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◆ 砕け散る平和(2)


 ブレイダリク王殺害を目撃した、人々の悲鳴が重なって響き渡り。
 こけつまろびつ逃げ出した彼らの形相に、ただごとならぬ空気を悟ったか――バルコニーの様子など分らぬ場所にいた者たちまでもが、引き潮のごとく走りだした。

「ウソ……嘘でしょ? お父様が」

 けれどうわ言のように呟いた、少女はふらふらとバルコニーの方へ足を踏み出し。
「あ、ちょっ、どこへ行くんですか!?」
 彼女の名を呼びかけ、クレアは危いところで口を噤んだ。恐慌状態に陥っているファンガム国民は、すれ違う誰がなにを話していようと気にも留めないだろうが、
「城に決まってるでしょ! お父様とお兄様を、助けなきゃ――」
 腕を掴み止められもがくアーシェの言動を、クーデター兵に見咎められては大変なことになる。
「壇上で倒れているお二人の、生命反応は途絶えています」
 隠しても、どのみち知れること。内心の動揺を押し殺し、クレアは強いて事務的に告げた。
「……もう、手の施しようがありません」
「嘘!!」
 しかし乾いた唇をわななかせ、手を振り解こうと暴れ叫ぶ。
「イヤよ、私は帰るの! 家にっ、帰って来いって言われてたんだから!!」
 アーシェを引きずり戻そうとする天使の聴覚に、バルコニーの奥で交わされる会話がかすかに聞こえ。

「ブレイダリクの側近連中は?」
「数人は取り逃がしたものの、ほぼ始末し終えました」
「すでに国境は封鎖済み。追っ手も放ちましたゆえ、捕縛は時間の問題かと――」
「さらに王女の首を持ち帰った者には、将軍の地位を与えると申し伝えております。みな、喜び勇んで出掛けていきましたよ」
「それにしても、ステレンス様の御力は素晴らしい!」

 さらに視界の端、逃げ惑う一般人を威嚇しながら近づいてくる兵士の影がちらついた。
「ダメですってば! もし見つかったら、あなたまで」
「お父様……お父様ぁーッ!!」
 あわててアーシェの口を塞ごうとするが、もう遅い。
 略式とはいえドレス姿の勇者は、人垣が消えてしまえばひどく目立つ。平静を欠いては詰問もかわせないだろう。
「おい、そこの女――」
「! ごめんなさいっ」
 クレアは勇者に防御魔法をかけ、渾身の力で以って路地裏へと突き飛ばした。
「えっ!?」
 体勢を崩したアーシェは、足をもつれさせ仰向けに転び。
 彼女に続き、ひとまず兵士の眼から逃れたところで結晶石を取りだす――非常用としてティセナから渡されていたマジックストーンのひとつ、転移魔法を帯びたものだ。
 時空移動などは逆立ちしても不可能だが、この場を逃れるくらいなら、なんとか。


 そうして暗転する視界、浮遊感。


「き」
 一瞬のち。クレアは、着地した茂みへよろよろと突っ伏した。
「気持ち悪……っ」
 コントロールを誤った場合、術者はおろか同伴者も細切れになりかねないことを考えれば――こんな吐き気程度、物理法則を曲げた副作用としては軽いものだけれど。
「なに、これ? なんでこんな、いきなり森に」
 とっさにかけた障壁が効いたんだろう。身体に異常を来たした様子もなく立っているアーシェを見とめ、ホッと安堵の息をつくも束の間。
「なにすんのよ勝手に、どこに連れてきたの!? あいつら全員なぎ倒して、早くお父様たちの手当てしなきゃいけないのにッ」
「そんなふうに錯乱していて、戦える訳がないでしょう!」
「戦えるわよ、バカにしないで!」
 親の仇であるようにクレアを睨みつけ、少女は憤然と踵を返す。
「ろくな防具も装備してないのに、多勢に無勢で敵うわけありません! 今はファンガムから離れないと」
 制止の声に振り返ろうともしない。
 理性ではなく感情の部分が、認めることを拒絶しているのだ。最も親しい人たちの死を。
 叶うものなら、せめて看取らせてあげたかったとは思う。けれど――あの状況下で城へ向かおうとしたこと自体が混乱度合いを証明していた。
 とにかくティセナたちに報せなければ。
 だけどこんな、どこだか分からない森で彼女を見失っては困る。ふらつく膝を叱咤しつつ追いかけていった、クレアは唖然と息を呑んだ。

 一足先にアーシェが抜け出た、森の外。
(……魔物?)
 細い街道を塞ぐように数体のモンスターを従えた、鎧姿の人間がたむろしている。

「おや、これはこれは――どこへ行くおつもりですかな? お嬢さん」
「ここは現在封鎖中でしてね。一般人の出入りは禁止されているんですよ」
「うるさいわね、そこを退きなさいッ! 私はファンガムの第一王女、アーシェ・ブレイダリクよ!」
 とたん、彼らは爆笑した。
「もう王女じゃないだろう? ああ、まだ知らないのか」
「なんせ社交界デビューする歳にもなって、ワガママ放題の家出娘だったんだからなぁ? ファンガムの恥だぜ、おい」
「イイコト教えてやろうか、アーシェちゃん。あんたの父親は、ついさっき死んだんだよ。ブレイダリク家に愛想つかした重鎮たちに、ざっくり斬られてな」
 それまで興奮と焦りに紅潮していた、アーシェの顔色が一気に青褪め。
「使い魔の報告だ、間違いないぜぇ」
 兵士の肩に止まっていた鴉が、応えるように “ガァ” と鳴いた。
「息子ともども即死だったそうだ、苦しまずに逝けたろうから安心しな。あんたも今すぐ、お父様のところに連れてってやるよ」
「しかしまあ、国境の監視なんざ退屈な仕事を回されたモンだと思っていたが――まさかターゲットが、向こうからノコノコ現れるとはな」
「いっとくが、手柄は山分けだぞ?」
「俺は出世するより、たんまり金貰って豪遊生活送る方がいいねえ」
「あなたたち――絶対に許さない!!」
 ぶるぶると怒気に全身を震わせながら、ダガーを抜いたアーシェが突進していく。けれど普段はしなやかな太刀筋も、今はメチャクチャで。
「許さないからどうするってんだ、ああ?」
 嘲笑まじりに軽々とかわした敵は、彼女の背を斬りつけた。
「王女の護身術程度で、生粋の軍人に歯向かおうってあたりが世間知らずなんだよ!」
「きゃあっ!」
「アーシェ!!」
 弾き飛ばされてきた少女を抱きとめ、クレアは急ぎ回復呪文を唱える。
 幸い、刃は内臓にまでは達していなかったようだ。裂けたドレスに染みた血は消せないが、それが魔法のカモフラージュになるといえば言えた。
「なんだぁ? 侍女連れて物見遊山してやがったのか」
「放蕩王女のお目付け役たぁ、不憫なこって」
 獲物をいたぶる猛禽類めいた眼つきの、クーデター兵が距離を詰めてくる。クレアは勇者の耳元でささやき。
「動けますね? 全力で走って森に隠れて。石で呼べば、ティセに通じますから」
「く……クレアも一緒に、でしょ?」
 身じろいだアーシェは、縋るようにローブの裾を握りしめてきた。
「いいえ。いくら念じれば伝わるといっても集中しないと、誰が呼んでいるのか曖昧になりますから。頼みましたよ?」
「だけど、一人で時間稼ぎなんて」
「いいから早く行きなさい! あなたまで殺されてしまったら、ファンガムはどうなるの!!」
 引きずり立たされた少女はびくっと身を縮め、泣きだしそうな表情で、それでもようやく指示に従ってくれた。
(こんな、あっさり君主を裏切るような兵士たち。アポルオンに比べれば怖くもなんともないわ)
 銀のナイフを抜き放ったクレアは、防戦一方に徹し、どうにか敵兵の初太刀を弾き返すが――肝心のアーシェは10メートルと進まぬところで立ち止まり、うろうろとこちらを気にしながら悲鳴を上げる。
「クレア、右! 危ないっ……!」
 警告なんかしている暇があったら早くティセに、と怒鳴り返しかけた、そのとき。

 崖上から飛び出してきた、騎影が眼前を横切って。

「え?」
 瞬き我に返ったときにはもう、モンスターを含む敵兵は残らず地面に叩き伏せられていた。
「間に合った……とは、言えそうにないな」
 馬から降り立った青年は、白いマントを風になびかせ、長剣を片手に溜息をついている。
「フリート? どうしてシーヴァスが、こんなところにいるんですか?」
「先に、そいつの名を呼ぶか? 普通」
 呆れ顔で不満げに言う主にかまわず、フリートは、ひひんといななき鼻面を寄せてきた。だいぶ長い距離を走ってきたのか、葦毛の尾まで汗だくである。
「シャリオバルト城で捕縛された賊が、ファンガムのクーデター計画を吐いてな。阻止できればと思ったんだが……グルーチの城は」
「ステレンスという男に、王座を奪い取られました。逃げおおせたのは、彼女――第一王女だけです」
 問いに、鬱屈とした気分で答え。
 ふと見ればアーシェは森の中、緊張の糸が切れたようにへたり込んでいた。
「アーシェ? だいじょうぶ、彼は味方ですから」
 とにかく中途半端になっていた傷の治療をと、駆けよって言い聞かせたクレアに、ぎゅうと無言でしがみついた少女は。

 シーヴァスが実力行使で突破してきた国境を抜け、ヨーストに逃れるまで。
 まるで言葉を忘れてしまったように一言もしゃべろうとしなかった。



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感情的にダガーを振り回してもきっと隙だらけ、多勢に無勢はムチャだと思う。そうしてベタなシチュエーション。現代モノでは照れが先行しますが、騎士様ならOK……の気がする。