NEXT  TOP

◆ 絶望の淵(1)


「まあまあ、クレアさん?」
 かつて長期滞在していた客人と、半ば抱きかかえるように連れて来られた少女を見比べ、ジルベールは眉をひそめた。
「どうしたんですか、坊ちゃん。そちらのお嬢さんは」
「彼女の知人だ」
 アーシェ・ブレイダリクの表情は、蝋人形めいて虚ろで。
 玄関先に顔を出した他のメイドたちも、ただごとならぬ空気を察したか口を噤む。
「建国祭の会場で、クーデター兵に襲われかけてな……しばらく屋敷に泊めたい。客室をふたつ開けてくれ」
 さすがにファンガム王女だと告げることは憚られ、当たり障りのない説明で済ませると。
「かしこまりました」
 ジルベールが、気遣わしげに話しかけ。
「さぞかし怖かったでしょう。ゆっくりお休みください、ここは安全ですから」
「…………」
 けれど、その声も耳に入らないのかアーシェは無反応で。代わりにクレアが、恐縮しきった様子で頭を下げた。


「そうですか、ファンガムが――」

 文字どおり飛んできたティセナは、押し黙り。ややあって確認するように訊ねた。
「ヘブロンは動くんですか?」
「ああ、すでに軍部がカノーアのお偉方と会談中だ。和平条約の締結者だったブレイダリク王が殺され、首謀者のステレンスは、手駒としてモンスターまで従えているというのだからな」
 城内戦闘からほとんど休み無しに、ファンガムからヘブロンを往復してはさずがに息も切れる。
 自室の窓辺に背を凭せかけ、シーヴァスは答えた。まあ、二人も乗せて帰路をひた走ったフリートの方が、間違いなく疲れているだろうが……あとでリンゴでも差し入れるとしよう。
「失踪したデュミナス后妃が奴らに加担しているのでは、と噂も立ち始めている。軍を送るにしろ、クーデター兵の出方と規模を把握してからになるだろうが」
「なら、私の出る幕ではありませんね」
 淡々と言うティセナの傍らには、やはり呼び出されてきたローザとシェリーの姿もあった。
「アーシェが生きていると判れば、彼女を旗印に人が集まるはずです。本人の精神状態が回復するまでは、待つより他にないでしょうけど」

 問題の王女は、呆けたように膝を抱え、客室のベッドにうずくまったまま。
 少なくとも国境付近で発見したときには、敵兵と戦おうとする気概は残っていたようだが――ヘブロンへ逃れて落ち着くどころか、時間が経つほど自分の殻にこもりつつあるように思える。
 興奮と混乱に麻痺していた心が、喪失感に塗り替えられてしまった為だろう。
 アーシェに付き添っている天使は、食事を摂らせようと四苦八苦していたが、あのぶんでは徒労に終わりそうだ。

「会っていかないのか?」
 あっさり翼を広げ去ろうとした、ティセナに困惑して呼び止めると、
「クレア様がいれば充分じゃないですか。私がここにいても出来ることはない、彼女にかける言葉もありませんし」
 冷めたアイスグリーンの瞳が、こちらを見返してきた。
「裏で一枚噛んでるだろう魔族はともかく――謀叛を企むような輩を大臣に据えていたことは、どうあれ王家側の失策です。インフォスの混乱が片付けば、私たちはいなくなるんだから。当事者が解決しなきゃ意味がないでしょう?」

×××××


「だいじょうぶかなぁ、アーシェ様」
「ティセナ様も仰ったでしょう? 付き添いの人数が多ければ良いという問題ではないし、他に優先すべきこともあるわ」
 後ろ髪引かれる思いで呟いたら、ローザに諭された。
「レイヴ様の行方が分からないまま、アーシェ様も戦力に数えられなくなってしまったのだから。なおさら、通常任務を滞りなく進めないと」
 お屋敷を出て曇り空を飛びながら、私は 「……うん」 と曖昧に頷く。そうしたら、
「あれで案外、打たれ強いと思うよ。アーシェは」
 根拠はよく分からないけどティセナ様が、さらっと言った。
「好きなことや捨てられないもの、たくさん持ってる子だから。ちゃんと理由、あるんだから。放っておいても自力で立ち直るよ」
 勇者様の中で一番年下、ワガママな甘えたさんで頼りない感じなのに、どうしてそう思うんだろう?
 だけど今は早く元気になってくれるよう、祈るしかないのも確かで。
「私は、中断しちゃってたレイヴ様の捜索に戻るから。二人は各地の探索をお願い。あと――近くを通るときでいいから、ここの様子みててくれる?」

 あれこれ考え事していたら、いつの間にかクヴァール・ヴォート上空に着いていた。

「え? ここって」
 アポルオンの “シェード” に襲われかけたけど、フィアナ様がばっちり防いで無事だった街だ。
「あ」
「フェリミさん?」
 指し示された郊外の、掘っ立て小屋には、デュミナスから小船で脱出していったマクディル姉弟がいて。
「こっちに亡命してきたんですね……でも、どうしたんだろ? 風邪かなぁ」
 質素な部屋の隅、ベッドに横たるミライヤさんは、高熱に魘されているみたいだった。
「洗脳を解かれた副作用だと思う」
 ティセナ様が難しい顔になって、びっくりする私たちを一瞥したあと、心配そうにフェリミさんたちを眺めた。
「起きたときに、なんとも無ければいいんだけど」




NEXT  TOP

ヨースト邸の面々は書きやすいなぁ……マクディル姉弟のエピソードは、もうちょっと引っぱります。デュミナスから逃げて幸せに暮らしました、とはやっぱり終われない。