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◆ 護りたかった、誰か(2)


 前髪で半分隠れたおでこに、ティセナ様が指先を当てて――短い呪文を紡ぐと。
 ずっと苦しげに胸を掻き毟ったりしていた、ミライヤさんは、ふっつり事切れたみたいに動かなくなった。
「姉さんっ!?」
 急すぎる変化が、死んじゃったように見えるのは無理もなかったと思う。
 血相変えたフェリミさんは、脈拍なんかを何度も確かめたあと、安堵と心配がごちゃまぜになった感じの溜息をついて。
「……び、びっくりした」
 ぐったり昏睡してるお姉さんの痩せた手を、祈るように握って目を閉じた。

「これで、一命は取り留めるんですよね? ミライヤさん」
 窓から飛び立って、小屋を見下ろしながら。
「まあね。だけど――もって五、六年の命だと思う」
「ええっ!?」
「あと数年しか生きられない……と? なぜです、彼女を苛んでいた記憶は消去されたのでしょう?」
「外見はともかく内臓器官が、もうボロボロなんだよ。適性も無い身体で、高位レベルの瘴気を行使してたんだから」
 面食らう私たちへ、ティセナ様は答えにくそうに。
「精神力が寿命ごと磨り減って、回復魔法で治せる範疇を越えてる――悪魔に魂を売った代償は、半端じゃ済まないの」
 奇跡なんか起きやしないんだよ、と呟いた。
「それより、さっき騒いでたけど。なにが不意打ちで大変だったの?」
「ああっ、そうでした! ラララ、ラスエル様が」

 ここへ来た理由を思い出した、私は、さっきカノーアで見聞きしたことを片っ端からまくしたてて。
 真っ青になるローザの隣で、ティセナ様は、思いっきり顔を顰めて吐き捨てた。

「……それはまた、ずいぶん手の込んだ芝居ね」

×××××

「兄様が、堕天使に……!?」
 ローザに呼ばれて、ヨーストのお屋敷から飛んできたクレア様と、
「すみません。あんまりビックリしたから、相手が水属性かどうか探ってみるってトコまで気が回らなくて――」
 街外れの宿屋、寝室の隅っこで途方に暮れる私。
「ううん、それは私でも同じだったろうけど……まさか、本当に……?」
 すっかりうろたえてる彼女を前に、放心状態のナーサディア様は、分からないというように首を振る。
「声や言葉遣いは、ラスエルそっくりで。姿も、ほとんど――違う部分は、彼が堕天使になったからと言われれば、そんなふうにも見えたわ」
「ティセ……?」
 クレア様は、おずおずと傍らを窺った。
「堕ちた天使の容貌は、たいてい変わるから。翼が黒や深紅になったり、角が生えるとか――体細胞が寒色系になるのもよくあるパターンです。元の色を残した四枚羽は、ちょっと珍しいかな」
 ティセナ様だけが、まるっきり動揺してない感じで。
「魔族の血に侵された人間が、化け物になったケースも記録にある……そうなった者を、天界が救わないのは事実ですし」
「それじゃクレア様が、人柱っていうのは?」
「こんな少人数でインフォス守護やらされてるんだよ? 物は言いようってヤツ、堕天使との戦いに負ければ、そりゃ殺されるだろうし。門を守るためには、地上界のひとつやふたつ切り捨てるでしょ」
 私たちからの質問攻めに、難なく答えている。
「そもそも勝手な使命感で干渉してるだけ、管理する権利義務があるわけでもないんだしね」
「では、フィアナ様を蝕んでいた呪いが、脅しに過ぎなかったというのは?」
「殺すつもりは無かった、って言ったんだっけ――」
 ローザの疑問は保留にして、横でこくこく頷いてる私を一瞥。
「実際に剣を交えた印象はどうでしたか、クレア様? アポルオンから殺意は感じなかった?」
「殺気の塊だったわよ!」
 訊ねたティセナ様に、語気を強めて言い返した彼女は、
「でも、あのときは……フィアナを人質に取られて。私がなんとかしなきゃ、殺されてしまうって……他の可能性なんて考えてもみなかったし」
 途中でだんだん自信が無くなってきたらしく、眉根を寄せて俯いてしまう。
「アポルオンが、すぐに私を殺そうとしなかったのは確かよ。戦闘力に差がありすぎて、だから、油断して隙をみせただけだと思ってたけど」
「じゃあ、あのヒト。嘘はついてないってことですか?」
 大筋のところはね、とティセナ様が肯いて。
「デュミナス后妃に植えつけられてた魔力の属性は “風” だったけど、そもそも彼女がラスエルと呼んだ相手と、ナーサディアに接触してきた堕天使が同一人物とは限らない……名前だけ騙って、そこいらの魔族が操ってた可能性もあるし」
 いくらでも考えようがあることに、私はますます混乱してきた。
「ただ―― “ラスエル様” の話には、ひとつ決定的な矛盾がある。自分の手で、ナーサディアの時を止めたっていうけど」
 そこへ続けられた言葉に、四人ぶんの視線がハッと集中する。
「かかっている魔法は二種類、それぞれ “老い” と “若返り” に作用するものだから」
「あ、そっか! 堕天使になったら、祝福系の術なんて使えるはずないですよね?」
「いや、そこは結晶石って例外もあるけど」
 がばっと勢いよく身を乗り出したところへ冷静に突っ込まれて、今度は、ずるずる意気消沈。
 そうだった。あれは、その時点における魔力を封じ込める鉱物だから――持ち主がどんなに変わり果てても影響を受けることは、
「そういえば、ナーサディア様」
「なに?」
「ラスエル様の勇者だった頃に “水の石” って、渡されませんでした?」
「…………無くなったわ」
 ふと思いついて訊ねた私に、勇者様は、ゆるゆると首を振った。
「彼がいなくなってからも、肌身離さず着けていたけど――どのくらい前だったかしら? 綺麗なサファイアブルーだった石が、真っ白に、なんの “力” も感じなくなって」
 囁くような声、だけど静まり返った部屋には、痛いくらいよく響いた。
「それでも捨てられなくて、持ち歩いていたけど。ある日、とうとう砂みたいに崩れさって……欠片も残らなくて」
「すす、すみません!」
 平謝りしてる私の失言から、話を逸らすように。
「だろうね。あればとっくに気づいてるもん」
 ティセナ様は、淡々と言う。
「ナーサディアを生かし続けたいって動機なら、自然の老化現象をくい止めるだけ “若返り” を使えば済む。返り血による影響を憂いながら、瘴気が源の呪術なんか施す必要性は皆無だし、それに――ラスエル様が堕天したなら、誰が祝福をかけ続けてるっていうの?」
 そんな効力を宿した結晶石は、どこにも無かったのに。
「ただでさえ生物にとって、老いない、死なないって環境は異常負荷なんだから」
 アイスグリーンの瞳が真正面から、勇者様を見据えて、告げた。
「永遠を得るどころか。“老いの呪い” を打ち消してる魔法が途切れるか、天界がインフォス守護を放棄した時点で……ナーサディア、死ぬよ」



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ベルフェゴールの館に倒れていた、ラスエルの姿。どーみても堕天使です。百年間も魔界に幽閉されて、邪気に蝕まれていたとしたら……天使の魔法は使えないんじゃないかなぁ? 突き詰めて考えると謎が多い……。