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◆ カノーア侵攻(2)


 想定外の反撃に遭った、デュミナス軍は一時撤退を始め。
 駆けつけたカノーア兵に守られ首都へと逃れる人々の、後備えについたナーサディアにうながされ、再びアーシェの元へ舞い戻れば。
「……避難したんじゃなかったの?」
 ミリアス王子の登場にうろたえ、フェリミを連れて走り去ったはずの勇者とシェリーは、なぜか黒煙くすぶるフェデコに引き返して来ていた。
「あっ、クレア様! 良かったぁ、北部も落ち着いたんですね?」
 喜んで飛びついてきた妖精とは対照的に。
 静まり返った廃墟の街、焼け落ちた家屋に佇んでいたアーシェは、ちらっと視線を合わせただけで。
(静かに)
 というように人差し指を唇に当てた。
「それで? あなたが軍を退かせに来た理由は分かったけど、そもそもどうしてミライヤは侵略戦争なんか始めたのよ――デュミナスの土壌がファンガムと似たり寄ったりで、あんまり豊かじゃないのは知ってるけど。ここ数年は天候に恵まれて、作物の収穫や商工業も安定していたはずよ」
 やや強めに問い質す、彼女の眼前には。
 ぽつんとキャビネットに飾られたぬいぐるみへ手を添えた、うつむいた少年の姿。

「僕たちは、ずっと昔……こんな戦火に巻き込まれて、孤児になったんです」

 それは彼が、インフォスの地に産声を上げて間もなかった頃。
 姉のミライヤは、まだ12歳になったばかりで。
 頼る身寄りもなく世界に弟とふたりきり、取り残された彼女は――乳飲み子を抱えては、住み込みの働き口を見つけることも叶わず。施設へ保護を求めるしかなかった。
 戦災孤児であふれ返った、そこは酷く殺伐とした冷たい場所で。
 ベッドは硬く食事も満足に与えられず、情緒不安定な子供たちの間では虐めが絶えずに、ストレスを溜め込んだ職員が暴力を振るうことさえあったという。
 赤ん坊は泣くものであるのに……うるさいと怒鳴られ、手を上げられ。
 それから数年が流れても。
 幼く内向的なうえに無抵抗で、ただ部屋の片隅で泣いていたフェリミは、周りの人間から暴力の標的にされ続けたという。
 物心つく前だった彼には、怖かったという印象がおぼろげに残っているだけで、記憶そのものは無い。
 弟を庇い、苦しみを必死に耐えてきたのはミライヤ独りであったと。

 アーシェの傍らで、少年の身の上を聞きながら。
 シスターエレンや教会の子供たちを通し抱いていた “孤児院の” イメージと、あまりに違いすぎる施設の話に、クレアは絶句していた。
 だが、同時に思い出す。
『オルデンなどの都市には、国営の孤児院もあるらしいのですが、あまり環境が良くないと聞いておりまして……出来ることなら、そこへは行かせたくないので……』
 相談を持ちかけてきたソルダムの村長らが、ためらっていた理由は。
 もしもセアラを “そこ” へ預けていれば、彼女もまた、フェリミたちと同様の目に遭わされたんだろうか?
 失語したあの幼女は、嫌だと、痛いと叫ぶことも出来ないのに。

「僕が5歳のときに、姉さんと一緒に養子としてマクディル家に引き取られて、やっと――」

 フェリミの話はなおも続いた。
 カノーアの貴族だった老夫婦に迎え入れられて、ようやく人並みの暮らしを知ったこと。
 貴族といっても血筋と肩書きばかりで、その暮らしぶりは、お世辞にも裕福といえるものではなかったにせよ。
 弟にこそ優しかったけれど、他者へは険しい眼差しばかりを向けていたミライヤが、明るい笑顔を見せるようになって。
 養父母に愛しまれた穏やかな日々は、楽園にも等しかったと。
「このハープも……音楽に興味を示した僕に、養父母と姉が、限られた生活費をやりくりして買い与えてくれたんです。今になって思えば、そんな金にもならないモノにと嫌な顔をされなかったことが、不思議なくらいだ」
 少年は寂しげに呟いた。

 ふと脳裏に、シーヴァスの台詞がよみがえる。
『追って、どうする気だ? 天使というのは、初対面の人間の家庭事情にまで首を突っ込むものなのか?』
 以前、トラストへ向かう旅の途中で、フェリミと出会ったときのことを思い返す。
 あのときこうして “事情” を聞けたところで、自分に何が出来たろう?
 守護天使の使命。インフォスに平和を取り戻すとは――堕天使を倒せば、魔族を排除すれば、そうして時の流れを正常に戻しさえすれば達成されたことになるんだろうか。
 なにをどこまで、どうすれば “世界を守った” ことになる?
 勇者に頼み、敵を退け、そうして確かにフェデコの地は解放されたけれど……焦土のまま。
 焼け出された人々は、寄る辺を亡くした子供に手は差し伸べられる?
 たとえ衣食住が用意されても――フェリミのような境遇を強いられるなら、それは保護されたと言えるのか。考え込むクレアの存在に気づかず、少年は語り。
 アーシェは時折 「そう」 と相槌を打ちながら、静かに耳を傾けていた。

「それから5年後、養父母は病死しました。僕は一人で留守番できるくらいの歳になって、姉も成人していましたし……貯えにゆとりは無かったけれど家財を遺してもらえたから、すぐに困窮するようなことはなかった。ただ、また二人きりになって、この生活も突然壊れてしまうんじゃないかと……漠然とした不安は拭えませんでした」
 そんなときだった。
 外交行事のためカノーアを訪れていた、隣国の皇帝がミライヤを見初めたのは。
 街角ですれ違った彼女に一目惚れしたらしかったが――デュミナスの宮殿に迎えたあとも、贅を尽くした料理に、きらびやかな寝室、豪奢なドレスと宝石で “后妃” の美貌を飾り立てるばかり。
 妻となった女性の心を気遣う様子は、まるで無かったと。
 デュミナスの家臣らは、君主の浪費癖に拍車をかけた没落貴族の娘を快く思わず、マクディル姉弟に対する悪評は増すばかり。
 その時点で親子ほどに歳の離れた婚姻であり、フェリミも幼心に違和感を抱いたが――皇帝のプロポーズを受けた当初こそ、慣れぬ環境に浮かぬ表情でいたミライヤは、次第に変わっていった。
 逆らうものは屠れば良い、欲しければ奪い取れば済むのだ。
 なぜなら今の自分には、デュミナス最高権力者という後ろ盾があるのだから。

「苦しみ続けた昔の記憶が、姉を権力に妄執させているんです……二度とあの頃に戻りたくない、という」

 この惨状を生み出した原因は自分でもあるのだと、両の拳を握りしめて。
 少年は、息吹の途絶えたフェデコを見渡す。
「だけど姉さんは優しかった! この街にも築かれていただろう幸せな家庭を、壊してしまう暴力が、正しいだなんて本気で思っているはずがない――確かに施設での暮らしは冷たかったけど、そこから暖かい場所へ抱き上げてくれた人たちもいたことを、忘れてしまっているはずがないんだ」
 呻くような語調には、ミライヤを信じているというよりも、頑なに信じたがっているような必死さがあった。
「もう一度……もう一度だけ、姉と話し合う機会があれば、きっと分ってくれると思うんです」
「だったら」
 聞き役に徹していたアーシェが、そこで口を開く。
「こんなところでウジウジ悩んでる暇があったら、さっさと話してきなさいよ! あんた、分らないから迷ってるんじゃなくて、ミライヤの本心を確かめるの先送りにして逃げてたら戦争が始まって、いまさら慌ててるだけなんじゃない!?」
 叱咤されたフェリミは、びくりと身を震わせた。
「殴られた身体の痛みならともかく、私に、あなたたちの気持ちは分らないわ――そんな苦労したこと無いんだから。だけどね。民の暮らしを守るのが王族――国を治める者の務めだって、ずっと教えられて育ったわ」
「……現王の代になってから、ファンガムは平和でしたね」
 遠くを見るような眼をして、少年は項垂れ。
「ここ数年、僕はずっと吟遊詩人として世界各地を旅していたけど……あなたの国だけは、争いの噂と無縁だった。姉さんが実権を握ってから、軍事国家へと姿を変えていったデュミナスとは正反対だ」
「同じ天秤では量れないだろうけど、お父様だって苦労してたわよ。即位してからずっと、カノーアを中心に各国と貿易の交渉をして、紛争が絶えなかったヘブロンと和平条約を結んで――好戦派の旧勢力から、刺されたり毒殺されかけたこともあったって」
 眉をしかめたまま、アーシェはさらに言う。
「ファンガムだって昔は戦争ばかりしてたんだから、戦災孤児だったあなたたちに、強く言えた義理じゃないけど……ミライヤが、私利私欲の為に戦火を広げるっていうなら話は別よ。どんな辛い思いをしてきたからって、なにやっても許されるわけじゃないわ」
 カノーアは早急に、抗戦体勢を整えるはず。
 デュミナスの侵攻が止まらなければ、友好国の危機に、ファンガムやヘブロンも増援部隊を送ることになるだろう。
「そこまで事態が悪化したら、お姉さんも無事じゃ済まされないってことくらい想像つくわよね? あなた弟なんでしょう? 自分にも責任があるって言ったわね――だったら、引っぱたいて縛り上げてでもミライヤの暴走を止めなさい! 進軍が始まってからじゃ遅いのよ、ジャマが入らないところで話さなきゃ」
 好戦派の側近連中が近くにいては、彼女も “后妃” として振る舞わざるを得ないだろう。
 まずは手紙なり何なりで姉だけを呼び出せばいい、護衛が必要なら自分が同行するというアーシェの提案に、
「強い人ですね、あなたは」
 あっけに取られ目を瞠っていたフェリミは、やがて観念したように、ほんのわずか暗さが払拭された笑みを見せた。
「お姫様なのに戦えて……友好国カノーアのために、先陣切ってデュミナス兵に立ち向かう勇気があるんだ」
「え?」
 羨望を向けられたアーシェは、逆に戸惑ったような顔つきになり。
「僕もせめて、あの頃、姉さんの後ろに隠れてるだけじゃなくて――並んで現実に抗えるくらい強かったら、こんなことにはならなかったのかもしれない」
「……私は、べつに強いわけじゃないわよ」
 気まずげに首を横に振った、一瞬、さっきまでのフェリミ以上に鬱屈とした溜息をついた。


 少年とは、ひとまず戦火を免れた近隣の町に入ったところで別れ。
 彼の動向を把握しておいてほしいとシェリーに託して、クレアは、どこか塞いだ足取りの勇者を追った。


「やっぱりアーシェは一国の王女なんですね。私では、きっとフェリミさんの話を聞いても混乱するばかりで、なにひとつアドバイス出来ませんでした」
 沈黙に耐えられなくなって話しかけると、
「アドバイスっていうか――うん、あれこれフェリミを責めたけど」
 避難民らしき人々が行き交う街道を歩きながら、彼女は、自嘲じみた呟きを漏らす。
「私もあんまり、他人のこと言えないか……な」
 そうして道端の切り株にしゃがみ込むと、ぐったり自分の膝へ突っ伏した。
「苦労してるのはお父様ばっかりで。娘の私は、窮屈だからなんて理由で王宮を飛び出してふらふらしてたんだものね――デュミナス兵と戦ったのだって、たまたま依頼を受けたからだし」
「それでも奇襲を受けたカノーア軍が、こうして持ちこたえられたことには、あなたたちの戦果が大きかったと思います」
「ん……」
 クレアが言葉を添えても、その表情は晴れず。
「だけど一度、グルーチのお城へ帰った方がよくありませんか? アーシェ……平時ならともかく、デュミナス帝国の脅威があっては。娘がどこかで戦争に巻き込まれているかもしれないと思ったら、ファンガム王も心配されますよ」
「そう、ね……」
 普段なら 『帰らないって言ってるでしょ!』 と反発しただろう勧めにも、曖昧に頷いただけだった。




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フェリミには 『両親』 の記憶がまったく無いんじゃないかと、なんとなく思います。仮に彼が5〜6歳まで親元で育っていれば、ミライヤはその時点で18歳くらい。孤児院があっても 「弟は預かってやるから、姉のあなたはどっかに住み込みで働いて」 って言われちゃいそうですし。