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◆ マクディル


「フェリミさんのお姉さんが、洗脳されてる!?」
 不意打ちで関わってきた名をにわかに信じられず、クレアは呆然と訊き返した。
「……兄様に?」
「邪法を以ってモンスターを使役している、魔族か堕天使と契約を交わしていることは間違いありません。精神状態もマトモじゃなさそうだ」
 ニーセンの借家、屋根の上にて。
 ティセナは淡々と、報告を続ける。
「ナーサディアにかけられた “老いの呪い” と “若返りの祝福” は、強制的に解除するわけにはいかない――術者を探して、逆凪を相殺するタイミングで消さないと」
 百年以上もの時を捻じ曲げてきた高位魔法を、ムリに解こうとすれば。
「胎児にまで逆流して消滅するか、老いさばらえて土に還るか……どちらにせよ彼女は即死します」
 試すには、リスクが高すぎる。
「后妃ミライヤも、過ぎた魔力に蝕まれている可能性が高い。洗脳を解けば――目覚めた本来の自我に、どんな副作用を齎すか分かりません。けれど近隣諸国はおろか領内にさえ、混乱を撒き散している人物をこのままにも出来ない」
 放置すれば、おそらくカノーアを支援するだろうファンガムやヘブロンと、北大陸全土を巻き込む全面戦争だ。
「谷のドラゴンたちも…… “竜王が統べる国” を貶めたうえ、マキュラと同種の邪法を使うと判った彼女を、敵視し始めています。さすがに帝都襲撃といった行為は、リュドラルさんが諌めてくれると思いますが」
 単純に兵総数を考えれば、孤立したデュミナスが討たれて終わりだろう――けれどミライヤは黒魔術の使い手、操られたモンスターは脅威となる。
 さらにカノーア軍は実戦経験に乏しく、頼りのヴォーラス騎士団長は行方知れず。
 黒衣の騎士も、いつ再びアンデッドを率い仕掛けてくるか分からないのだ。
「本当にラスエル様が絡んでいるのか、ボルサに現れたという影が何者か、手掛かりを得る好機でしょう」
 なにより、ミライヤを政権から引き剥がせれば。
 彼女を支持した強硬派も、いまの勢いを失うはず。
「マクディル姉弟は、今晩、帝都サルトゥスの郊外で会う予定になっているようです。どうしますか?」
「行きましょう」
 迷う理由はなく、そんな時間のゆとりも無い……クレアは、決然と立ち上がった。


「あ、お二人とも! こっちです」


 雑木林に隠れていたシェリーが、ホッとした様子で手招く。
 ティセナに案内されて到着した街道脇には、豪奢な造りの馬車が停まっており。
「どこへ行ってたの、フェリミ!」
 ひときわ目立つ大樹のもと佇むライムグリーンの人影に、ミライヤが駆け寄っていくところだった。
「ラルースの視察を終えて戻ったら。先に帰らせたはずの、あなたは宮殿にいないし――護衛につけた連中を問い質そうと思ったら、全員、カノーア軍の捕虜になってるって言うじゃないの! ああ、もう。心配したのよ!?」
 子供を叱るような調子で言うデュミナス后妃は、そこだけ見ればごく普通の。弟との再会を喜んでいる “お姉さん” にしか思えない。
「とにかく無事で良かったわ……二度とはぐれちゃダメよ、迷子になるから」
「帰ろう、姉さん」
「そうよ、安全な帝都で暮らすの。いらっしゃい、フェリミ」
 けれど少年は 「違うよ」 と首を振り、取られた腕をミライヤごと逆方向へ引っぱり戻した。
「この国を出るから、迎えに来たんだ――僕の居場所は、デュミナスには無いから」
「なにを言ってるの? あなたは私の弟として」
「僕は、弱いよ」
 眉をひそめる后妃を見据えた、少年は。
「姉さんが言う “強者” にはなれないし、なりたくない。戦争も権力も大嫌いだ」
「フェ、リミ?」
「まだ孤児院にいた頃……僕を庇ってくれながら、姉さん、口癖みたいに言ってたよね? 戦争さえ起きなければ、きっと、こんな目に遭わずに済んだのにって」
 モンスターの被害に怯えるラルースへ攻め込んだと、噂に聞いたことを。
 デュミナス軍に焼かれたカノーアの街を見たと、告げた。
「義父さんたちが残してくれた、僕らの帰るところは――マクディルの家は、街ごと壊されて無くなってしまったよ」
 そうして泣き笑いのような表情で、問いかけた。
「孤児院から連れ出してもらった日のこと、覚えてる? あれから四人家族になって、フェデコで暮らした時間……僕は楽しかった、幸せだったよ。姉さんは違うの?」
 ミライヤは戸惑い、立ち尽くしている。
「平和だったカノーアを、僕らに優しかった国を、壊したいの?」
「わ、たし……?」
「親を亡くして、家も無くした。昔の僕らみたいな子供たちを、増やし続けていくことが――姉さんの望みなの? 本当に?」
「……そうよ、弱いものは」
 応じる彼女の声は、うわ言めいて頼りなく。
「だったら僕は、デュミナス軍と戦うよ。姉さんに、そんなことさせたくないから」
 フェリミは懇願の入り混じった口調で、たたみかけた。
「僕らの父さんや母さんを殺した人たちと同じこと――これ以上、させたくないから」
「同じ……私が? 違う、違うわ。だって生きるためには」
「ジャマをするなら、僕も殺す?」
 がくがくと震える腕で耳をふさいだ、姉の退路を断つように。少年は正面きって訊ねた。
「弱者に、生きる価値が無いなら――僕は、姉さんに要らないもの?」
「ち、が」
 頑迷だった瞳の色に、恐怖と混乱が滲みだす。
「違う、フェリミ……? どこなの、遠くへ行っちゃいけないって、いつも……帰る」
 瞳孔が焦点を失い、ぶつぶつと呟きながら草むらにへたり込んだミライヤの身体から突然、
「――うわっ、瘴気!?」
 炎のように噴き上がったどす黒いオーラに、滞空していたシェリーがひっと身を竦ませた。
「ラスエル様が助けてくださった “力” を授けてくださったんだもの、だから堕天使様が正しいのよ戦い続けなきゃ私は」
 眼前の女性が口走ったことに動揺しつつも、クレアは必死で、邪法による精神汚染の度合いを見極めようとする。
「…………嫌よ……イヤ……」
「ね、姉さん?」
 支離滅裂な言葉の羅列、尋常でない錯乱ぶりに、驚いたフェリミが片手を伸ばすが、
「もう二度と、あんな惨めな想いをするのはぁあ――ッ!!」
 護身用だろうナイフを胸元から抜き放ち、あろうことかミライヤは弟に斬り掛かった。
「!」
 とっさに割って入ったクレアは両手で彼女の頭部をわし掴みに、そのまま浄化魔法を発動――力加減など考える必要もなかった。こちらの聖気を掻き消さんばかりのエネルギー波が激流となって押し寄せ、少しでも集中力を乱せば弾き返されそうになる。デュミナス后妃に “力” を与えたものは、間違いなく堕天使アポルオンと同格以上の。
「っきゃあ!?」
 思考途中いきなり糸が切れたように、拮抗していた相手側の魔力が消失。
 反動でクレアは、ミライヤと逆方向へ吹き飛ばされた。
「だいじょうぶですか?」
「う、うん……ありがとう」
 宙でティセナに抱きとめられ、マクディル姉弟に視線を移せば、
「姉さん、ど、どうしたの!?」
 凶器のナイフは、かしゃんと地面に転がり。ミライヤは弟の腕の中で気絶していた。
 なにがどうなったかまったく解らないのだろう、フェリミは、倒れた彼女を抱き止めたままおろおろしている。

「貴様っ? ミライヤ様に、なにを――」
「弟君だからと遠慮して、席を外してやったというのに!」

 とたん、馬車で待機していた強面の従者がすっ飛んできて、威嚇するように剣をかまえた。
「……はっ!」
 一瞬うろたえるフェリミだったが、目にも留まらぬ早業で弓矢を射かけ。びらびらした裳裾を狙い撃っては、ものの見事に彼らを木の幹に縫い止めてしまう。
「な、なんだとぉ?」
「くっ、動けん――」
「すみません、すみません! 失礼します!」
 服ごと矢を引き千切ろうと暴れるデュミナス兵に、謝り倒しながら近づくと、鞄から取り出したハンカチを鼻先へ押しつける。
 なにか薬品を含ませてあるらしい、それを嗅がされるなり男たちは一人残らず気を失ってしまった。
「と、とにかく……捕まらないところへ行かないと」
 ぐったり息をついた少年はミライヤを背負って、時折ふらつきながらも川岸へたどり着くと、係留されていた小船に乗り込んでいった。

「確かに、アーシェ様は――引っぱたいて縛り上げてでもミライヤの暴走を止めなさいって、言ったけど」
 おとなしそうな顔してるのにムチャするなぁと、しみじみ呟くシェリーの隣で、ティセナが訊ねる。
「……どうでしたか? 彼女の自我を、磨耗させていた魔力は」
「水の気配は、皆無だったわ」
 兄は、クレアと同じく水属性の天使だった。
 どんなに変わり果て、たとえ堕天しようと四大元素の法則は揺るがない。
「瘴気に混じって感じた “力” は風に属するもの……だから兄様じゃない。故意か偶然か分らないけど、ラスエルと名乗っている堕天使がいるということね」



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ミライヤが殺してしまいたかったのは、惨めだった頃の記憶なのかなぁとボンヤリ。同類嫌悪というヤツなんでしょうか。