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◆ 人と竜の間(1)


 アーシェが帰国の途につくとほぼ同時に、船旅を終えたシーヴァスがヘブロン領へ降り立つのを見届けてから。
「……だいじょうぶなんですか?」
「え?」
 いったん状況報告のためエスパルダに向かったクレアと、合流したティセナは思い切り眉をひそめた。
「ろくに休んでないでしょう、聖気も磨り減ってる」
 ようやく疫病騒ぎが収まったと思いきや、レイヴが失踪――アドラメレクと戦った直後にアポルオンの干渉を受け、さらにはカノーアの地方都市が戦火に焼かれて。
「あちこち飛び回ってたのは確かだけど、みんなが頑張ってくれてるから。私は、ときどき回復魔法を使ってたくらいよ?」
 しかし少女の追及は鋭く。
「じゃあ、その耳はどうしたんですか? 結晶石ひとつ消失するくらいだ、相当のエネルギー波を相殺したはずですが」
(うっ、目敏い……)
 ベテル宮へ戻るタイミングも掴めず、イヤリングは片方だけになったままだった。
「落としたなんてマヌケな言い訳はナシですからね」
 こちらの弁明を先んじて封じた彼女は、おもむろに懐から、無色透明の原石をふたつ取りだす。
「サファイアブルーとクリスタルで色違いじゃ、バランス悪いし不自然でしょう。マジックストーンとしては完成レベルに達してるみたいですし、左も一緒に替えたらどうですか?」
「うん、ありがと。だけど……」
 笑って了承しながら、外した “水の石” をポーチにおさめ。譲り受けた新品に金具を嵌め込む――これが元素を吸収して藍青に染まるまでには、またしばらく時間がかかるだろう。
「ティセこそ、少し休憩した方が良いんじゃない? 手掛かりが “廃墟の館” だけじゃあ、手探りで調べて回るのもそうとう骨が折れるでしょう」
「妖精の探索能力でさえ感知できない状態なんです。ナーサディアの時を停めているものと同じ、触れなきゃ分からない性質の魔法なら――どのみち私の管轄だ。レイヴ様を連れ戻したら、心置きなく休暇もらいますよ」
「じゃあ、なおさら私も休んでる訳にいかないわ」
「……頑固者」
「お互い様でしょ?」
 余計はりきりだした上司を眺めやり、あきらめ混じりの溜息をつくティセナ。
 そこへ頭上から響いた、甲高い叫び声。

「った、大変ですー!!」
 
 ぶつかりそうな勢いで飛んできた妖精は、クレアたちの眼前で急停止、ぐしゃぐしゃとショートカットの赤毛を掻き毟った。
「もおおっ、なんでこう次から次にぃ!?」
「落ち着いてよ。なにがあったの――」
「フェリミさんが、どうかしたの?」
「うわっ、そうだった。頼まれたこと放り出してきちゃいました! でも今は、ミライヤ后妃の方が弟さんに会ってる場合じゃないはずですから……」
 交互に問い質された、シェリーは深呼吸するなり一気にまくしたてる。
「デュミナスのラルースが、モンスターの群れに襲われて壊滅したんですっ!」
「ええっ!?」
「ワイバーンやヒドラ、サラマンダーなんかが暴れて火を吹いて。二次被害の雪崩まで――ホワイトドラゴンが、村人を守りに立ち塞がってくれたんですけど。黒い痣のあるゴールドドラゴンには敵わなくて、そうこうしてたらリュドラルさんが駆けつけて来て――だけど、やっぱり歯が立たなくって」
 竜族の庇護下にあった大地が、なぜそんなことに?
 天使二人が同時に抱いた疑念には、すぐさま答えが示される。
「騒ぎを煽動してたの、前にボルンガ族が話してた “マキュラ” なんですよ! 馬鹿力だけでも厄介なのに、黒魔術を撃ちまくって……人間だけにデカイ顔されなくなって、せいせいするだなんて。知り合いらしいドラゴンまで叩きのめして、うるさいから黙らせたんだって嗤ってた」
 激昂して挑むも殺されかけたリュドラルを、老白竜が庇い。
 マキュラに与することのなかった仲間の援護を受け、ひとまず退却したものの。
「最前線にいたホワイトドラゴンが、深手を負ってて――放っておいたら間違いなく死んじゃいます! なんとかしてあげられませんか?」
「……治せる程度の傷ならいいんだけど」
 泣いて訴えるシェリーに頷きかけ、ぐいっとクレアの腕を引いた、
「ティセ?」
「優先事項が変わりました」
 少女は有無を言わせぬ調子で、転移魔法の発動体制に入った。
「これはラルースだけの問題じゃありません! インフォスの在来種でも群を抜いた大型生物、しかも知能と “力” を兼ね備えた竜族が、こぞって敵に回るような事態になったら――もう、どうしたって勇者5、6人の手には負えない。マキュラの居所が判ってる今のうちに止めなきゃ――また狭間に隠れられでもしたら。堕天使が出て来るまでもなく、混乱の歪から境界がズタズタに引き裂かれたインフォスは魔族に攻め滅ぼされます!」

×××××

 そうして竜の谷から遠く離れた、崖の上。

 アウルを助けてくれ、と懇願する “息子” を諌め、
『癒しの魔法とて万能ではない。蝋の溶け落ちた燭では、火を灯そうと瞬く間に燃え尽きる……そうであろう? 天使殿』
 傷ついた老竜は、穏やかに微笑んだ。
 己が死の訪れを、それで良いのだと。
『よくないッ! あんな奴に――あんな奴に、竜の長の座を譲り渡していいのか!?』
 一緒に、マキュラを倒そうと。
 竜族の長はアウルしかいない、ずっと元気でいてくれと、かさついた鱗に縋り泣きじゃくるリュドラルの背中に、かける言葉をクレアたちは持たなかった。
 致命傷を負った身体に回復魔法をかけては、傷を消す代償に、残るわずかな命の炎を奪い尽くしてしまうだろう。
『竜の掟は動かせはしない。常に、最強のものが長となるのだ……たとえ邪悪な竜であろうとな』
 時の流れは止められず。
 いつまでも昔のままではいられない。
 老いて死すことは定め、子と親が別れることも定めだと。
『私は老いたが、おまえは成長した――もう、じゅうぶん立派な若者だ』
 リュドラルに向けられた声は、眼差しは、どこまでも限りなく優しく愛しげに。
 おまえに出会えて幸せだった、と。
『竜とヒト、種も違い世代も遠く離れたおまえと、最後の短い時間ともに過ごし……種を越えて、なにか理解しあえるかもしれんという、希望を得られた』
 別れの言葉を拒絶するかのように、ただ力なく首を横に振るだけだった青年が、
『私に誓ってくれ、リュドラル――人と竜の間に立つ者として、己の信じるものの為に生きると』
『ああ、誓うよ……必ず、アウルの言葉は守る。だから!』
 ようやく顔を上げ、ぼろぼろと泣きながら。けれどそれ以上は声にならず。
 彼らを守るように周りを固めた竜のうち一匹が、そっとリュドラルの肩に前足の爪で触れる。
『……うむ。正しく生きろ、私の息子よ……』
 目を細めたアウルドラゴンは、気力を振り絞るように首をもたげ、
『みな、後を……頼むぞ』
 順に見渡された竜たちは、分かりました、必ずと。一族の誇りにかけて、このままマキュラをのさばらせはしませんと、深く頭を垂れた。
『天使殿、どうか――この子たちが生きる世界を――』
 それぞれ頷いた天使と妖精を見とめ、安堵に和らいだ、紅の瞳孔がゆっくりと閉じる。
『さらばだ、リュドラル……』
 牙の隙間から、囁くように漏れた吐息。それを最後に。
『……アウル?』
 起きてくれと名を呼び揺さぶるリュドラルの声にも、二度と応えることはなかった。



 養父の亡骸を弔い、半日が過ぎて。

 アウルの遺志を継いだ竜たちは、マキュラ討伐の布陣を整えに飛び立ち。
 リュドラルは、混乱の最中、見失ってしまった村人の安否を確かめたいと、疲弊した身体に鞭打つようにラルースへ足を伸ばしていた。
「なんだろう、まるっきり人の気配が無い。まさか――いや、暗い方に考えるのは良くないな」
「あ、あそこに人がいるようですよ?」
 思い詰めた様子の彼に同行していた、クレアは、前方の湖畔にかがみ水を汲んでいる人影を指し示す。
「あれは……トリシアだ!」
 知人の姿を見とめたリュドラルは、心底ホッとしたように駆け寄っていった。
「トリシア、無事だったんだな? 良かったよ……他の人たちは? 無事だよな? すまない、マキュラが酷いことを」
 けれど彼女は。以前出会ったときには、惜しげもなく好意をあらわにしていたはずの少女は、
「――来ないで」
 青年の謝罪を遮り、怯えきって後退る。
 語尾に滲む感情は、あからさまな嫌悪と拒絶だった。そこに近くの林から薪を抱え出てきた人間が血相を変え、
「トリシア、そんな竜の手先に関わるんじゃない!」
「父さんっ!」
 水桶を手に震えていた少女は、弾かれたように踵を返すと、父親であるらしい男の背にしがみついて隠れる。
「竜の、手先……!?」
 トリシアたちの態度と物言いに、愕然と立ち尽くす青年を睨みつけ、
「娘をかどわかそうとでもいうのだろうが、そうはさせるか! 出て行け!!」
 つい先日までリュドラルを 『竜の遣い』 と呼び、敬愛していたはずの村人は、血走った眼つきで棒切れを投げつけてきた。


「あの、リュドラルさん――」
「だいじょうぶ、トリシアたちを責める気はないよ……いつか、きっと分ってくれるさ」


 村長が生きてたんだから当面のことは心配いらないだろうと、自らに言い聞かせるように笑って――来た道を引き返していくリュドラルの足取りは、平静を装っているもののやはり重く。

 たまらずラルースの跡地を窺えば。
 竜の手先がうろついていた、くれぐれも一人で出歩かぬようにと、女子供に諭す村長の姿があった。
「……どうして、こんなこと」
「マキュラたちに襲われて、村人の心も荒んでしまってるんでしょう」
 あまり動じたふうでもない部下の答えに、
「だからって、あんな心無い仕打ちを? それに他の人たちはともかく、トリシアさん――」
 かつて一晩眺めて過ごした、にぎやかな祭りの夜を思い返しながら。
 クレアは未だ、信じ難い思いで自問する。
「あんなにリュドラルさんと親しげだったのに。彼は違うんだって、暴力を振るうような人間じゃないってことさえ信じられないの……?」
「さっきのオジサンだって! アウルさんが村を守るために戦ってたとこ、ちゃんと見てたはずですよ?」
 シェリーもまた憤慨して、尻尾の毛を逆立てた。けれど、
「その程度でしょう? 他人との関係性なんて――メリットが消え失せれば、あっけなく崩れる」
 リュドラルが押し殺したぶんを代わるように困惑し憤る、上司と妖精を、冷めた口調で突き放して。
「……それでも一握り、残るものがあるから。人を恨まずにいられるのかな」
 故郷を追われた青年が去った方角を眺めやり、ティセナは、ぽつんと独り言のように呟いた。



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リュドラルの固有シナリオは……完成度が高いのかな。あまり弄りようがないので、ほぼゲームの会話シーンまんまです。