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◆ カノーア侵攻(1)


「んもー、こんな遠くまで引っぱって来られちゃ身体が持たないわよ。足がキツイったら」
「しょーがないじゃないですか! ヘブロンの騎士様たち、お二人とも不在なんですよッ」
 それなのに、デュミナスの軍勢は何千って規模。
 宣戦布告も無しに奇襲を受けたカノーアの国境警備隊や、政府の対応もすっかり遅れて。
「私が気づいたときにはアルトロン海峡を突破されちゃってたから、もう北から南までナーサディア様ひとりじゃ手が回らないんですってば」
「それでなに? クレアもティセも、まーた出払ってるワケ?」
「ティセナ様は、行方不明になったレイヴ様を探してて……クレア様は、クヴァールの事件現場に行ってたけど、さっき “水の石” で呼んだから、すぐに来てくれると思います」
 相変わらず文句たらたらの勇者様に、私は泣きたい気分で訴える。
「ホントにばたばたで手一杯なんですよう、天使様たち! アーシェ様、ずっと依頼がなくてやることも無いし暇だ退屈だってぼやいてたんだから、ちょっとくらい遠くの事件をお願いしたって良いじゃないですかー!?」
 だいたい遠くったってフェデコの街は、ヘブロン王国のブルガールから馬車すっ飛ばして1日そこらの距離だったんだし。
「他の国はあっちこっち荒れてるのに、ファンガム領内なんて、たまーにスライムが畑荒らしに出てくるくらいで平和そのものなんだから」
「ファンガムを治めているのは、お父様なのよ。当たり前でしょ!」
 家出王女様は得意げに、つんっと顎を逸らした。
「とにかくこの侵略戦争が止まって、インフォスの混乱が落ち着いたら、クレア様も息抜きにアーシェ様とお茶するくらい出来るはずですし!」
 協力者は男女みんなそれぞれ我が強いんだけど、アーシェ様のワガママっぷりは突出していると思う。
「本当なのね、絶対ね? 時間が空いたら、今度こそ真っ先に私のトコね?」
「ローザとも相談して、なんとかスケジュールやりくりしますってー!」
「嘘ついたら、スライム小屋に放り込むわよ? それにしてもこの国の兵士ってば、だらしない!」
 ……スライム小屋って、なに。
 色とりどりのスライムがぎっしり詰まった飼育カゴの中で、ぷしゅうと押し潰されそうになってる自分を想像したら、シェリーちゃん眩暈がした。
 次から次に事件が発生して、この頃はホントに息つく暇も無いなぁ。
(一難去って、また一難……ですね)
 忙しくしてる天使様二人を思い浮かべて、深い森の隙間から空を仰ぐ。
 ああ、ベテル宮でお喋りしながら、のんびりだらだらクレア様の手作りクッキーが食べたい。
 だけどそれにはレイヴ様を助け出して、インフォスの情勢も落ち着いてなきゃだし、とにかくまずはカノーアがデュミナス帝国に占領されちゃうのを防がなきゃ。
 アーシェ様だって不満ぶちぶち言いつつ、ちゃんと急いで走ってくれてるんだから。

 そうして両軍の交戦現場を発見した、勇者様は。
「な、なにっ!?」
 乱入者に驚いて反応が遅れたデュミナス兵の、剣や盾をダガーで叩き落しては相手に肘鉄をお見舞いして昏倒させ、その場に立っているのが唖然としたカノーア兵だけになったところで、ふうっと肩で息をした。
「だ、誰だ?」
「誰だ、じゃないわよ情けないわねえ……いくら何十年も戦争と無縁のカノーアで軍人やってたからって、訓練は積んでたんでしょ? いちいち動揺して陣形を崩さないッ!」
 そうして彼らを、ぴしゃりと叱りつけた。
「ほらそっち、さっさと敵騎兵が侵入できそうな道は塞いで! 弓術部隊が前に出てどーすんのよ、側面を固めなさい――だいたい、なんで見張り小屋に人がいないの。敵の動きが分からなきゃ、撹乱される一方じゃない! ここを破られたら一気に首都まで攻め込まれるわよ!?」
 浮き足立ってた兵隊さんたちが、ひぃっと首をすくめて。
「攻撃は最大の防御なりって言うでしょう。まだ住民も避難し終えてないんだから、少しは根性見せなさい!」
「は、はいッ」
 いきなり現れた女の子に命令されたのに、あたふたと一も二も無くうなずいて防御体制を整え始めた。
「アーシェ様ってば……なんでいきなり他国の軍人さん、仕切れちゃうんですか?」
 ぽかーんと私が質問したら、
「なんでって? おたおたしてるとこ指示されたら、素直に従うでしょ? フツー」
 勇者様は、あっけらかんと答えた。
 生活環境で染みついた諸々の雰囲気だろうか、とりあえず見ず知らずの他人に命令して、すんなり受け入れられちゃう迫力って凄いかもしんない。
「ほらほらシェリーも、ぼーっとしない! 敵の指揮官がどこでふんぞり返ってるか、早く探してきて!」
「うわ、分かりましたぁー!」
 そのぶん妖精使いも荒いけど。
 ひー。

 追い立てられて飛び抜けた雑木林、さらに先へ進んだ野原に、デュミナスの一部隊と睨み合ってる人影を発見した。
 緑いっぱいの景色に調和したライムグリーンの衣服と、ふんわり長い榛色の髪。
「僕のことは、どうでもいい!」
 向けられた白刃に目もくれず言い争っているのは、一瞬女の子かと思ってしまうくらい儚げな容姿の少年だった。
「今すぐミライヤに、こんな戦いはやめるよう伝えてくれ!」
「なんだと? 貴様っ、后妃様を呼び捨てに……!」
 無礼者めが、と頭から湯気たてて斬りかかろうとする仲間を、青褪めた兵士数人が割って入って押し止める。
「よせよ、馬鹿! コイツに危害を加えてみろ、打ち首にされちまうぞ――顔を見て判らないのか?」
「ああん?」
 不審げに首をひねるヒト、うげっと目を剥いて後退るヒト、迷惑そうな視線を少年に向けるヒト。
 戸惑いに包まれたデュミナス兵が奥の方からざわめきだして、まるで潮が引くように左右に開けられた道を。
「……フェリミ? どうして、ここに」
 小走りでも優雅に近づいてきたのは、真っ白いドレスみたいな外套を纏う女の人だった。
「手紙を読まなかったの? 遣いの者が直接、あなたに渡したはずよ――戦渦に巻き込まれないよう、カノーアを離れなさいと」
「読んだから来たんだよ、姉さん……今すぐ軍を退かせてくれ!」
 いかつい甲冑姿の人たちに囲まれた、どうやら姉弟らしい二人は、ものっすごく戦場の風景から浮いていた。
「フェリミ?」
 姉さん、と呼ばれた彼女は、きょとんと小首をかしげた。
「どうして侵略戦争なんかしなきゃいけないんだ? 家族を殺されて、街を焼かれて、残された人たちがどんな苦しい思いをするのか、姉さんに分からないはずがないだろう!?」
 フェリミ、と呼ばれた少年は、もどかしげに重ねて問い質す。

“なんだ、ミライヤ様の弟君か?”
“数年前に出奔したっていう――あれが?”
“そういえば似てるよな。けど、その弟がなんだって進軍のジャマを”

「そんなこと、どうでもいいわ」
 ひそひそ兵士たちの囁きが聴こえる中、デュミナスのお偉いさんらしい彼女は、抑揚のない口調でぽつりと呟いた。
「弱者に、生きる価値は無いもの」
「姉さん!?」
「世界は、強者の為にあるの。これは、不要物を一掃するための戦いなのよ――インフォス全土を、デュミナス帝国の物に」
 フェリミさんは愕然と、信じられないっていう表情でお姉さんを凝視している。
「そして私もあなたも、強者なのよ……昔と違ってね」
 すごくすごくキレイな笑顔で手を伸ばした、彼女は。外見は大人っぽいのに無邪気で幼げで、どうしてか奇妙に底知れない感じが怖かった。
「さあ――昔のように私の傍に来て、私の手を取ってちょうだい」
「……出来ない」
 一瞬、握り返しかけた手を引っ込めた、少年はぶんぶんっと首を横に振って、泣きだしそうな声で叫ぶ。
「こんな無意味な戦いが “強さの証” なら、僕は一生、弱いままでいいよ!」
 とたん、それまで優しそうだった、お姉さんの微笑が凍りついた。
「聞き分けの無い子ね、遊ばせすぎたかしら――」
 すうっと蒼い目が細まって、駄々こねる子供に呆れたような眼つきになる。
「おまえたち! フェリミを連れ帰りなさい。デュミナスへの道中、怪我ひとつでもさせたら承知しないわよ」
「か、畏まりました!」
 命令された兵士たちが敬礼するけど、ばさっと外套を翻したミライヤさんは、振り返りもせず北へ向けて歩きだした。
「伝令の報告は? トラスト方面へ繋がる街道はどうなっている」
「ハッ、それが……軍人とは思えぬ身形をした、鞭使いの女が暴れておりまして」
 お供の人たちが萎縮しながら、へこへこと報告する。
「そんなもの殺しなさい! あの地区へは軍勢の半数を割いたはずよ、なにをモタモタしているの!?」
 さっきまでとは一転してヒステリックな刺々しい声が、みるみる遠ざかって木立の合間に消えていった。
「姉さん――くっ、放せ!」
「おとなしく同行してください、フェリミ様……なるべく手荒な真似はしたくありません」

 デュミナス兵が数人がかりで少年を拘束しにかかった、そのとき。

「あんたたちー!! 他国に攻め入った挙句、女の子かどわかそうなんて、どこまで卑劣極まりないのッ」
 一休みして私を追っかけて来たらしい、勇者様の怒鳴り声がこだました。
「このアーシェ様に目撃されたのが運の尽き、天罰覿面よッ。観念なさい――ダガーウインド!!」
 宣言は高らかに、武器さばきも鮮やかに。
「だいじょぶ? 立てる? 怪我は無いみたいだけど、危ないとこだったわね」
「……はあ。ありがとう、ございました」
 ものの数分でデュミナス兵をぶっ飛ばした彼女は、草むらに尻もちついたフェリミさんを見て、もう安心だからとニッコリ笑う。
「あーっ、クレア様?」
 私はというと、その後ろから飛んできた天使様の姿に、ようやく肩の荷が降りた気分になった。
「遅くなってごめんね、シェリー……って、あら?」
 アーシェ様が助け起こそうとしている相手に目を留めた、クレア様が、不思議そうに何か言いかけたところへ。
「こちらです、ミリアス様。ひらひらした格好の、黒髪の少女でして」
 複数の蹄の音、話し声が近づいてきた。
 みりあす?
「しかし、王家所縁の方ではないんですか? 自分はてっきり――」
「ルースヴェイク城から増援部隊を率いてきたのは私だが、カノーア軍に女性兵士がいないことは、君たちも知っているだろう? ただ人々を守るためデュミナス軍に立ち向かってくれた、剣術家の女性ではないかと思う」
「庶民の娘が、ですか……女だてらに武術を嗜むと?」
「そんなに首をひねることかい? 私は前にもキンバルトで、武道家の少女に出会ったことがあるよ」
 ミリアスって確か、アーシェ様の元婚約者?
「ひとまずデュミナス軍の大半は押し返せた、とはいえ――いつ再攻撃されるかも定かでない場所に、女性ひとり残していくのは危険だ。他の避難民と共に、首都ノティシアまでお連れしなければ」
「…………」
 そろーっと窺った勇者様の顔色は、ほっぺた赤くておでこ真っ青という愉快なことになっていた。
「あの、アーシェ? この地域はひとまずカノーア軍に優勢みたいだから――私、北部で応戦しているナーサディアの援護に行ってきますね? また後で面会に伺います」
 クレア様の言葉に 「分かった!」 と片手を挙げて。
「ちょっとあなた、いつまでへたり込んでるつもり? ややこしいことになる前に逃げるわよ!」
「え、えっ?」
 フェリミ少年の首根っこを、むんずと掴んだアーシェ様は脱兎のごとくその場から逃げ出した。

 ひたすら南へ走って走って、海が見えだしたところでようやく我に返ったらしい、少年は自分を引きずっていた手を振り払う。
「ちょ、なんで僕まで……放してくださいよ! 戻って、姉さんを説得しなきゃ」
「デュミナス軍は撤退し始めてるらしいし、あんな焼け野原にいたって気分悪いだけでしょ! 早く安全な街に――って、僕?」
 立ち止まったアーシェ様は、じろじろじーっと相手を凝視した。
「……あんた、もしかして男?」
 どうも女の子と勘違いしてたらしい。気持ちは分かるけど。
「……男ですよ」
 フェリミ少年は、ムスッとして答えた。
 声まで含めてみたら、やっぱり男の子だけど。初対面の人間からは、けっこうな確率で間違えられるんじゃないかと思う。
「あーっ!!」
 たっぷり数十秒、じろじろじーっと目を眇めていたアーシェ様が突然、びっくりした感じの大声を上げて。
「!?」
 鼻先に人差し指を突きつけられた少年は、ぎょっと一歩後ずさった。
 それからまた、たっぷり数十秒。
 指ごと下ろした手を腰に当てて、はあっと嘆息したアーシェ様は、急に問答無用の口振りで言う。
「……そう、ずいぶん訳ありみたいね。相談にくらい乗ったげるから、ぜんぶ話しなさい」
 そしたらフェリミさんの表情が硬くなった。
「無関係のあなたに、お話しすることはありません。一部隊に過ぎないとはいえ、デュミナスの侵攻を止めてくださったことには感謝しますが――」
「あいにくと、私には他人事じゃないのよね」
 だけどアーシェ様は、あっさり切り返す。
「今はヘブロンと和平条約を締結してるけど、何十年も続いてた紛争の遺恨がすぐに消えるわけじゃないもの。凍土の多いファンガムは、農作物の大半をカノーアからの輸入に頼ってる……ヘブロンも同じだけどね。数少ない友好国が、デュミナスの横暴で荒らされるのを見過ごすわけにはいかないわ」
「あの、あなたは――」
 警戒から困惑へ、相手が面食らった様子を見せると。
「分からない? そうね。あなた、どこの王都で顔を合わせても、居心地悪そうにミライヤの後ろにくっついて俯いてたもんね。おかげで私も、とっさに思い出せなかったわ」
 アーシェ様は少し怒ったように、苦々しげに問い質す。
「噂の后妃様はわざとらしいくらい、各国の権力者に向かって作り笑顔振りまいてたけど……弟のあなたは、紹介された来賓の名前さえろくすっぽ覚えてないんでしょ? フェリミ・マクディル」
 そうして、逃がすつもりは無いという意思表示のように、きっぱり名乗った。
「私は、ファンガムの王女。アーシェ・ブレイダリクよ――関係ないとは言わせないわ」


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王女と王子の縁談が持ち上がるくらいだから、両国は同盟関係にあると思われ。なら、デュミナス帝国のカノーア進軍は人事ではないハズ。ビーシアを男と誤解、に引き続き、フェリミを女と勘違いするアーシェでした。