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◆ 緋の鎖


 レイヴ失踪の報告に。
 手短な事情をフィアナにも伝え、ローザを補佐に残して。教会の皆にいとまを告げたシーヴァスは、すぐさまタンブールを発った。

「あいつと、リーガルの関わりは知っているか?」
「数年前にファンガムとの間で起きた、紛争の話は聞いたことがあります。自分の所為で死んだ、彼を見捨てて逃げたんだと――レイヴは、ずいぶん気に病んでいるようでしたけれど」
 急ぎ港へ向かう道すがら、クレアは勇者に訊ね返す。
「シーヴァスは、その……生きていた頃のリーガルさんを、ご存知なんですね」
「養成機関では同期だったからな」
 上昇志向が強く豪胆で、庶民の出という不利をモノともしない天才肌の男だった。
 誰もリーガルには敵わなかったと。
「元から騎士団に入る気が無かった私は、使命感に燃えたぎる従士連中とは、多少、距離を置いて接していたが――それでもレイヴとは古い付き合いだ。ともに行動していれば自然と話す機会が増えたし、演習で剣を交えたことも幾度となくある」
 答える青年の顔つきは、ひどく険しかった。
「努力家のレイヴとは真逆のタイプで、だからこそ惹かれ合ったんだろう……いささか暑苦しく思えるほど、仲が良かったよ。あの二人は」
 “代々有能な軍人を輩出してきたヴィンセルラス家へ、上手いこと取り入ろうとしているに違いない” といった。
 嫉妬や僻みを抱いた人々による誹謗中傷も、実力に伴う武勲で捻じ伏せてきたという。
「三人姉妹に囲まれ育ったレイヴにとっては、建前や打算抜きに付き合える親友であると同時に、自分より格上と尊敬できる兄のような存在でもあったんだろうな――リーガルの死後しばらく、あいつの荒れようは半端でなかった。それまで人の輪の中心でわいわいと修行に明け暮れていた熱血漢が、口数は激減。表情も乏しくなり――今では、すっかり孤高の騎士団長様だ」
「わいわい?」
「明るかったんだよ、昔は」
 ほんのわずか渋面を和らげた、シーヴァスは 「想像もつかないだろう?」 と肩をすくめ。
「特に、子供の頃は……そうだな、やんちゃとでも言うのか。君が知る人間の中では、ヤルル・ウィリングの性格に近かったと思う」
 自分が知る勇者のイメージを粉々にされた、クレアは 「ええっ!?」 と硬直する。
「もちろん生粋の貴族育ちだ。あそこまで天真爛漫ではないにしろ、屈託ない言動で、すぐに誰とでも打ち解ける奴だった」
 無愛想に振る舞い、人を遠ざけ始めたのは。
 おそらくレイヴなりの自衛だったんだろうと。
「過去を引きずるなと諌めたところで、死んでしまった相手との関係はどうにも出来んからな。痛みが薄れ、あいつが罪悪感と折り合いをつけるまで、時の流れに委ねるしかないと思っていたんだが……クレア」
 立ち止まった勇者は、苦い声音で問うた。

「判っているなら教えてくれ。リーガルは―― “生きていた” わけでは、ないんだな?」
「すでに亡くなっていると考えて、間違いないと思います。シェリーの話では、大量のアンデッドモンスターを率いていたそうですから」
 ファンガム軍との戦いで重傷を負い、最近になって昏睡や記憶喪失の類から回復。
 あっさり自分を “殺していた” ヘブロン王国、ヴォーラス騎士団長にまで上り詰めたレイヴに恨みを抱いたとしても。
「死霊を従えるには膨大な魔力が必要とされる。普通の人間に扱えた代物ではありません……故人に擬態した魔族の罠、という可能性も残りますが」
「アンデッドとして甦ったなら、奴もまた、何者かに操られているということか? 少なくとも、他人の言いなりになって動くような人間ではったんだが」
「ええ。それでも――リーガルさんは、ある程度、生前の記憶や自我を残している可能性が高いです」
 摂理を捻じ曲げ、魂の残滓を遺体に宿らせる。
 死者を甦らせるといった伝承の本質は、すべて呪術であり、失われた命が本当に戻るわけではない。
「私は余り詳しくなくて、これはティセの受け売りですけど。事故や病で夭逝した魂、中でも特に強靭な精神力を宿していたものは、依代との拒絶反応も少なくて……だから傍目には、生き返ったように映るだけなんだそうです」
 黒衣の騎士と、サルファで遭遇したとき。
 感じた気配は乱れがひどく、とっさには何者なのか掴めなかった。
 人間のようだと判断したクレアの感覚が未熟だったわけだが、天使の目を欺けるほど、強靭な魂の持ち主であるともいえるだろう。
 騎士団に包囲されて、逃げられようはずもない砦から忽然と姿を消したことも――相手が死霊の類ならば説明がつく。
「それではレイヴの奴が錯乱して、無理もないな」
「ごめんなさい。ティセか、せめて私だけでも同行していれば……少しは」
「いくら君たちが守護者であっても、朝から晩まで我々に張りついて過ごす訳にはいくまい?」
 微苦笑を浮かべたシーヴァスは、手の甲で、クレアのひたいを小突いた。
「今回はヴォーラス騎士団としての任務だったんだ。いくらリーガル相手とはいえ、戦闘放棄して嬲り倒された挙句に連れ去られた、などと――天使のサポートがあるなし以前の問題だ。それにレイヴは、生きているのだろう?」
「はい! レミエル様が、断言してくださいました」
 居ても立ってもいられず訪ねたプレア大聖堂で、大天使の “力” を以ってしても、確かめられたのは。
 インフォスのどこかで彼が生きていることだけだった……それでも。
「ならば心配いらんさ、曲がりなりにも騎士団長だぞ? そう簡単にやられるほどヤワな鍛え方はしていない――遠征に付き添っていたシェリーこそ、自責に駆られていそうで気の毒だ」
 救出したら、思うさま文句を浴びせてやれば良いと。
「なんだかんだ言ってもあいつは友人だ。バカ正直すぎる男を、引き取らせてもらわねばな」
「はいっ!」

 うながす勇者に励まされ、クレアは勢い込んで頷いた。
 そこで、ふと眉をひそめる。

「……シーヴァス。なんだか熱くありません?」
 街道沿い、乾燥しきった一帯の空気が、ゆらゆらと不自然に揺らいでいる。
「暑いもなにも、ここは南国クヴァールだぞ? もう街を出てだいぶ経ったんだ、君の大嫌いな砂漠が近づいて――」
 軽く応じた勇者だったが、言葉の途中でハッと瞠目すると、
「避けろ!」
「え、きゃあッ!?」
 滞空していたクレアを半ば引き倒すように抱きかかえ、横っ飛びに身を翻した。
 さっきまで二人が佇んでいた空間を、焼き払った紅蓮の熱風が――遥か後方の岩場に着弾、轟音とともに爆破炎上。続けざまに襲い来る第二波。

『 ―― “キア・エファス” ―― ! 』


 間一髪のところで、クレアは魔方陣を発動していた。
 一撃で炎と相殺された防護壁が、しゅうしゅうと視界をぼかすも数秒と経たず蒸発して、霧が晴れた大地には。
「……待っていたぞ、シーヴァス」
 筋骨隆々とした体躯に逆立った白髪、拘束具と見紛わんばかりに重量級の腕輪をつけ、じゃらりと鳴る鎖を携えた巨人が立ち塞がっていた。
「我は、堕天使の遣い。炎王アドラメレク――おまえがこの辺りによく現れると聞いてな。待ち伏せていたのだ」
「堕天使!?」
 不遜に言い放った襲撃者の台詞に、さっと跳ね起きて身構える。
「インフォスの新しい支配者となられる方々よ。イウヴァート様はもうすぐ降臨され、この世界を、偉大な “力” で導いてくださるはず――我は、その邪魔をする小賢しい天使と、勇者を倒すもの」
「ふん、くだらん能書きだな」
 舌打ちしつつ抜刀するシーヴァス。
 アドラメレクは、煉瓦めいた色合いの上半身をさも可笑しげに揺らし、しわがれ声で嘲う。
「くだらんとは……これから殺される身のおまえが」
「死ぬのはおまえだ、アドラメレク! だが、その前に――イウヴァートとやらの居場所くらいは、吐いてもらおうか」

 最初こそ、不意を突かれたものの。
 シーヴァスの実力は敵を遥かに上回っており、ほとんど傷らしい傷も負わず巨人を地に叩き伏せた。
 援護や回復魔法よりも、アドラメレクの能力であるらしい火炎放射が周りに燃え移らぬよう、結界を張り続けていたクレアの方が疲弊している始末だった。

「どうした、口ほどにも無いな」
 勇者はやや拍子抜けた様子で、相手の喉元にバスタードソードを突きつけ。けれどアドラメレクは狼狽するどころか、にたりと不穏に嗤った。
「なかなかやるな、シーヴァス……やはり十五年前に、焼き殺しておくべきだったな」
「貴様――いま、なんと言った?」
 意味ありげに吐かれた台詞を聞き咎め、シーヴァスの右手がぴくりと跳ねた。クレアも耳を疑う。
「ふはは! 焼き殺し損ねたと言ったのだ」
 鼓膜をひっ掻き回す、強ばった青年の問いとアドラメレクの冷笑。じゅうごねんまえ? 焼き、殺した? 誰を。

“私が8歳のときに死んだ。二人とも……ヨーストの大火でな”

 静けさに満ちた、夜の礼拝堂で。
 諦めたように寂しげに吐露された過去の記憶、描かれた天使の面影を宿す、横顔が脳裏を掠め。
「まさか、あの大火は――」
「そう、ヨーストに火を放ったのは我よ。将来、勇者になるかもしれん子供がいると予言を受けてな」
 クレアの理解を待たず、アドラメレクは事も無げに肯定してみせた。
 褪せたシーヴァスの顔色がみるみる激情に染まり、かまえた剣の切っ先は、動揺を映してガタガタと震えだす。
「我は、あの街の生き残りから勇者が出たと聞いて、逃がした獲物を屠りに来たのだが……ぐ、くく……くっくっく……」
 くぐもった巨人の嗤い声に、堕天使のことを聞き出すという目的もなにも頭から吹き飛んだか。
「…………貴様が……ッ!!」
 双眸を憤怒に眇めた勇者は、勢いよくバスタードソードを振りかざし。
 せめて騎士リーガルと “イウヴァート” が繋がっているか否かを問い質すまで、止めを刺すのは待ってほしいと頼みかけた、
(――なに?)
 クレアは、肌で感じた “悪寒” に言葉を飲み込んだ。
 勇者に倒されとっくに反撃の余力も尽きていたはずの、アドラメレクの体内に火気が集中している。クロスファイアを放つ際の “溜め” ではなく、なんというか……そう。まるで身体そのものが高熱を帯びた、爆弾と化しているような?
「ダメです、シーヴァス! 離れて!!」
 防御魔法の詠唱は間に合わず、とっさに、右耳につけていた結晶石を毟り取って投げつけた。
「!?」
 アドラメレクの巨体が暴爆発する寸前、ぎりぎりのところで翼を広げ割って入り、反応が遅れた勇者を直撃から引き剥がす。
 石に蓄積されていた元素が一瞬で大量の水へと還り、相反する炎の奔流を削ぎ落とすが、それも完全にはいかず――クレアたちは、軽く50mの距離を熱風に吹き飛ばされた。

「……っ、痛たた」

 強かに打ちつけた腰をさすりつつ、身を起こす。
 ひとまずシーヴァスには目立った外傷がないようで、ホッとした。
 自分は、といえば――衣服はあちこち焦げて羽も火傷だらけだったが、この程度ならすぐに治るだろう。
(あの爆発に巻き込まれて、こんな怪我で済めば運が良かった方よね……)
 振り仰げば、アドラメレクが倒れ伏していた場所には、ぼうぼうと火柱が燃え上がっている。幸いここは砂地であるから、すぐに鎮火するだろうが。
 勝てる見込みが無いと悟り、相打ちを狙って自爆したのか?
 けれどレイヴが拉致された矢先だというのに、また、みすみす堕天使への手掛かりを失ってしまうなんて。
 がっくり溜息をこぼすと、なぜか右頬からぼたぼた鮮血が流れ落ちてきた。
「?」
 なんだろう、べつに顔は痛くないのに。
 首をかしげ右手をやれば、さっきイヤリングを引き千切ったとき、血管ごと耳たぶを切ってしまったらしい。
「あ、らら……結晶石のストック、ベテル宮にあったかな」
 そのまま回復魔法をかけていたクレアは、へたり込んだままの勇者が呆然と、こちらを凝視しているのに気づいた。
「あの、立てます?」
 歩み寄って傍らに膝をつき、覗き込んだシーヴァスの顔色は真っ青で――どこか骨折でもしたのかと肩に触れたとたん、弾かれたようにビクッと後退る。
「ご、ごめんなさいっ! 痛かったですか!?」
 あわてて引っ込めようとした腕は、逆に伸ばされた勇者の右手に捕らえられ、宙ぶらりんに浮いた。
「……すまん」
 項垂れて呻くようにつぶやいた、彼の表情は、乱れた金髪に隠されて見えなかった。



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リーガルとシーヴァスは……友達の友達、くらいの距離感で。平民ながらに騎士を目指し、トップに上り詰めようとする青年と。平凡な暮らしを火災で失って、適応せざるを得なかった貴族社会を窮屈に思っているだろうシーヴァスとは、価値観の根底が合わなかったと思う。