◆ 選ぶべき道(2)
小高い丘に、彼女はいた。
「アーシェ!」
勇者のもとへ舞い降りた、クレアは急いた勢いのままに問い質す。
「ああ、もう。やっと見つけた――だいじょうぶですか? どこも怪我とか、してませんか?」
「うん、ありがとう。探しててくれたんだ……」
「当たり前です!」
なにか喋っていなければ、安堵のあまり腰が抜けそうだった。
「クーデター兵に尾行されてて連れ去られたんじゃないか。堕天使が襲ってきて、異空間に攫われたんじゃないかって。お父様たちの後追い自殺なんて、まさかと思っても――アーシェが自分からお屋敷を出て行ったんだとしたら、そんな理由しか浮かばないのも確かですし」
「想像力豊かねえ」
当のアーシェは存外に落ち着いた様子で、苦笑して。
「想像したくてしたんじゃないです! どれだけ心配したと思ってるんですかッ」
「……そうだよね、ごめんね」
いつかと同じように膝を抱え、うずくまっている少女の右手を。
走って逃げだしたり出来ないよう掴まえて、ようやく一息ついたクレアは、傍らに寄り添う。
こういったときこそ道標となるべき “水の石” は、ヨーストの客室に置き去られていて。
まさか、クーデター首謀者・ステレンスとの相打ち覚悟でグルーチへ向かったのではと、ファンガム全土を巡り回って。
『どこにもアーシェ様の気配を感じませんし、王女が捕まったという騒ぎも聞こえませんから』
祖国に戻ったわけではなさそうだというローザの判断に、ならば何処へと、心当たりを探し着いたのは――昔、彼女が、父親からの手紙を読んでいた場所だった。
「あのね。一人になって、ゆっくり考えたかったの」
「私が居たら、気が散りましたか?」
そんなに目障りだったかと、萎れつつ訊ねれば。
「違うよ。クレアが優しいから、現実逃避して甘えちゃいそうだったの……絶対、そっちの方が楽だから」
少女は首を横に振って、ぽつんと答える。
「だけどね。ずっと考えてたら、分かったことがあったんだ」
「分かったこと?」
「お父様のこと。頑固で厳しかったけど、すごく私を大切にしてくれてたんだなぁ――って」
さらさら音をたてる黒髪に、縁取られた横顔は。
「やろうと思えば出来たはずなのに、ムリヤリ連れ戻したりしなかったし。ミリアス王子のことだって……娘の結婚相手を父親が決めるくらい、王族の間じゃ珍しくもない慣習なのに」
いつかのように独りで泣いていた、はずなのに。
「理由も無しに断るなんて、カノーアの心証悪くするに決まってるのに。婚約、取り消してくれて」
声音は、どこまでも静かで儚げで。
「ずっと、ちゃんと考えてくれてたんだよね――あんなクーデター兵から馬鹿にされるような、家出娘の気持ちだって」
家族の死を “現実” と、受け入れたのだと窺い知れた。
「つまんない意地張ってないで、もっと早く帰ればよかった」
思慕と後悔を吐露しながら、しゃくり上げ。夜風にさらされた剥き出しの肩が、震えだす。
「……もっと、たくさん親孝行しとけば良かった」
涙の跡をなぞるように、伝い落ちる水滴が頬を濡らして。
「お父様からの手紙。破ったりしないで、ちゃんと持ってればよかった――」
「あ、アーシェは悪くないですよ! 私が、あのとき無責任に “距離を置いたほうがいいのかも” なんて勧めなければ」
なんとか慰めようと、懸命に言葉を探すクレア。
「いえ、そもそも私が協力を頼まなければ、アーシェは時間を持て余してグルーチに戻っていたんじゃないかと思いますし……」
「ほらぁ! そういうこと言うから困るんだってば」
すると少女はボロボロ泣きながら、唇を尖らせて喚き散らす。
「ホントは、私の所為じゃないって思いたいんだもん! ぜんぶ反逆したステレンスたちが悪くて、私はなんにも責められるようなことしてないって」
「思いたいもなにも、アーシェの所為じゃないでしょう?」
「王女は、それじゃダメなの! もう、これ以上、自分の立場から逃げてちゃいけないんだから――」
そうして天使の前にくず折れ、ひとしきり泣きじゃくった彼女は。
「ねえ、クレア」
すっかり赤く腫れてしまった目元を、ドレスの袖でごしごし拭いながら、あらたまった調子で問うた。
「もう一度、勇者……やらせてくれる?」
「え?」
辞めたいと告げられるならまだしも 『やらせて』 と望まれる理由が、よく解らず、クレアは戸惑う。
「前にね、シェリーが言ってたの。他の国はあっちこっち荒れてるのに、ファンガムだけは、ときどきスライムが畑を荒らすくらいで平和そのものだったって」
「――ええ、そうでした」
竜族の庇護下にあったデュミナスも霞むほど、平和な大地だった。
「私ね、お父様の遺志を継ぎたい。民が安心して暮らしていられる国を、取り戻して守るために戦いたい」
決意を込め語りながらも、アーシェは不安げに訊ねる。
「ファンガムのことで頭いっぱいな勇者なんて、役立たずかな? 天使には、要らない?」
「そんなことありません!」
ずっと揺らがなかったファンガムの安定は、乱れつつあるインフォスの世界秩序を支え、繋ぎとめる楔の役割も果たしてくれていたのだ。
「ひとつの国を背負って立とうなんて、充分すぎるくらい立派な勇者様ですよ。こちらこそ、お願いしたいくらいです」
それに、と付け加えて。
「だいいち私は、あなたを解任した覚えがありませんよ? このまま放っておいてなんか、あげませんから――任務放棄したってムダですからね。ちゃんと家出王女が、お城に帰るのを見届けるまでつきまといますから」
「……うん」
ぎゅうっと手を握り締めるクレアに、少女は笑って頷いた。
×××××
明け方近くになって。
二人並んで、ようやくヨーストへ帰り着けば。
「お、おい、ジルベール? 彼女たちは客なんだぞ――」
「客も孫も関係ございません!! 婦女子がこんな夜中に、どこをほっつき歩いていたんですか!」
良かった良かったと騒ぐメイドたちを押しのけ、シーヴァスの制止さえぴしゃりと封殺した老女から、こっぴどく叱られる運命が待ち受けていた。
ごめんなさいと平謝りしながら、アーシェはどことなく嬉しそうにも見えて。
「お父様の小言、思い出しちゃったわ」
客室へ戻ったあと。
不思議がるクレアに答えた、彼女は、また少し泣いた。
ほとんどの勇者が天使に叱咤されてようやく重い腰を上げるなか、発見して会いに行ったら自力で結論出して立ち直ってたアーシェ。意外と芯がしっかりしてたんだなぁと思った瞬間でした。