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◆ 戦う天使(2)


「逃げ……られた……」
 気の抜けた調子でつぶやいた、クレアは砂漠に突っ伏して頭を抱える。
「わ、私の馬鹿――ッ!!」
 いつもティセナや勇者たちに戦闘を任せっぱなしだった自分が、アポルオンという強敵を、あと一歩のところまで追い詰められたのに。
 捕らえて追及すれば、インフォスの時が淀んだ原因を吐かせることだって出来たかもしれないというのに。
 なにより術者たる堕天使を取り逃がしては、フィアナにかけられた呪いを解かせられないではないか!
「ごめんなさい、フィアナぁ……あああ、どうしよう……」
 いまさらなにを叫ぼうと、深手を負ったアポルオンが律儀に引き返してくるはずもなく。
 自己嫌悪の渦に巻かれて打ちひしがれる、クレアの手のひら、それから頬に、ぽつぽつと頭上から水滴が降り始めた。

「…………雨……?」

 きょとんと顔を上げてみれば、さっきまでと比べて妙に景色が明るい。
 霧のように柔らかく降る雨粒が、灰の砂漠に吸い込まれるほどに、大地は鮮やかな土の色を取り戻す。
「あ――」
 空を覆っていた闇が晴れていって、雲間から、差し込む陽光の眩しさにクレアは目を細めた。
(そっか。アポルオンは倒せなかったけど、フィアナの心からは追い出せたんだ……)
 まだ問題は山積みだけれど、ひとまず、勇者の命は守り切れた。そのことに安堵しながら、ゆっくりと身を起こす。
「優しいですね、フィアナは」
 氷が溶けて春が来るように、雨は降りそそぎ、ゆるゆると芽吹き始める草花。
 ヒトが生まれながらに有する回復力の余波は、本来異物として弾かれるべき、クレアをも一緒くたに包み込んでいた。
「私たち天使が、こんな戦いに巻き込んじゃったんですよ?」
 まさか聞こえるはずもあるまいが、もしかしたら深層意識には届くのだろうか。
 応えはなく、ただ、血塗れの衣服が水滴で洗われるにつれ、全身の痛みもひいていった――少しふらつくけれど、支障なく動ける。
 ……帰ろう。
 堕天使の刻印が消えたこと、外からも確かめなくては。

×××××


「あ……!」
「クレア様ーっ、ご無事ですね!?」
 精神世界から地上へ戻ったとたん、大きな瞳をうるませたシェリーと、なぜかローザも一緒になって飛びついてきた。
「だいじょうぶ……なのか?」
 さらにはシーヴァスまで傍にいて、険しい表情で問い質してくる。
 ふと、なにか忘れていることがあるような気がしたが、とっさには思い出せず――それどころでは無いので、クレアは考えるのを後回しにした。
「私は、なんともありません。それよりフィアナです! 本当にちゃんと、痣が無くなってるか確認しないとッ」

 取るものも取りあえず教会へ直行して、アストラル体のまま扉を叩こうとしてシーヴァスに留められ。
 あたふたと実体化したは良いが、
「どうするんだ、そのグシャグシャに擦り切れたローブは? いったい何事かと、シスターが心臓麻痺を起こしかねんぞ」
 重ねて指摘を受け、すったもんだの末、彼のマントを借りて誤魔化すことになった。

「エレンさん、フィアナは……?」
 寝室に入ると、シスターとヴァンディークを始め、世話役に呼ばれてきたらしいジェシカの姿もあった。
「ああ、クレアさん! あなたがくれたあの薬、しっかり効いたよ――見ておくれよ、あの妙な模様がキレイに消えて」
 シスターが、涙目で微笑みながら振り返り。
「フィアナ姉ちゃん!」
「良かった、起きたぁ――」
 指し示されたベッドサイドには、子供たちが張りついて嬉しそうに騒いでいる。
 ぼんやりと視線を彷徨わせていたフィアナは、おもむろに、ひどく日常的な台詞を口にした。
「ねえ……おなか空いたよ、なんか余ってない?」
 いまの今まで彼女の看病に明け暮れていた面々は、ぽかんと顔を見合わせ。
「っていうか、なんであんたがいるの」
 不服そうに問われた黒髪の剣士は、そっぽを向いて 「うるせー、不可抗力だ」 と返しつつ、引き結んでいた口元を緩める。
「まったく、この子ときたら……散々心配させといて、第一声がこれかい?」
 その様子を眺めていたシスターは、呆れながらも嬉しそうに、ぽんと両手を打ち合わせた。
「だけど、ようやくフィアナの病気が治ったんだ。お祝いしなくちゃね!」
「よーっし、病み上がりを働かせるわけにゃいかないし、久々に腕を振るいますかぁ」
 朗らかなジェシカの宣言に、祝われる本人を差し置いて、子供たちが 「ごちそうだ〜♪」とはしゃぎだす。

「……ねえ、クレア」

 良かった良かったと、口々に頷き合う人々を見つめながら、フィアナがぽつりと話しかけてきた。
「ずっと――夢を、見てたよ。怖いの」
 まだ大声を出しては負担になるだろうと、クレアは、枕元に顔を寄せる。
「でもさ、なんか……胸のあたり、すっごく軽くなった」
 確かに呪いは、解かれたけれど。元はといえば、彼女がこんな目に遭った理由は――
「…………」
 脳裏を、アポルオンの台詞の数々が過ぎる。しかし、こちらが何か言うのを待たず。
「助けてくれて、ありがとう」
 それだけ囁くと、フィアナはまた寝入ってしまった。

「やれやれ、これで一安心かねぇ……クレアさんも、休んできたらどうだい? この子の為に遠くまで駆け回ってくれて、疲れただろう?」
「フィアナは、私たちが看てるからさ。なにか、容態が急変するようだったら呼ばせてもらうけど」
「そう、ですね。ちょっと――急いで行って、帰って来たから。息が切れました」
 どのみち着替える必要もあったので、クレアは、シスターとジェシカの勧めに甘えることにした。

「…………」

 彼女らに後を託し、ふらふらと廊下に歩み出て。そのまま角を曲がりかけたところで唐突に、意識がぐらつく。
「おい、クレア!?」
 ぎょっとしたシーヴァスの声が追ってきて、妖精の悲鳴も二重に響き渡った。
 板張りに倒れこむ寸前で腕を支えられたが、もはや体勢を立て直すのも億劫だ――耳元でわんわんと反響しているのは、誰の言葉か。お願いだから、いまは静かにしてくれないだろうか。
「眠い……です……」
 急速に薄れゆく意識の中、懸命に自己主張を試みる。
「二時間たったら、起こしてください――」
 頼んだ端から夢の世界に旅立ってしまったクレアは、頭上から落ちた勇者の溜息、その返事も終ぞ耳にすることはなかった。



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『戦う天使』 編に、一区切り。回復魔法は使えなくても、精神体の天使を、勇者の心が癒せるというのも有りなんじゃないかと。ぼろぼろで帰還というのは、VSケルピーでやったことでもありますし。