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◆ 陽の当たる教会で


「う、う〜ん……よく寝た……っ!」

 腹立たしいほどに清々しい表情で、目を覚ましたクレアは、ゆったり両腕を伸ばしつつ身を起こした。
 そのままの流れで、まずベッドサイドに視線を落とし、
「おはよう、セアラー♪」
 シーツの端にくっついていた幼女を見つけ、きゅうとばかりに抱きしめる。
「そうか、それは良かったな」
 いたって平和なその光景が、無性に癪に障り。
 サイドテーブルに頬杖をついたシーヴァスは、恨みがましい横目で以ってつぶやいた。
「おかげで私は、一睡も出来なかったが」
 ようやく依頼された事件を片付けて来れば、立て続けに堕天使だの呪いだの。
 これといった怪我もなく戻ってきたはずのクレアは、フィアナ・エクリーヤの無事を確認するなり、ぱったり倒れて動かなくなり。ティセナを呼ぶべきなのか、どうなのか――ローザたちには 「ただ眠っていらっしゃるだけです」 と太鼓判を押されたが、天使の体調など、見ただけでは判別のつかない自分がどれだけ心配したと思っている。

「……?」

 サファイアブルーの瞳が、ぱちぱちと瞬き。
『どうして、この人がここにいるんだろう?』 と言わんばかりに、クレアは、ほけっと首をかしげた。
 形の良い眉がひそめられ、次いで訝しげな色が浮かび、その顔色が――ざあっと褪せる。

「ごっ、ごめんなさいワザとじゃないんです、はずみだったんです!」
「は?」
「だけどですね、好きとか嫌いとか、冗談で言うことじゃないと思うんですよ。勘違いしたままになったら、あとで困るじゃないですか? 私たちには、恋愛という文化が存在しませんから、反応と言われてもよく分からないですし」
「ちょっと待て、なにを」
 遮ろうとするこちらの言葉も耳に入らないようで、天使は、おろおろと一方的にまくしたてる。
「引っぱたいたのは悪かったですけど、ほらあの、キスもですね? 恋人とするものなんですから、あんまりああいう真似事で、いえっ、嘘だったのはちゃんと分かってるんですけど!」
 非常に気まずい話題を蒸し返されて、シーヴァスは固まった。
 彼女に会ったら真っ先に謝らねばと思っていたのだが、緊急事態ともいうべきゴタゴタの嵐にすっかり失念していた――この慌てようを見るに、クレアも今まで忘れていたらしい。
「あああっ、そう言えば! 勇者に手を上げたのって、戒律違反ー!?」
 赤くなり青くなり、やや寝癖のついた頭を抱え込みながら。
 たいして広くもないベッドの奥へ隅へと後ずさり、錯乱しつつも、シーヴァスから距離を取ろうとする。
「いや、私が悪かった! だから、とりあえず落ち着け、そっちは――」
「きゃー!?」
 留める間もなく、バランスを崩した彼女は、ベッドと壁の隙間に転がり落ち。
 がたがたばたーんっ、と物騒な振動がこだました。

「…………」

 つぶらな瞳をまん丸に瞠り、立ち竦むセアラの隣で、シーヴァスはげんなりと頭痛をこらえる。
 私の所為なのか、これは?
 いや、不可抗力だろう。

 自問していると、廊下側からつかつか近づいてくる軽い足音。
「朝っぱらから、なに騒いでんの!」
 颯爽と現れたジェシカは、黒々と磨かれたフライパン片手に凄んだ。その睨みは当然というべきか、部屋の中央にいたシーヴァスに向いたのだが、
「あれ? 起きたの、クレアさ――」
 ついっと、ベッドの方へ逸れた視線が、間髪入れず引き絞られる。
「ごめんなさい、ジェシカさん! 私っ……私は……冗談と本気の区別もつかない、判断力に乏しい大馬鹿者で」
 まるでシーヴァスから逃げるように、ベッドの陰に潜り込んでいるクレアが。
「フィアナの病気が長引いたのも、セアラの失語症が治らないのも、きっと私がいけないんですー!!」
 くしゃくしゃになったシーツを握りしめ、ネグリジェの裾を微妙に乱しつつ、涙目で意味不明なことをのたまっている様だとか。
 中途半端に、彼女に向かって手を伸ばしながら、身動き取れず硬直している犬猿の仲の男やら。
 それらをジェシカが、どう真に受けはたまた曲解したのかは、定かでないが。

「どさくさに紛れて、なにやらかしたのさ!? 今すぐ荷物まとめて出てけッ、このタラシー!!」

 立派に凶器たりえるフライパンが、鎧無しのみぞおちに叩き込まれ。
 まだ半分寝惚けているらしいクレアは、瞬く間に 「よしよし、怖かったわね〜」 とジェシカに掻っ攫われていった。

 静寂の戻った寝室で、脇腹を押さえうずくまりながら、盛大に愚痴るシーヴァス。
「……私がいったい、なにをしたって言うんだ? なあ、セアラ」
 しばし考え込んだ金髪の童女は、背伸びしながら、ぽすぽすっと宥めるようにこちらの肩を撫でた。
「…………」
 なにか余計に情けなくなって、シーヴァスは、傍らのサイドテーブルに突っ伏した。

×××××


 大人数での朝食が終わり、すっかり陽も高くなって。
 絶対安静にと騒ぐシスターたちに押し切られ、寝室で暇を持て余している、回復途中の女勇者を見舞いに向かっていたところ。なんのかのと弁解しつつ、クレアが後ろから追ってきた。
「ごめんなさい〜」
 くっついて歩きながら、恐縮しきった様子で謝るので。
 溜まっていた鬱憤をぶつけるのも大人げ無いような気がして、結局、数分と経たずにシーヴァスは折れた。
「いや。私の方こそ、すまなかったな」

 そもそも反省してほしい点があるとすれば、こちらの自業自得であろう平手打ちの件ではなく――敵と直接やり合おうとした行動の、無謀さ加減なのだが。
 いくら咎めようと窮地に直面すれば、彼女はまた突っ走るのだろうと諦めにも似た気分で思う。

「邸でのことは、悪ふざけが過ぎた……酔っ払いの戯言と思って、大目に見てくれないか?」

 曖昧な苦笑を浮かべつつ、向き直ると。
 クレアは赤面しつつ、ホッとした面持ちで頷いた。


「堕天使が呪いをかけてるだなんて、思ってもみなかったな……」

 ベッドに横たわったまま、枕を背凭れに上半身だけ起こしたフィアナは、窓の外を眺めながら呟いた。
 よく晴れた中庭には――剣代わりに木の棒を握りしめた、リオを含む教会の少年たちと、彼らに稽古をつけるヴァンディークの姿。ときどき風に乗って、気合のこもった掛け声が聴こえてくる。
 どうもシスターが彼を気に入ったらしく、男手が足りないといっては力仕事や保父役を頼み、なんだかんだ理由をつけて引き止めるので。お人好しの青年剣士は、未だ暇を告げるタイミングを掴めずにいるらしい。
『フィアナもねえ……剣術に打ち込むようになったばかりの、子供の頃は。あんなふうに、近所に住んでた元傭兵さんから手ほどきを受けていたんだよ』
 午前中、朝食の後片付けをしながら。
 シスターは懐かしそうに目を細めつつ、そんな思い出話をしてくれたものだった。

 他方、室内では。
「資質者が放つオーラは、特殊で。たとえ瘴気に取り憑かれていても、表面に滲む毒素を覆い隠してしまうから――意識して探らなければ判らないんです。倒れるほど蝕まれるまで気づけなかった、こちらの手落ちでした」
 事後報告を受けてやってきたティセナが、女勇者の容態を診ていた。
「よくもまあ、アポルオン相手に真っ向勝負を挑んで、五体満足に戻って来れたものですけどね」
 予想しなかった訳ではないけれど、不機嫌をとことん押し隠したような表情である。半眼で睨まれたクレアは、そそくさっと男勇者の背後に隠れてごまかし笑いを浮かべた。
「わ、私、元気よ? ちゃんと作戦たてて、浄化魔法で追い払ったから、ね?」
「こらッ、人を盾にするな!」
 板挟みにされたシーヴァスは、迷惑そうに口元を引きつらせ。
「しかし、なんなんだ? その堕天使というのは」
「言葉のとおり。天より堕ちし、神の眷属……人間社会に置き換えれば、法を破った重罪犯です」
 彼の問いに、ティセナは身もフタもない返答をした。まあ、的を射てはいるのだが。
「先代の守護天使、ラスエル様に見出された勇者たちが戦った相手は、元能天使・ガープ率いる魔軍だったと記録されています。アポルオンはその側近だった男で、参謀的な役割を果たしていた」
 話が兄のことに及び、クレアは、はっと顔を上げる。
「主と共に滅びたとされていた堕天使が、現に生きて、インフォスに干渉してきたというなら。残党が潜伏して、ずっと機を窺っていた――ってことになりますね。今までに観測された異変の数々も、おそらく連中の仕業でしょう」

 ラスエルの任務は、完遂されていなかったのか? 
 突然の失踪、ナーサディアにかけられた魔法、ボルサに現れたという黒い影。
 すべての理由が集約する先は? 敵が意味ありげに口にした兄の名も、こちらの動揺を誘うための出任せではなかった?

「……ごめんなさい」
 クレアは、萎れて頭を下げた。
「私が、アポルオンを捕らえていれば、すぐに解決できた事かもしれないのに」
 掴めたはずの糸口は一瞬の油断によって、また断ち切られてしまった。今はもう瘴気の残滓すら辿れず、堕天使がどの異空間へ逃げ込んだのか判らない。
 けれど、フィアナは 「なに言ってんの」 と明るく笑い飛ばす。
「ぼんやりとしか、覚えてないけど――もう危なっかしくて見てらんなかったよ、あんたの剣さばき! あんなんじゃ、命がいくつあっても足りないって」
 事実、ムチャクチャな使い方に耐えられなかったらしい、借り物のブロードソードは刃毀れだらけになっていた。そんじょそこらの剣であれば、戦闘の最中に折れていただろう。
「賞金首と戦うときだってさ、生け捕りにするには、実力が相手よりある程度上回ってないとキツイんだ……余裕が無いなら全力でかからないと、こっちが殺られる。深追いしなかったのは正解だと思うよ」
 彼女に同意するように、ティセナも小さく頷き。
「それにあいつは、父さんと母さんの仇なんだから。知らないうちに、勝手に決着つけられちゃたまんないって」
 まだ冴えない顔色のまま、それでも瞳には強い決意と生気を宿して。
「アポルオンはあたしが、ぶちのめす」
 死の淵から生還した女勇者は、握りしめた両の拳を、痣の消えた胸元でガッと打ち合わせた。



 しばらくは療養に専念してくださいねと、念を押して。
 煎じた薬湯の副作用か、うとうとし始めた彼女が眠りに着くのを待ち、クレアは、連れの二人を伴って寝室を後にした。



「それで? 我々は、どうすればいいんだ。これから」
「べつに、今までと変りませんよ。堕天使側が仕掛けてきたとき、すぐさま対処できるように、体制を整えておくより他にないでしょう」
 話が実務的なことに移り、ティセナは短く応じた。
「残党が、アポルオン一人とは考えにくいですから。黒幕を絞め上げて、洗い浚い吐かせるまでは――出来ることといったら、糧となる土壌を与えないように各地の混乱を未然に防ぐくらいです」
「……つくづく後手だな。まあ、今に始まったことじゃないが」
 嘆息したシーヴァスは、消沈する暇を与えず訊ね。
「アポルオンとは、天界から放逐された者なのだろう? 大天使とやらに、増援を頼めないのか?」
 すっかり今の顔ぶれに慣れ切って、考えてもみなかった方策に、クレアは少なからず意表を突かれた。
 そうだ。堕天使の関与が確定した今はもう、ただの調査任務とは呼べないのだから――ガブリエル様に進言すれば人員の補充や、天界軍の協力も得られるかもしれない。けれど、そうして考え込んでいる間に、
「申請するだけ、無駄骨と思いますが」
 補佐たる少女は冷めた口調で、勇者の発案を退けた。
「アポルオンの件を報告する必要はありますけどね。管轄の地上に、堕天使がうろついていると判って、むざむざ天界の守りを薄くするはずがない」
 突き放すような物言いに、シーヴァスは眉をしかめ。
 聖域の砦たる “門” の重要性はもちろん解っているが、インフォスが蹂躙される可能性を知ってなお戦力を割けないほど、人手が不足しているのだろうかと、クレアは訝る。
「もしインフォスが、魔族側の手中に落ちたらなら――上層部はすぐさま、世界としての繋がりを “扉” ごと切り捨てるでしょう」
 だが、中枢機関の実情については、自分よりよほどティセナの方が詳しい。
「天の加護なんてものは、期待しないでください。私たちも万能じゃないんです」
 辛辣に響く台詞は、勇者に向けられたものであると同時に、勢いで行動しがちなクレアを諌める意図を含んでいるのだろうと思われた。

「とにかく、今ある手掛かりの筆頭は、神獣ジャックハウンドです。居場所はローザが把握してくれていますから、あと2〜3日休息を取ったら話に行ってみましょう」

 インフォスで生きるすべての命運を左右する、この任務は。
 失敗すれば、きっと取り返しがつかない。



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あまりギャグ向きの性格ではないはずの、男女主人公……意外に、ボケと突っ込みが成立しているようです。そのうち、短編ラブコメが書けるかもしれない。