◆ 帰還(1)
「……まだまだ、もう一回ッ!!」
大樹に手をつき肩で息をしながらも、自らを叱咤するように叫んだ、
「そろそろ昼食の時間だぞ、いつまで続けるつもりだ? アーシェ殿――」
「勝つまでに決まってるでしょ」
少女は、感心するを通りこして呆れ顔のシーヴァスへ向け、敢然と挑みかかってきた。
「騎士の一人や二人くらい余裕でやっつけられなくちゃ、ファンガム奪還なんて叶いっこないもの!」
アーシェ・ブレイダリクが無事に保護された夜から数えて、早一週間。
こっそりと吐いた溜息は、何度目になるだろう?
(やれやれ、回復傾向にあるのは喜ばしいことだがな……)
朝っぱらから武術訓練に付き合わされる、シーヴァスは堪ったものではない。
なにしろ匿うことになった相手は、隣国の姫君である。
華奢な少女とはいえ “勇者” を務めていただけのことはあり、剣技はそこいらの新兵を上回っていたが――まだ太刀筋も乱れ気味で、こちらが本気で斬りつければ怪我をさせかねない、といって容易くあしらえるレベルでも無く。しかも、あからさまに加減すれば 「真面目にやってよ!」 と怒りだす。
同じ天使の協力者という気安さからか、すんなり屋敷に馴染んでくれたあたりは、ジルベールたちに素性を不審がられず済んで助かったといえば言えるが……。
「なによ、もぉーっ! あなた強すぎ!!」
結局は、先に体力も底を尽きたアーシェが芝生にへたり込み。
「お褒めに預かり光栄です、姫」
「びっくりしたわ――女誑しのプレイボーイでも騎士としては一流だって噂、誇張じゃなかったのね」
「…………」
賞賛と解釈するには難ある発言に、片頬をひくつかせたシーヴァスは、
「ねえ、どうして騎士団に入らなかったの? クレアたちに会うまでは剣の腕遊ばせてたんでしょ? 勿体無いなぁ」
「大義の為などという生き方は、性に合わなくてな――」
苦笑いをこぼしつつ肩を竦めてみせた。
「もうダメくたくた……続きは、また明日ねっ!」
艶やかな黒髪を手櫛で直しつつ、アーシェは中庭から館内へ、足取りも軽やかにスタスタと。
「あっ、レジーナ! バスルーム借りていい? 汗だくになっちゃって」
「ええ、どうぞ。着替えも出しておきますね」
「今日は天気も良いですし、お昼ごはんはテラスでいかがですか? アーシェ様」
「うん、ありがとチェルシー。あとで洗い物手伝うわねっ」
メイドたちに機嫌よく声をかけ、かけられて。
「お客様に、そんなことさせるわけにいきませんよ! ジルベール様に叱られてしまいます」
「いいじゃない、堅いこと言いっこナシ! 何日も泊めてもらってるんだし――あ、それとも私じゃ、お皿割りそうだとか思ってるの?」
「め、滅相も無いです! そんな」
「これでも、けっこう料理は得意なのよ? グルーチの街で、よく食事に行ってた店のおばさんに教えてもらって……」
途中で故郷に想い馳せたか、得意げだった声音は翳り。けれど、
「やーめた、お風呂は後回し! 今日は普段のお礼も兼ねて、アーシェ様お手製ランチを皆さんに試食してもらいましょうッ」
「ええええっ!?」
沈んだ気分を払うように明るく宣言した、彼女のあとを、さほど年頃も変わらぬメイドたちが追いかけていく――姦しいことだ。
空元気だとしても、なにかしていた方が気が紛れるんだろう。
×××××
その日、午後より。
ジルベールとグレンに留守を任せ、軍部の動向を把握するべくヴォーラスへ向かえば。
「……なんだ? やけに騒がしいな」
シャリオバルト城内は騒然としていた。
フリートを厩舎に預け、とりあえず誰かに訊ねようと試みるも――わーわーと何事か叫びながら全力疾走していく騎士たちは、なかなかどうして捕まらない。
隣国の状況も併せて確認するため、ファンガム及びカノーアに赴いているクレアと、正面バルコニーで落ち合う予定にしていたのだが。
(まだ、約束の時間には早いか)
待ち合わせ場所を通り過ぎ、落ち着いて話せそうな知人の姿を探しながら階段を降りていくと、
「レ、レイヴ!?」
途中の踊り場で、柄にもなく、すっとんきょうな大声を上げることになった。
「シーヴァスか? 助かった……」
大勢の人間に囲まれ辟易した様子で、そこに突っ立っていた男は、知り合いどころか。
混戦の最中、敵として現れたリーガルに不戦敗を喫し、行方不明になっていたはずのレイヴ・ヴィンセルラスで。
「すまんが――もう仕事に戻れと、おまえからも彼らに言ってやってくれないか?」
やや痩せた印象こそ受けるが、最後に会ったときとまるで変わらぬ無愛想さで、溜息などついている。
「ラーハルトたちに戻ったと告げねばならんし、まず王への挨拶を済ませるべきなんだろうが、実家へも今日中に顔を出したい。ファンガムのクーデターを含めここ最近の事件についてはある程度聞き及んでいるが、とにかく早急に軍務に復帰せねばと思うんだが、さっきからこの有り様で動くに動けん……」
「当たり前だろう!」
つかつかと階段を降りていったシーヴァスは、人垣を掻き分け、友人の胸倉を掴み上げた。
「おまえがいなくなって、周りの人間がどれだけ心配したと思っているんだ? いきなり涼しい顔して帰ってきやがって――質問攻めにされない方がどうかしているぞ!」
がくがく揺さぶられながら、眉間に皺を寄せたレイヴは真顔で答える。
「そ、そうか? どこかに寄って手紙など出すより、真っ直ぐヘブロンに向かった方が速かろうと思ったんだが」
「そういう問題じゃなくてだな……」
「ううっ、団長〜!!」
「ご無事で良かったです!」
そこかしこから聞こえる男泣きの多重奏に紛れ、シーヴァスは声を潜める。
「 “黒衣の騎士” と戦ったんだろう? 今まで、どこに捕まっていた――どうやって脱出したんだ?」
「……ティセナたちがな」
同じように小声で答えた、レイヴは視線のみを斜め後方へ向けた。
「帰路には、シェリーが付き添ってくれた」
「えへへっ♪」
大柄な背中の陰からひょっこりと、赤毛の妖精が顔を出す。
「ああ、そうだ――王の暗殺を企てた賊を、取り押さえてくれたそうだな? 勇者の任務も含め、不在中は負担をかけたろう」
そこでレイヴは急に、語調をあらため。
「ヘブロンを守ってくれていたこと、感謝する。だが……」
「ん?」
「おまえにだけは、借りを作りたくなかったがな」
本気で悔しがっているような口振りに、笑って返したシーヴァスの。
「そんな台詞が出てくるなら、もう心配は要らないだろうな。貸しにしておくから、そのうち何かで――」
「……ッ、レイヴ!?」
言葉を唐突にさえぎり、響き渡るメゾソプラノ。
「ど、どうしたんですか出歩いて大丈夫なんですか!? いつ、こちらに戻って来られたんですか?」
驚きに頬を紅潮させたクレアが、突然、階上から飛び降りてきて。
「うわ!?」
真下にいたレイヴは瞠目するも、さすがというべきか微動だにせず彼女を抱き止めた。
“いま、階段――向こうの手摺り乗り越えて、落ちてきたのか?”
“見かけによらず、ワイルドな”
実体化する瞬間などを見咎められず済んだことは幸いというべきか、だが、降って湧くなりレイヴに飛びついた女性を前にして、
「…………クレア」
「はい!」
「心配かけたようで、すまなかった。俺なら、もう大丈夫だ――だから少し、離れろ」
どよめく騎士団員たちと、涙目の天使を持て余した様子で、レイヴはしどろもどろに彼女を諭す。
「……女性が、公衆の面前で男に抱きつくものではない」
「そういうものなんですか? ごめんなさい」
クレアは素直に、肩を押しやられるまま一歩下がるが。
「でも、なにがどうなったんですか今まで何処にいたんですか? 身体の方は、見た感じなんともなさそうですけれど――治療した方が良くありませんか?」
気遣わしげに嬉しそうに、あれやこれや問い詰める。
ますます収拾がつかなくなりつつある光景を横目にしながら、シーヴァスは、宙に浮かぶ妖精に話しかけた。
「シェリー」
「なんでしょう?」
「彼女にも伝えてなかったのか? レイヴが救出されたことを」
「はい! 私は、ずーっと同行してましたし、ティセナ様も狭間の探索に戻っちゃって――それに、アーシェ様のことだけでも大変な状況でしたから。報告、無理に急がなくてもいいかなぁって」
確かに予期せぬ再会の喜びは、ひとしおだろうが。
すっかり感極まったクレアは、浴びせられる好奇と当惑の視線にもまるで気づいていないようだ。
「そういえば、お仕事も大切でしょうけど。早く、ご家族を安心させてあげないと……」
「分かっている。とにかく俺は、これから軍本部に顔を出して――夜には少し落ち着くだろうから、また後で会いに来てくれるか?」
“ええっ、夜に?”
“団長に、会いに……プライベートで?”
ひそひそどよどよざわざわ。
「うっわー、レイヴ様ってば墓穴掘りまくってる!」
シェリーは他人事のように傍観しながら、けらけらと笑い転げている。
「……シーヴァス」
「なんだ?」
がっくりと疲れた顔つきで、こめかみを押さえながら。レイヴは呻くように呟いた。
「とりあえず彼女を連れて、城の外に出ていてくれないか?」
「それが一番良さそうだな」
了承したシーヴァスは天使の腕と、ついでに笑い病にかかっている妖精を掴まえ、踵を返す。
「あら? あらあら? あの――」
ずるずると引き摺られながら、クレアは、とどめの一言を叫んだ。
「夜になったらお部屋に伺いますから、眠らずに待っててくださいね? レイヴー!!」
「…………」
がんばって言い訳しろよ。
シーヴァスは心の中、針の筵に残った友へ向け合掌した。
レイヴの口下手、ここに極まれり?