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◆ 絶望の淵(2)


 バタバタ響いてくる物音に、ふと目覚め、片手で開いたカーテンの外は真っ暗だった。
 時計を確かめてみれば、まだ朝方の四時である。
「なにを騒いでいるんだ、まったく……」
 シャリオバルト城の乱闘を鎮め、ファンガムへ馬を飛ばして反乱兵を蹴散らし、休む間もなく動き回っていた身に寝不足は辛い。
 シーヴァスは、欠伸を噛み殺しながら廊下へ出た。

「正門からは猫一匹、出入りしていませんよ?」
「裏口の鍵もここにあります。窓が抉じ開けられた様子はありませんでしたし――ご自分の意志で、石壁か垣根を登って越えたとしか」
「あの子……まさか、自殺する気なんじゃ」
「タチアナ、滅多なことを言うんじゃありません!」
「す、すみませんっ」

 階段の方からかすかに聞こえてくる、焦り慌てた声の主たちは。
「どうしたんだ、こんな時間に?」
「シーヴァス様!」
 夜着にガウンを羽織っただけのジルベールに、メイドたちが数人と、執事のグレン。
「それが、その――」
 さらには守衛室勤務の門番が、弱りきった顔つきで振り返り。
「アーシェが」
 その中心に立ち尽くす天使が、震えながら答えた。
「客室にいないんです、ベッドで眠っていたはずなのに……お屋敷のどこを探しても、見つからなくて」


×××××


 エスパルダ南西・バルバ島。
 歪な魔力が感知された、そこには騎士リーガルが残したヒントどおり、おどろおどろしい廃墟の館が建っていた。

 敵地に踏み込んだティセナ様は、うようよと通路を徘徊してたアンデッドモンスター・ワイトを片っ端から薙ぎ払っていく。
「うわ、わわわっ?」
 無事にレイヴ様を救出できたら、帰り道に付き添いがいるってことで同行した私は、彼女が張り巡らせている結界内に留まって傍観しているだけだ。
 こう言っちゃなんだけど、ホントに出る幕がない。
 とにかく速いし、翼があるから攻防ともに縦横無尽で――頼もしい限りなぶん、囚われの勇者様が心配だった。
(あのヒトは、まだ生きてるふうに言ってたけど……)
 こんな怪物だらけの暗い場所に、ずっと独りで閉じ込められてたら、精神の方が先におかしくなっちゃわないだろうか?
「はぐれないでね、シェリー」
「は、はいっ! 磁場狂いまくりの空間で迷ったら、どうにもならないですもんね」
 やっぱり扉の手前で留守番してれば良かったかな?
 でもでも、そこにモンスターが襲ってきたら私は逃げるしかなくって、そしたら連絡係のお務めも果たせなくなっちゃうし。
「それもあるけど。結界内にいないと、そーとー臭いよ? ここ腐った死体の巣窟だもん」
 ティセナ様は淡々と、怖いことを言う。
「みゃー!? お願いだから置いてかないでくださいよ、ティセナ様ぁっ」
 縮み上がった私が泣きつくと、彼女は 「分かった分かった」 と苦笑していた。

 そうして、ほどなく辿りついた地下牢の奥。
 ティセナ様は鉄格子をぶった斬って。どぉんという轟音に、手錠で拘束されていた人影が身じろいだ。

「レイヴ様!」
 思わず、ぎょっと叫んでしまう。
 鎧もぜんぶ剥ぎ取られて上半身真っ裸、しかも鬱血して傷だらけだ――あの森で、気絶するまで斬りつけられた痕が治ってないのか。それとも、また酷い目に遭わされたんだろうか?
「だいじょうぶですか? しっかりしてください、外へ出ますよ」
 彼を戒めていた鎖を手錠ごと、さっくり斬り落として。
 呼びかけるティセナ様の横から、そーっと覗き込んでみた勇者様は、死んだ魚みたいな眼をしていた。
「……ティセナか」
「はい」
 それでも億劫そうに顔を上げるけど、ほとんど焦点が合っていない。
「俺には、もうかまうな」
 ぼそりと呟いた声に滲んでるのも、助けに来てもらえた嬉しさや安堵なんかじゃなくて、拒絶だった。ああ、悪い予感的中だ。
「俺は、勇者ではない。もう――終わった」
「べつに “勇者” は、いなきゃいないでかまわないんですけどね。私は」
 うろたえる私の隣で、左手に持っていた鎖の切れ端を、ぽいっと床に放り投げて。
「なにが、どう終わったのかも知りませんけど……死ぬまでそうしているつもりですか? 呪術に支配された、この牢獄の時流は “完全に” 停まっている」

 “淀み” が発覚してから、臨時処置として、上級天使たちが送り続けている “時の風” ――例えるなら、心配停止状態に陥ったヒトへの人工呼吸みたいなものだけど――それさえ届いてない、ここは。

 インフォスに残された最悪な可能性の、未来図だ。

「ずいぶん深手を負わされたようですが、その傷は治りも悪化もしない。ただ苦痛を与えるだけで、命を絶ってはくれませんよ」
 レイヴ様は、うつむいて答えない。
「鉄格子は壊しましたから。死にたいなら、階段を上がれば――そこかしこをうろついてるワイトが嬲り殺してくれるでしょう。アンデッドモンスターの仲間入りして、思考も失い、騎士リーガルに従い尽くした方が建設的なんじゃないですか? あなたには」
「…………」
「敵が彼だったから戦闘放棄して、抵抗もせずに痛めつけられ、ここへ放り込まれたからここにいると言うくらいなら」
 あんまりな台詞の数々に、硬直した私は口をぱくぱくさせるばかりだった。
(なっななな、せっかく発見した勇者様になんってことをー!?)
 こーいう場合はやっぱり天使様らしく、傷心の青年を優しく抱きしめて労ってあげたりなんか、とか!
 ねえ、違うの違うの?
「ファンガムとの紛争を戦い抜いて守りたかったものが、リーガルさんの命なら――終わって償うことで気が済むなら、それがあなたの生き様なんでしょう」
 そっけなく言って、ティセナ様は空中から剣を取り出した。
「……落とし物です」
 クレイモア。
 エスパルダの森に転がっていた、レイヴ様の武器を。
「あなたに差し上げたものですから、最後までお好きに使ってください。それじゃ」
 壁に立てかけ、そうして踵を返してスタスタと行ってしまおうとする。
(えっえっ?)
 まさか、このまま置いてけぼりになんかしないよね?
 私がおろおろしてたら彼女は立ち止まったけど、薄い唇が紡いだのは、まるで期待とかけ離れた台詞だった。
「以前から聞いてみたいと思ってたことが、ひとつあります」
 アイスグリーンの眼差しは静かだったけど、なんだか怒ってるような感じもした。
「紛争の終結から、今まで――あなたが生きる理由は、どこにあったんですか? 彼が死んで、自分が生き残ったことを間違ってると思ってたくせに。ただの惰性?」
 対するレイヴ様は、やっぱり無反応だ。
「無為に散ってかまわないようなヒトを生かすために、リーガルさんは死んだんですか?」
 というか天井から吊るすみたいに立たされてたから、手錠と鎖が切れたあとはグッタリ床に座り込んでて、表情が見えない。
「……だとしたら、ひどい犬死にですね」
 斬りつけるみたいに言い放って、ティセナ様は今度こそ、半壊した牢獄から出ていってしまった。



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ボロボロな勇者様を、ひっそり昔の自分にだぶらせて苛ついているティセ嬢でした。これがクレアだと、ほとんどゲームシナリオをなぞった台詞になったと思います。