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◆ 力の代償


 放心状態のナーサディア様を、ちょっとでも魔族から遠ざけるために、ネオンきらきらな繁華街まで送り届けて。
「絶対どこにも行かないでくださいね、約束ですよ!?」
 酒場のカウンター席、端っこに座らせてから。

 私は超特急で、ティセナ様を探しに行った。
 まずはクレア様に報せた方が良いのか迷ったけど……冷静に判断できるヒトがいてくれないと、見聞きしたまんまを話したら、みんな揃ってパニック起こしちゃいそうだったし。

×××××


「たったった大変なんですどうしましょう!? いきなり不意打ちで真っ青な四枚羽だけど妙に本物っぽい――あれっ?」
「シェリー、あなたねぇ。もう少しおとなしく飛べないの?」
 天使様の気配を辿っていった先には、呆れ顔のローザがいた。
「あれれ、ティセナ様は?」
「…………」
 無言で指差された、そこは前にも一度見かけたヴォート郊外の掘っ立て小屋だった。
「フェリミさん?」
 ぐったり横たわるミライヤさんの、ベッドサイドに寄り添う少年と。
 こないだは居なかった白衣のおじいさん。銀縁メガネに、古びた聴診器――お医者さんみたいだ。

「とにかく熱病の類ではないし、サソリや蝮の毒にやられた痕も無い。すまんが、ワシの手には負えんよ……」
「そんな!」
 “絶望” を絵に描いたらこんなだろうかって感じの表情で縋る、フェリミさんの視線を、気まずく避けて。
「出来る限りの処置は施した、あとは本人の生命力次第――おそらく今夜が峠じゃろう」
 おじいさんは、逃げるように帰り支度を始めてしまった。
「君がいると多少、お姉さんも落ち着くようだ……傍に、ついていてあげなさい」
 遠目にも判るくらい危篤状態のミライヤさんは、げっそり頬がこけて、お肌や唇も荒れてがさがさ。
 うっすら開いてる瞳は虚ろに翳んで。
 弟さんたちを認識してるか、話が聞こえてるかどうかも怪しい。
 おでこには乱れた前髪が張りついて、全身脂汗だらけで、フェリミさんがタオルで拭うけどキリが無いし――水差しを口に含ませてもらっても、むせて吐き出してしまっていた。
 きらびやかに着飾って居丈高に振る舞う、デュミナス后妃だった頃の面影はぜんぜん無くって。

「死んじゃいそうだって、ローザの報告受けてね……様子見に来たんだけど」
 窓際の壁に凭れていたティセナ様が、ちらっと私の方を向いて。
「ダメだったみたい」
 それからまた、魘されてるミライヤさんを見つめた。
「元々、優しかったヒトなら。侵略だとか虐殺なんて、血塗れの記憶――マトモな神経で耐えられるわけないか」
「……それじゃあ」
「このまま行けば衰弱死するね、魂が」
 マクディル姉弟を残して行ってしまった、おじいさんの背中を見送って、
「やっと帰った――」
 やれやれと呟いた彼女は、無造作な足取りでベッドに近づいていった。

 アストラル体な私たちの声や羽音が聞き咎められることは、もちろん無くって。
 まあ、フェリミさんは、こっちが実体化してひそひそ話してても気づきそうにないくらい、お姉さんの看病にかかりきりだったけど。
「姉さん、姉さん? 聞こえる? ねえ……」
 痩せ細った白い手をぎゅうっと握って、ほとんど独り言みたいに話しかけてる。
「病気じゃないってことは、船酔いかな? 僕は旅慣れてるけど、姉さんはそうじゃないから体調崩しちゃったんだね――無理させて、ごめんね」
 声は必死で、どこか現実逃避してるような響きがあって。
「だけど病気じゃないんだから、きっと一時的なものだよ。朝が来たら、もう治ってるかもしれないよね」
 不自然に明るいのに引き攣ってる横顔も、痛々しいくらいだった。
「元気になったらさ、一緒に世界を巡ろう? 僕は甲斐性無しで、デュミナスのお城みたいに贅沢な生活はさせてあげられないけど……山菜や果物の採り方を覚えたら、そんなにお金に困ることも無いんだよ? 花や空や湖も、どの地方も季節ごとに違った色をして、綺麗なんだ……姉さんに見せたいなって思った景色も、たくさん」
 それでもミライヤさんは、かすれた呼吸を繰り返してるだけで。
「まだ義父さんたちと暮らしてた頃に、僕が買ってもらったハープ――姉さんは覚えてる? ずっと大切に使ってるよ。吟遊詩人だって名乗って恥ずかしくないくらいには、上手くなったと思う。最後に聴いてもらったときより、ずいぶん弾ける曲数も増えたし――感想、聞かせてほしいなぁ」
 問いかけに、応えは返らない。
「姉さんにしてみたら、いつまでも頼りない弟かもしれないけど。害獣を追い払えるくらいには弓矢の腕も磨いたんだ……森の中だって砂漠だって、迷子になんかならない。姉さんの手を引っぱって歩けるよ。もしデュミナス兵が追ってきたって、僕が戦って守るから」
 そこで急にプツッと、言葉は途切れて。
「お願いだから、死なないで――」
 女の子みたいにキレイな顔が、くしゃっと歪んで。
「ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
 フェリミさんは、薄荷色の目から大粒の涙をこぼしながら、子供みたいに声を上げて泣きだした。

 そんな彼らを眺めていた、ティセナ様が、すうっとミライヤさんの頭部に手を伸ばす。
「ど、どうするんですか? 彼女、助けられるんですか!?」
「救えるかって意味で訊いてるなら、無理ね」
 おろおろする私に、あっさり答えて。
「怪我してる訳じゃないんだから回復魔法を使ったって意味ないし、そもそも、勇者以外に直接干渉かけるのは戒律違反――忘れた?」
「あうぅ」
「私に叶うのは、壊すことだけ」
 ティセナ様は、ゆっくり視線を元に戻した。
「どうせ任務が完了したら、インフォスの……歪んだ記憶は、消さなきゃいけないんだから。それが早いか遅いかの違いだけ」
「ですが、ティセナ様――魔族に操られていた間の悪夢だけ消す、というような処置は可能なのですか?」
 ローザの質問には、苦笑して。
「そんな器用なことは出来ないよ。思い出は連なるもの……半端に空白を残せば、また堕天使に付け入られかねない」
 一度魅入られた人間は、どうしても染まりやすいからと。
「ただでさえ衰弱してるからね。核になる部分を消せば、余波が、人格形成してた昔の記憶ごと食い潰すだろうし――下手すればフェリミさんのことまで忘れて、赤子還りか廃人か。それはやってみないと何とも言えない」
「……最初から無かったことに、なっちゃうんですか?」
「そう」
「それでは、デュミナスの魔女と呼ばれていたミライヤの罪状は、すべて弟が背負い込むことになってしまうのでは? 彼自身、厭わない様子ではありますが――」
 それでもと、ティセナ様は首を横に振った。
「堕天使に利用されてた人間に、こんなふうに死なれちゃ困るんだよ」



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ゲームシナリオでは、死ぬ以外の運命が用意されてないミライヤですけれど。
堕天使の魔力で体内ぼろぼろだとしても、ちょっとくらい生き長らえてほしいなぁと思う。