪いの泉』 編エピローグ。キャラクターも場面も入り乱れ、散文状態ですね……TVアニメだと、ED曲に合わせて画像だけ流れてるとこでしょう。