◆ 聖なる夜に(1)
「いや、キンバルトに行くとしか聞いていないが」
帳簿から顔を上げた宿の亭主は、首を振りつつ答え、もの珍しげにクレアたちを眺めやった。
「あんたら、親類か何かかい? それにしちゃ似てないな」
「ええっと……ですね。友人の知り合い、というか」
もごもごと語尾を濁す天使に代わって、一歩前へ出たシーヴァスが訊ねる。
「ヤルル・ウィリングについて、他に覚えていることは? なにぶん子供ですし、他国まで旅するほどの荷や金銭を所持していたとは思えませんが」
「そうだなあ――ちゃっかり宿代値切って、中央広場で、木彫り細工の行商までしていきやがった」
「値切り?」
「ぎょう、しょう」
「ああ。11月に入ってから商店街じゃ、クリスマスの下準備が始まってて」
玄関口を掃除していた女性が、そこで会話に加わり。
「ここいらは滅多に雪が降らないぶん、ツリーから何まで飾りつけに凝るんですよ。目立ったモン勝ちってね。あの子、ちょうどいい天使のレリーフなんか持っていたから」
ガルフの特産品なんですって、と感嘆をもらした。
「ウチも、宿泊料を値引きする代わりに、木彫りのサンタとトナカイを揃いで作ってもらったんだ。立派な出来だろう? 近くの山で、手頃な木や石拾ってきて、ちゃっちゃーっと格安で仕上げちまったんだ。専門店に頼んだらぼったくられるぜ、こういうの」
亭主は、来月になったら綿と灯りで縁取って看板に出すんだと、カウンター裏に置いてある木製の像を指した。市販品と比べて少しも遜色ない、職人技の緻密さである。
「立て付けが悪かった戸も、ついでに修理してくれましたしねえ」
「ガキんちょのくせに、器用なもんだよなあ」
たくましくも強かな単語の羅列に、呆気に取られ顔を見合わせる二人へ、しみじみと肯いた亭主が太鼓判を押した。
「そこいらの大人より、よっぽどしっかりしてるぜ。あの坊主はよ」
礼を述べ外に出て、ざわめく大通りで溜息ひとつ。
「やれやれ、だいぶ追いついたか……」
「いったいキンバルトの、どこへ向かっているんでしょう? ヤルル君は」
「私に聞くな」
シーヴァスは 「まったく年端もいかぬ子供が、町から街へうろうろ――」 と眉間にシワをよせ、雑踏を一瞥した。
「ブルスト山脈で出くわしたのを、送り帰してやったばかりだぞ? ウィリング夫人も、よく幼い息子を一人旅になど出せるものだ」
「父親に似たんだ、と」
ガルフの地で一人、家族を待ち続けていた女性の、優しくも寂しげな表情をクレアは思い返す。
「無理に引き止めても遠からず行ってしまう。ラッシュが傍にいるから、さほど危険はないだろうと仰って……確かに神獣なら、下級魔族くらい容易にあしらえる力を持っていますけれど」
フィアナの快気を祝った、翌日。
ローザに案内されてクヴァール最北へ、神獣を連れた少年の実家を訪ねた――が、一足遅く。
村に立ち寄った薬師から、勇者と呼ばれる男の噂を聞きつけたヤルルは、再び “ラッシュ” を連れ故郷を飛び出してしまっていた。なんでも数年前より、遠方の町へ魔物退治に赴いたまま戻らない父親・ルドックを探しているのだという。
取り急ぎタンブールへ引き返し、ちょうど港から発とうとしていたシーヴァスに付き添ってもらい、緑の縦縞ポンチョを着た少年について市街で聞き込みしたところ――いくつか目撃証言を得られたのだが。
(……ジャックも、なにを考えてるのかしら?)
もうずいぶん長い間、寄り添い過ごしてきたという人の子に。天界に関する事柄を、どこまで明かしたのだろう。
なにも伝えてはおらず、ただ惹かれるものがあって共に居ると?
「モンスターと誤解されかねない形貌の動物だ、さすがに人里へは連れ歩けずにいるようだが――街道や山林では、あの獣の背に乗っているんだな。子供の足にしては、あまりに移動ペースが早すぎる」
シーヴァスは、懐から取り出した地図をなぞってみせた。
「このルートを通ったなら、確かにキンバルトへ向かったんだろう。わざわざ山岳を迂回してまで、航路で、北大陸を目指したとは考えにくい」
横から覗き込んでみたものの、クレアには、いまいち紙面における東西南北がピンと来ない。
「うー……ん?」
「ローザは、エスパルダ方面から南へ探索しているんだったな。ならば、このまま陸路を進めば、行き違いは避けられる」
地上における天使の距離感覚がアテにならない、と心得ている勇者は、クレアの相槌を待たず歩きだした。
「まだ陽も高い、次の町までは楽にたどり着けそうだ。今夜は、そこで宿を取ろう」
「ええ――でも、お屋敷に戻らなくていいんですか? シーヴァス」
キンバルト領内へも同行する前提で、話を進めている様子の勇者に、クレアは遠慮がちに訊ねた。
「こちらへ来て、だいぶ経ちますし。ジルベールさんたちが心配されているのでは……ほとんど私個人の用なのに、付き合っていただくのは気が引けます」
自ら巻き込んでおいて何だが、ヤルル・ウィリングの目的地にさえ見当がつけば、あとはどうとでもなるわけで。
「そのジャックハウンドを問い質せば、前任者の顛末から、敵の動向まで判明するかもしれんのだろう?」
けれど彼は、微苦笑を浮かべ、
「フィアナ・エクリーヤがまだ動けん以上、私はこの地域に留まった方が良いと思うが。ヘブロンの勇者としては、レイヴもいることだしな」
さらりと受け流して、少々意地悪くとぼけた調子で言う。
「だいたい、どうせすぐまた任務に駆り出されるなら、帰ろうとするだけ無駄足というものだ」
「ご、ごめんなさい」
だいじょうぶです、自宅でゆっくり休んでくださいとは、とうてい言えた義理ではなく。
「だから、いちいち冗談を真に受けるなというのに――」
これで何度目になるかも定かでない嘆息を耳にして、さらに萎縮するクレアだった。
ヤルルの動向に振り回される、天使&勇者の図。ラッシュを、ラスエル付の神獣だったと仮定したときから、ずっと書きたかった捏造話にそろそろ突入です。