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◆ クヴァールの巨獣


 その日、通りすがった町の食堂で、遅い昼メシを食っていると。
「誰かと待ち合わせかい? 兄ちゃん」
 よっぽどオレが退屈そうに見えたか、それとも半端な時間帯で暇だったのか。店のオヤジが話しかけてきた。
「いや。知り合いが顔出しに来んのは待ってっけど、いつになるか分かんねーし」
 南大陸を震え上がらせた疫病騒ぎは、すっかり治まって。
 今んとこ “がめつい悪党” の噂が聞こえてこねーから、盗賊団ベイオウルフは開店休業状態。
「どっか、そこいらに儲け話が転がってねえかなぁと」
 こちとら身軽だってのに、今度は北大陸一帯がてんやわんやしているらしく――ティセたちは、移動の片手間に装備品やら何やらを届けに来ちゃトンボ返り、依頼もまったく無いまま。

 クヴァールにはフィアナって女勇者がいるはずなんで、ここ数日、オレはキンバルト領内を西から東へぶらぶらと旅している。
 見廻りってほどのモンじゃない、指示があるまで待機って状態が性に合わないだけだ。
「ははは! そりゃあ、あればこっちが聞きたいよ」
 けらけら笑い飛ばしたオヤジは、皿洗いに勤しみ始めた。
 ……ま、そりゃそうだ。
 そんなモンほいほい他人に教える訳がない、従って、旨い話にゃ裏がある。
 キナ臭い噂がめっきり聞こえなくなったあたり、とりあえず南大陸の治安は安定してるってことか――どっかにまだ逃げたビュシークが隠れてる時点で、油断は出来ないが。
(勇者の任務ってヤツが、終わったら)
 インフォスを荒らしてる魔族どもを蹴散らして、クレアがよく言う 『平和』 な世界になったとして。
 凶悪事件がゼロになるとは思えないんだが……それでもベイオウルフが標的にしてきたような極悪人がごっそり減って、盗賊稼業だけじゃ生活できない程度にはなったら。
 なにを、しよう?
 オレにも義賊だって誇りはある。けど、それはあくまでキタネエことして私腹を肥やしてる輩が、わんさかいる前提で成り立つ生き様だろうし――

「たったっ大変だ、幽霊が……!」

 持て余した時間に任せボーッと考えていると、野良着姿の男がバタバタと、大騒ぎしながら食堂へ駆け込んできた。

「また魔物が出たッ! 前に、クルメナで暴れてたヤツと同じだ!!」
「ええっ、また港に?」
「呪われてんじゃないか? あの辺り」
 テーブル席に座っていた顔見知りらしい連中が、眉をひそめ、それでもどこか他人事のようにコメントするが。
「違う違う!」
 農夫は焦れったげに、ぶんぶん首を振った。
「襲われてるのは隣町、オムロンだよ! しかも群れてうぉんうぉん唸りながら、こっちにまで迫ってきてる――」
「……なんだって!?」
 細かいことを問い質そうとした、オレの声は、ウエイトレスやら客の悲鳴に掻き消された。


 妻子を呼び、恋人の手を引き、担げるだけ家財を抱え。
 我先にと避難し始めた住民の波を、掻い潜りながら逆走していった先――


「成仏したんじゃなかったのかよ? くそっ!」
 オムロン一帯を縦横無尽に旋回する、生白いアメーバ状の魔物たちは、確かにクルメナで戦った亡霊と同種に見えた。
 ティセは、あれを 『殺される謂れのなかった魂』 だと言っていた。
 “狭間” に引きずり込まれたティアを助け出したときに、クレアの浄化魔法で天界送りにされたんだと思っていたが。魔族侵攻の余波が消えない限り、いくらでも湧いて出るってことか?
(それじゃ、キリが無えじゃねーか!!)
 援護魔法抜きでどこまで戦えるか……手に負えなければ、いったん退いて天使を呼ばざるを得ないだろう。
 だが、舌打ちしつつ剣を抜けば、思ったより優位に立ち回れた。
 オレも死にたかねーから修行は怠らなかったし、クレイモアより上級の “グランメタリカ” に武器を持ち替えていたぶん――加えて、クルメナを襲った一群と違い、まるで何かを探すように地面すれすれに蠢いている敵は狙い撃ちやすかったからだ。
 逃げ惑う住人に遭遇しては郊外へ誘導、突進してくるモンスターを薙ぎ払いつつ、目指した町の中心部。
「……あいつら!?」
 無数の悪霊に囲まれた一軒家を前に、思わず、ぎょっと目を凝らしてしまう。
「嫌ああ、来ないでぇ!!」
 ひらひらしたスカートをたなびかせ、戸口に踏んばった少女が半狂乱になりながら、握りしめた木槌をムチャクチャに振り回していた。
「ティア、しっかり! だいじょうぶだから、おじいさんたちに近づけさせないぞって強く思って、お祈りするだけで。幽霊になんか負けないから!」
 さらに傍らには、握りこぶしで励ます妖精シルフェ。
 ティアの身体はいつかと同じように、淡く発光しており――彼女に向かっていった悪霊は例外なく、熱したフライパンに落ちた水滴のごとく蒸発していった。
「なんだって毎度毎度、逃げ遅れてんだよ!?」
 天使曰く “浄化の資質者” だったか、その潜在能力がティア自身を護っているんだろう。
 それにしたって荒事とは無縁に暮らしてた農家の娘じゃ、素質はどうあれ、モンスターの大群が押し寄せてきた事態に平常心を保てるわけがない。
「無茶すんな、バカ!」
 庇いに入りざま叱りつければ、シルフェが 「あーっ、あんた?」 と頓狂な声を上げ。
「グリフィン……さん?」
 悪霊を威嚇する作業に頭いっぱいだったんだろう。
 少女の反応はやや鈍く、涙目をぱちくりさせ、ふらーっとその場にへたり込んだ。
「ああっ、ティア!?」
「う、うん。ちょっと眩暈がしただけ――平気だから」
 取り乱して纏わりつく妖精に応え、憔悴を滲ませながらも笑みを浮かべ。
「ちょっととかいう問題かよ、逃げ遅れたんならせめて家ン中に隠れてろ! じーさんとばーさんはどうした!?」
「二人とも風邪で寝込んでいて、動ける体調じゃないんです」
 オレの詰問には、いよいよ瞳を潤ませ。
「だから私……私が、おうちを守らなきゃ。おじいさまたち、ベッドごと潰されちゃう……」
 唇を 『へ』 の字にして震えているが、気丈にも泣き崩れはしなかった。
「よく頑張ったよ、おまえは」
 感心したのと呆れが半々に、栗毛の頭をぽんと叩き。
「あとはオレに任せとけ」
 グランメタリカをかまえれば、頭上へ舞い上がったシルフェが偉そうに発破をかけやがる。
「しっかり戦ってよね! 体力は私が回復したげるから」

 そうしてようやく敵も残り数匹にまで減ったと思いきや、裏の林から突然、四つ足の影が躍り出てきた。
「くそっ、新手かよ!」
 オレの斬撃をひらりと避けたそいつはユーレイの類じゃなく、鹿とも狼とも形容しがたい双角の巨獣だった。
「ぐるる……」
 民家の屋根に降り立ち、こっちを睨みながら不機嫌そうに低く唸る――と。
「あーっ、バーンズ!!」
 なぜかシルフェが嬉しそうに叫び、オレを一瞥、意味不明なことをまくしたてる。
「ちょっと待って、この子は敵じゃないの!」
「はあ?」
「バーンズったら、心配したんだからね? 遠出の散歩にしても長すぎるわよ?」
 すっ飛んでいった妖精は、まったく臆する素振りもなしに相手の角をぺしっとはたいた。
「早く妖精界に帰りましょう、みんな心配してる。あの面倒くさがりなティタニア様が、私たちを捜索に出すくらいだったのよ?」
「なんだ、おまえ」
「ひどっ、いくら何年も会わなかったからって! 私のこと忘れちゃったワケぇ? あんなに仲良しだったのに」
 ぷりぷり憤慨しつつ大仰に嘆いて、今度は赤茶けた耳を左右に引っぱって怒鳴る。
「私、シールーフェよ!」
「……俺は」
「もう、とぼけるのも大概にしなさいよ。あなたの名前はバーンズ、妖精界の守護獣でしょ?」
 置いて行かれたオレには、なにが何やらサッパリだ。
 それはティアも同じらしく、軒下に座ったままきょとんと首をかしげている。
「俺、遣い――」
 親しげなシルフェの態度に反して、ぶつぶつ呟いている獣の気配は、そこいらのモンスターと似たり寄ったりに凶暴で。
「イウヴァート様、そいつ目障り!」
「きゃあ?」
 咆哮するなり牙を剥き、よりにもよって、オレの後ろでへばっていた少女に飛び掛ってきた。
「ちッ!」
 間一髪、立ち竦むティアを横抱きに跳び退いた、視界の隅で。
「ちょ、ちょっと、なんてことするのよ!?」
「うるさい、おまえもジャマ!」
 眦を吊り上げ “バーンズ” を非難した、シルフェは、煩わしげな尻尾の一振りで草むらに叩きつけられ。
「あうっ!」
「シルフェ!?」
 くたりと倒れ動かなくなった妖精のところへ、うろたえ駆け寄ろうとするティアに、再び赤茶けた巨体が襲い掛かる。
「イウヴァート様の敵、やっつける!」
「バカ、退いてろ……!」
 引き戻そうとしたオレの左手は、届かず空を切り。
 モンスターの接近に気づいたティアはびくっと振り返るが、猛獣のスピードに敵うはずもなく――シルフェを胸に抱き上げたところで、観念したように硬く背を丸め。
「!?」
 だが、うずくまった少女に食らいつく寸前。
 バシュッという衝撃とともに、馬鹿デカイ獣はゴムボールのごとく吹っ飛ばされた。
「……あ?」
 ティアがまた、天使の魔法に似た燐光に包まれている。
 地べたに横倒しになった巨獣は、どこが麻痺したか立ち上がれず、四肢で大地を掻き毟るようにどったんばったん暴れ跳ねまわり。壁やら樹木やら、そこいらの物に頭突きを繰り返した挙句――ゴガッシャン!! と。
「ぐるぅう……」
 用途は不明だが鉄製らしきゴツイ農具に激突して、とうとう脳震盪でも起こしたか目を回し、そのまま伸びてしまった。


「もう、何事――って」
 どうにかこうにか一段落、石に念じて呼び出せば。
「……あれま」
 大混乱の跡地をぐるっと眺め渡した、ティセは点目になった。
「あれま、じゃねえよ。なんとかしろ! 説明しろ!」
 昏倒した妖精、さらにシルフェが生きてると判明したとたん気が緩んだらしく、ぶっ倒れたティアを抱え――数メートル離れた位置に気絶してる獣を指差した、オレは、疲労感に苛まれつつ喚いた。



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ティアの不思議な力って、具体的にはどーいう類のものだったのか……一種の超能力か、アルカヤで言うところの魔女か、ロクスの能力に近いんだろうか