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◆ スノードロップ


 そこは一面の雪景色だった。
 ファンガム最北――どこまでも真っ白な大地に佇む、アイスグリーンの人影を見つけて、空から大声で叫ぶ。

「ティーセーナーさまーっ!!」

 まだ声が届くには遠いかなと思ったけど、呼んだら、ちゃんと振り向いてくれた。
 ひっそり静かな雪原の空気は澄んでいて、ただでさえ生息数の多くない小動物がほとんど冬眠してるから、小さな音でもよく響くんだ。
「どうかした? シェリー」
 彼女が片腕を差し出してくれたので、私は、甘えて手のひらに乗っからせてもらった。
「探しに来たんですよぉ、ティセナ様を!」
 なにしろ手頃な岩どころか枯れ木ひとつ近くに無いという、殺風景な場所で。
 人間が、歩きながら喋るより座った方が落ち着けるのと同じように、もちろん私たちも羽を休めていられるに越したことはないのだった。天使様たちとでは、如何ともしがたい身長差の問題もあることだし。
「なんでまた、こんな辺鄙なトコに?」
「んー……よく分からないよね。普段は探索しない地域を調べたら、堕天使の痕跡くらい見つかるかと思ったんだけど」
 ティセナ様は、ぼーっと曇り空を仰いだ。
「世界、広すぎ」
「う、うん。アポルオンのことは、もちろん気になりますけど」
 いくら任務でインフォスへ来てるといったって、不眠不休でやっていける訳がないんだから、たまには割り切って遊んでもいいんじゃないかなぁ。
 本当に、変なとこローザにそっくりだ。
「早く帰りましょう? こんな寒いところに立ってたら、風邪ひいちゃいますよ」
「……帰る」
 つぶやいて不思議そうに、今度は私に視線を向ける。
「帰るって、どこに?」
「ベテル宮に寄って雑用ぜんぶ片づけて、それからタンブールの教会に行きましょう? フィアナ様の回復祝いパーティー準備、着々進んでますよ♪」
 旬の食材をふんだんに使ったごちそうの数々はもちろん、子供たち合作の 『おめでとう!!』 垂れ幕がかかり、当日は奮発してシャンパンまで振る舞われるらしい。
 フィアナ様は、照れ臭げにしつつも嬉しそうで。
 うっかり居合わせてしまった男性二名は、ジェシカさんから肉体労働に扱き使われてたけど、それで美味しい料理にありつけるんならシェリーちゃん気にしない。
「やだなぁ」
「へ?」
「だって、シーヴァス様いるじゃない? シスターたちの前で、露骨に無視するわけにもいかないし」
「………………そんなに嫌なんですか?」
 昔から、お互いに敬遠してる感じはあったけど。二人きりじゃなくて、大勢の中で顔を合わせるだけでもダメなんだろうか。
「嫌いって訳じゃないよ、苦手なだけ」
 バツが悪そうに、ライトブラウンの髪をわしゃわしゃ掻いて。
「あの人、近くにいると頭痛くなるから」
 小さな溜息をついたティセナ様は、数秒、ためらうように目を逸らして後を続けた。
「それから眠ると絶対、夢を見るの」
「ゆめ?」
「赤くて、真っ暗な場所で――金髪の女の子が――父さまと母さまを返してって、泣いてる」
 面食らった私は、まじまじと彼女を見上げてしまう。
 そんなの初耳だ。
 あれ? それじゃ “頭が痛くなる” って、比喩の類とは違ってた?
「シーヴァス様、ですか?」
 彼と一緒にいて受ける影響なら、そう考えるのが自然だろう。
「子供の頃の……記憶とか、かなぁ? 確か、ご両親は火災で亡くなられたって話でしたよね」

 アストラル体の私たちは、人間同士よりもずっと高い確率で、そういった一種の共鳴現象を起こすことがあるのだ。対象は、なにも生物に限らず、その土地で過去にあった出来事をフラッシュバックのように感じ取ったりもする。

「精神感応の典型って、過去を夢に見るんでしたっけ? それじゃあティセナ様、実は魂の波長ピッタリなんじゃないですか」
 ぽんっと私が手を打つと、向かいの細い肩がげんなり落っこちた。
「気色悪いこと言わないで。だいいち、夢に出てたのは女の子よ?」
「えーっと。それじゃ、なんなんでしょう?」
 幼少期のシーヴァス様なら、それこそ美少女に見間違えられるくらい可愛かったんじゃないかと思うけど。下手なフォローをすると機嫌を損ねそうだったから、お茶を濁してみた。
「――分からない」
 すうっと首を振ったティセナ様は、気を取り直したように話題を変えて。
「シェリーは今、寒い?」
「寒いに決まってるじゃないですか! いくら妖精だって、袖なし足出しの格好で氷雪地帯はキツイですよぉ」
 飛びついて急かした私に 「じゃあ、帰ろうか」 と言って、景色に溶けそうな翼を広げた、

「あっ、お花!」

 彼女の足元に、鮮やかに映える新緑色を見つけて、思わず身を乗り出す。
「わー、わー♪ キレイに咲いてますね……」
 丸みを帯びた純白の花びらが三枚、まっすぐ伸びた茎の先端に、くるんと耳飾りみたいに垂れ下がってる――スノードロップだ。
 インフォスの暦は、今は10月。クヴァール地方はまだ暑いくらいなのに。
 本来、春が近くなってきた時期に咲く品種だったはずだけど、この辺りは一足先に冬が終わるんだろうか。それとも、もしかしたらインフォスの時流が狂ってる反動で?
 分からないけど、細かい理由なんか無関係に可愛い。
「そうだ、ティセナ様。このスノードロップ、持って行きません? フィアナ様のお祝いに!」
 手ぶらじゃ味気ないし、任務用アイテムを贈るのもイマイチだろうから。
「植木鉢に桃色のリボンつけて、窓辺に飾ったら和むんじゃないかな――ああっ、病室に鉢植えって良くないんでしたっけ? 花束にするには、ちょっと数が足りないですよね」
「ああ、寝付くっていうらしいね。人間界では」
 私が 「うーん」 と唸っていると、ティセナ様は、微苦笑を浮かべながら却下した。
「ただ、それ以前の問題でさ……確かに可愛いけど、プレゼントには最悪だよ、これ。死んじゃえ、って意味になるから」
「うええっ!?」
「正確には、あなたの死を望みます」
 冷ややかな口調で言われて、私は仰天した。
「あ、あれ? 希望とか、慰め、じゃありませんでした? スノードロップの花言葉」
「贈り物にしたとたん、解釈が変わっちゃうんだよ。フィアナが死にかけた直後だし、さすがに洒落にならないよね――そんなに知られてない花言葉だけど。シスターエレンなら、伝承とか詳しそうだし」
 うん、誤解されたら困る。
「雪国の花なんだから、ここに咲いてた方がいいよ」
「……そうですね」
 縁起も良くないみたいだし、潔くあきらめよう。
「だけど、なんでそんな物騒な花言葉になっちゃったんでしょう? こんなに可愛いのに」
「摘んだらすぐに、枯れちゃうからかな――」
 静かな眼で答えたティセナ様は、そろそろ行こうかと私を促した。
「パーティーなら、たぶんクレア様がお手製ケーキ焼いてるだろうから。おすそ分け貰って、アーシェとナーサディアにも届けよ」
「あっ、賛成です! またすぐガルフに行くんだから、しばらく他の勇者様たちを訪問できないですもんね」
 せめてパーティーが終わるまでは出てこないでよと、私は、どこに居るかも分からない敵に向かってひっそり念を送った。
「ところでグリフィン様とレイヴ様には、なんにも無しですか?」
「甘いもの嫌いだからねー、あの二人」
 まだ出会ったばかりの頃に、うっかりお菓子を差し入れて。
 泥水でも飲んだかのような渋い顔をされてしまい、天使様たちに泣きついた経験も今となっては笑い話だ。
「もったいないですよね、美味しいのに」
「ね」
 しょうがないから彼らには、夜食として、パーティーメニュー詰め合わせをお届けすることにしよう。



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ティセナを花に例えると、スノードロップのイメージ。外見とか、込められた意味とか。
続編 『パンドラ』 への伏線を、あれこれ張るのが楽しい今日この頃です。