◆ 帰還(2)
問答無用で私たちを中庭まで引き摺っていった、シーヴァス様は、立ち止まるなり怖い顔して。
「なぜ、わざわざ人間の姿で出てくるんだ!」
「聞きたいことがたくさんあったんです。皆さんいらっしゃるところに、アストラル体のまま行ったらお話できないじゃないですか?」
怒鳴られたクレア様は、きょとんと彼を見つめ返した。
「レイヴなら無事に帰ってきたんだ。奴が宿舎なり何処なりで一人になったとき、話しかければ済むだろう」
「すみません。嬉しくて、つい……」
「そーんなに目くじら立てなくて良いじゃないですか。べつに実体化するとこ、一般人に目撃されちゃった訳でもないですし、ねえ?」
「だから万が一、誰かに見咎められたらどう弁解つもりだったんだと訊いている」
なんだろ、虫の居所が悪かったんだろうか?
「地上に慣れたのはけっこうだが、少し油断しすぎじゃないか? このところ」
勇者様は刺々しく、こっちを睨んだ。
「アーシェ・ブレイダリクは保護された。レイヴも戻った――だが、ファンガムはクーデター兵に占拠されたまま、死霊を率いていたというリーガルの所在も判らない。アポルオンとて取り逃がしたままだ」
うっ。
そりゃそうだけど、なにも今そんなこと思い出させなくたって。
「とにかく、不用意に城内をうろつくんじゃない」
反論できずに俯いた私たちを一瞥して、ますますイライラした口調で。
「先日の騒ぎで、騎士団も神経質になっているからな。いくら君が我々の知人だと訴えても、取調室に送られれば容易く釈放してはもらえんぞ」
「……はい」
しょんぼり落ちる、天使様の細い肩。
「ファンガムとカノーアには、なにか変化があったのか?」
「いえ。特には――」
「ならば私は、軍本部の会議に参加してくる。他に急ぐ用が無いなら、君は屋敷で、アーシェ殿の話し相手でもしていてくれ」
そっけなく踵を返したシーヴァス様はそれっきり、シャリオバルト城に戻って行ってしまった。
×××××
翌日、カノーア領内で。
「……それでですね! せっかくアーシェ様が元気になって、レイヴ様も見つかって」
私はナーサディア様に同行しながら、ぶつくさ愚痴っていた。
「クレア様、久しぶりにホッとしてはしゃいでたのに。シーヴァス様ってば嫌なことばっかり思い出させて――冷たいっていうか、意地悪すぎると思いません?」
「あらあら。余裕ぶってても、まだ青いわねぇ」
「あお、い? なにがです?」
「さあ?」
「さあ、って……」
きっとシーヴァス様を、けちょんけちょんに貶してくれると思ったのに。
ナーサディア様は、くすくす笑うだけで答えてくれない。
だけど機嫌良さそうな彼女を眺めていたら、いつまでも過ぎたことに腹を立ててるのがバカらしくなってきて、
(まあ、いっか)
またこれから頑張るぞ〜っと気合を入れてたとこに。
「楽しそうだね、ナーサ」
「まあね。あの子をからかうネタが、ひとつ増えそうだわ――」
愉快そうに呟きながら足を止めた、勇者様は、急にぎくしゃくとこっちを向いた。
「…………シェリー。あなた今、なにか言った?」
「は? 私は、なんにも――」
おっきな独り言だなぁと思いつつ、答えた私も空中停止。
“楽しそうだね、ナーサ” って。
……誰の、声?
ひやっとする感覚に、そろーりそろり振り返った斜め後ろ。
「みぎゃあああああぁうあ!?」
さっきまでは確かに気配も無かった人影に、びっくりバランス崩して地面に落っこちて、ずりずり後退る私と反対に。
「ラスエル……」
ナーサディア様は、ふらっと一歩前に踏み出した。
「良かった、覚えていてくれたんだね? ずいぶん待たせてしまったから、忘れられているかもしれないと思ってた――」
青の眼に長髪。肌まで青白い、男の人が。
「迎えに来たよ、ナーサ」
「……本当に、ラスエルなの?」
呆然とする彼女に、穏やかに 「そうだよ」 と微笑みかけて。
「君が、あの頃のままだということは判っていたけれど。僕も、ほとんど変わっていないと思うんだけどな」
「だって、あなた――その姿は」
「ああ、これを気にしているのかい?」
真っ白な翼と。
それを覆うように背中から生えている、褪せた深緑の、コウモリみたいな翼をあっさり示して。
「これは偉大なる堕天使、ガープ様に忠誠を誓った証さ」
「ガープ? まさか、ラスエル……あなたが堕天使に?」
ひゅっと息を呑んだナーサディア様の、鳶色の瞳が揺らいだ。
「どういうこと? 理由を聞かせて! 百年以上も私のこと放ったらかして、どこで何してたのよ!? 今になって現れて、迎えに来ただなんて」
「君が怒るのは当然だと思う。ずっと不安で、寂しかったろう? 遅くなって、本当にごめん」
食って掛かられても物静かに、少し距離を置いて佇んだまま。
「だが、他に方法が無かったんだ。君を守るため、約束を果たすためには――同時に、大天使の愚かさに気づいたこともある」
視線を逸らさず、囁きかけてくる甘い声。
「いきなりで混乱させてしまったみたいだね、ナーサ。なにから答えればいい?」
「……私に、魔法をかけた」
つっかえつっかえ、ナーサディア様は訊ねた。
「老いない身体にしたのは、なぜ?」
「僕の勇者として戦ってくれていた、あの頃、魔族の血を大量に浴びたろう?」
生物は、天使に選ばれるような資質者は、特に瘴気への耐性を備えているものだけれど。それでも限界はあるんだと。
「君の身体が、精神が毒されつつあると気づいて……僕は治療法を探すため、一度、天界に戻った」
かつて地上に降りた守護者たちの記録、文献を調べるうち。
迷い込んだ禁域の書庫で――そうして狂い死ぬ勇者たちを、天界が見殺しにしてきたことを知ったと。
「助ける方法が無かったわけじゃない。四大天使級の “聖気” を以ってすれば、その者の魂、心が侵されきっていなければ……血の影響は消し去れる」
優しげだった表情を、苦々しく翳らせて。
「僕の上司だったガブリエルや、ラファエル――連中が、見て見ぬフリをした理由が想像できるかい? 穢れるから、なんだよ」
不浄を、穢れを忌むから。
汚れたモノには触りたくないから。ただ、それだけの理由だと。
「悔しいけど僕の力量じゃ、相殺は叶わなかった。だから侵蝕を防ぐために、君の “時” を停めたんだ」
大天使様を呼び捨てにとめどなく語る、天使だったはずのヒト。
「それに……どんなに愛し合っていても人間は、百年も経てば死に別れるけれど。僕が堕天使で、君が不老なら、ずっと一緒にいられるだろう?」
「そんな!」
彼の言葉を遮った、ナーサディア様は弱々しく頭を振った。
「――勝手に、そんなこと」
「君を死なせたくない、いつまでも共に過ごしたいという僕のワガママだった。それは認める」
ラスエル様は、悲しげに問いかける。
「でも、ナーサ。君は……永遠を願ってはくれない?」
「だだ、黙って聞いてればっ!」
ついつい話に聞き入ってしまっていた、私はやっと我に返って。
「なんか尤もらしいことばっかり言って――堕天使って、あちこちに混乱の火種撒き散らしてる張本人じゃないですか! あなたがホントにラスエル様なら、恋人が住んでる世界の平和を壊そうって、そんな奴らの仲間に成り下がってるわけない!」
相手の鼻先に、びしっと人差し指を突きつけてやった。
「勇者様が呪い殺されかけたり、クレア様だって、アポルオンと直接対決して死にそうな目に遭ったんですからね! そーですよ、だいたい妹さんが必死で守ろうとしてる地上界に」
「……君は、クレアの補佐妖精?」
「そうですよッ!」
堕天使の言うことなんてマトモに聞いちゃダメだ。これ以上、勇者様に近づいたら、噛み付いてやるんだから。
「守護天使と呼ばれる者が、負わされた役目を知っているかい?」
「インフォスの平和を取り戻すに決まってるじゃないですか!」
「表向きにはね――実際には、世界に設定された人柱だ」
「え?」
「相性という概念は、分かるかな?」
「それくらい知ってますよ。クレア様はインフォスと相性が良いから、怪我しても回復が早いんだって」
「それは副次的な効果に過ぎない」
ああ、だけど。
どことなくクレア様に似た容姿で、ちっとも攻撃的な態度に出て来ない堕天使なんて。
「戒律により、戦いの矢面には勇者を立たせ、援護に徹する天使が負傷する可能性など無きに等しい。ある程度の回復魔法が使えれば、べつに誰でもかまわない……任務に関してはね」
「だったら、なぜ」
ナーサディア様も動揺しまくってる感じだし。
「保険さ」
ラスエル様がどこかで生きてるはずだとは、ティセナ様たちも言ってたから、絶対に偽者だなんて断言は出来ないし。
「魔軍の前に敗れ去っても、天界へ繋がる “道” だけは明け渡さぬよう――突破されぬように。あらゆる衝撃を身代わりに食らう、盾として」
この人がラスエル様だなんて有り得ないと思ったのに、だんだんこんがらがって解らなくなる。
「インフォスが滅びれば、あの子は死ぬ。そうしてガブリエルたちは、敵地となった地上を管理下から切り離すだろう……腐った葉を、枝ごと落とすように」
「嘘!」
「嘘じゃない」
切り返されてしまったらもう、私にはどうしようもなかった。
だって偽者にしては、話が具体的過ぎて。
「だから僕は、クレアも説得して連れて行くつもりだ。魔界へ――アポルオンのやり方は確かに手荒だったろうけど、殺す殺さないはただの脅しで。インフォスへの帰還を果たすには、まだ “力” が不足していた僕の代わりに、真実を教えようとしただけなんだよ」
「…………」
「堕天使や魔族は “悪” だと刷り込まれて育った、あの子を納得させるには、天界の欺瞞を直に見せつけるしか方法が無いと判断したらしくてね。同行しろと言って素直に応じるはずもない、なら腕ずくで動けなくするしかないだろうと」
返り討ちにされるとは想定外だったらしいがと、小さく笑って。
「フィアナ・エクリーヤだったかな? 彼女だって、アポルオンが本気で呪ったなら即死している――僕らは、インフォスを滅ぼすために侵略しているわけじゃないんだ」
魔界と呼ばれる不毛の大地に、穢れと看做したものすべて押し込め、安寧を得ている天界から。
ただ自分たちを、領土を守るため抗戦しているだけだと。
「クレアが、勇者である君たちが退いてくれれば、地上界を巻き込まずに済む。けれど必ず、天界のジャマが入るだろう」
堕天使は、ゆっくりと片手を差し出した。
「だから、ナーサ。もう一度、僕の為に戦ってくれないか?」
「ダメよ……」
青褪めたナーサディア様は、ほとんど自分へ言い聞かせるみたいに答えた。
「私は、天使だったあなたの――今は、クレアの勇者だもの」
「……堕天使になっても、僕は僕だ」
誘いを突っぱねられて豹変したら、やっぱり偽者! って確信できたのに。
「なのに君は、もう僕を愛してはいないと言うのか?」
そこで捨てられた仔犬みたいな目をするなんて、反則だ卑怯だ、堕天使のくせに〜ッ!
「だったら、待つよ。君の気が変わるまで」
しかたないなと言いたげに苦笑して、
「それに。これからは、いつでも会えるんだからね……」
四枚の翼を広げた、青い影は、空気に溶けるように消えてしまった。
ぐらぐらする頭を抱えて途方に暮れる私の隣で、ナーサディア様は震えながら呻いた。
「最悪ね、こんな再会なんて――」
イベントどおりの会話じゃ芸が無いし、あんまり簡単に偽者と見抜かれてもつまらないので、もっともらしく長引かせてみる。