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◆ 人と竜の間(2)


 アウルドラゴンが永久の眠りについた、翌日の黄昏時。

「リュドラル、食事は済ませたんかの?」

 岩に腰掛けてぼーっとしてる青年に、するすると近づいていったボルンガのおじいちゃんが声をかけた。
「まだ、だけど」
「フェイさんたちが食材を採って来てくださったので、お夕飯、作ったんです。簡単なものばかりですけど――なにか少し、おなかに入れませんか?」
 包丁代わりに活躍してた銀のナイフを抱きしめて、クレア様も、心配そうにうながす。
「……ありがとう。でも」
 だけどリュドラルさんは、ごめんと首を横に振った。
「いま、そういう気分じゃないんだ。少し、ひとりで考え事したい――もったいないから、みんなで食べててくれよ」
 放っておいてくれ、と言外に告げていた。

 そうして煩わしさから逃げるみたいに、西の崖側へ行ってしまう。
「卵スープ、ええ匂いなんじゃがのう」
「トリシアさんだけでも信じてここに、いらしてくれたら。お料理も、少しは喉を通ったんでしょうか……」
 残されたクレア様とボルンガさんは、しょんぼり一緒に肩を落とした。

 彼らの生活拠点でもあった竜の谷は、親玉のマキュラと、傀儡の邪法に操られた大量のモンスターに占領されてしまって。
 みんなで一時撤退、ドラゴンの背に乗って避難して来たのは――とんでもなく高くて険しい、竜族さえ好んで住処にはしないような切り立った山岳地帯だ。
 お義父さんを殺されて、ラルースの村人にまで冷たくされて。
 泣きっ面に蜂どころじゃないリュドラルさんが、心が弱った弾みで、投身自殺なんかしちゃったら取り返しがつかない。
 私は、こっそり追いかけていくことにした。

「あ……」

 だけど向かった崖には、先客のティセナ様が――ちょこんと先端に座って、両足をぷらぷらさせていて。
「風が気持ちいいですね、ここは」
 引き返そうか別のところへ移ろうか迷ってるんだろう。足を止めて困った顔したリュドラルさんの気配に振り返ると、とりとめないことを話しかけた。
「……ああ」
 ライトブラウンとウッドブラウンの短髪が、さらさら風に揺れてる。
「少しは落ち着きました?」
 そっけなく問われて、まあね、と苦笑した青年は、
「こんな良い風、久しぶりだな……子供のとき以来だ。匂いも似てる」
「動植物や人里の喧騒に影響されない、ほとんど砂埃も混じってない、まっさらな空気に思いますけど」
「そうだな、空の香りって言った方がいいのかな」
 彼女の傍まで歩いていって、ゆっくり夕焼け空を仰ぐと深呼吸をした。
「十年くらい前までは、アウルもまだ元気で――よく俺を乗せて、いろんなところに連れてってくれたんだ」
 とりあえず飛び降り自殺の危険はなくなったかなと、私は岩陰にくっついて、二人を観察してみる。
「森や村の景色がずっと遠くなって、空と太陽が眩しいくらい近かった。ときどき突風に吹っ飛ばされそうになったり――でも、落ちたってすぐ拾ってくれるのが判ってたから。はしゃいで背中で飛び跳ねて」
 すごく懐かしそうに、思い出の話は続いた。
「アウルは一応怒るんだけど、目が笑ってるもんだからちっとも怖くなくて。それで毎回おんなじこと繰り返して、しょっちゅうフェイたちに呆れられたなぁ」
 その光景を想像したんだろう。
「……楽しそう」
 アイスグリーンの瞳を細めた、ティセナ様は柔らかい声でつぶやいた。
「そんなとき、風はわくわくする匂いがしたんだ、いいことがありそうな……さ」
 リュドラルさんは頷いて、伸ばした右手を夕陽にかざす。
「どこへでも行ける、なんだって出来る。デュミナスの外には何があるんだろう、インフォスはどれだけ広いんだろう――この風は、どんな色に染まっていくんだろうって」

 でも、と。
 明るさの戻りかけていた声が、そこで急に勢いを失くして、しぼんで。

「この匂い……今では寂しい感じがする」
「寂しい?」
 ちょっと首をかしげた、ティセナ様の。
「似てる匂い、なのに?」
「俺はアウルのように、翼を広げて飛ぶことは出来ないんだって思い出すから」
 純白の翼を見つめて、リュドラルさんは小さく息を吐いた。
「竜の中じゃ竜ではないし、人の中じゃ人ではない。結局、どこにいたって半端な俺は――誰にも必要とされていないんじゃないか、って思うんだ」
「そりゃあ。竜族に育てられて、モンスターと仲良くて、異種族との通訳ができる人間って点では異端だろうけど」
 投げやりな態度でたたずむ傷心の青年に、
「だから出来ること、もあるから――アウルさんは、あなたに、人と竜の架け橋になって欲しいと願ったんじゃないの?」
 これといって優しくするでもなく、あっさり切り返すティセナ様。
「いくら強くてもマキュラには従えないって竜や、ボルンガさんたちが味方にいて。たまたま居合わせた程度の協力者で良ければ、私たちもいるし。独りきりってワケじゃ、ないでしょう?」
 元から人間嫌いだった一部のドラゴンたちは、邪法と無関係に、騒ぎに便乗して暴れたりもしたけど。
 大多数は、敬愛する元長の養い子だったリュドラルさんを支持してくれた。
 中でもフェイと名乗った竜は、率先して仲間のモンスターを呼びに飛び回っている――2、3日と経たず、彼らは、谷の奪還に結集するだろう。
「べつに遺言どおりにする義務とか責任はないだろうけど……身体を張ってでも守りたかった相手が、そんなこと言ってるの聞いたら。悲しむと思うよ」
「…………そうだな」
 包帯を巻いた右腕で、ぐいっと顔をこすったリュドラルさんの目元はちょっぴり濡れていた。
「こんな弱気になってちゃいけないな、アウルの為にも」
「そう思うんなら、ごはん食べてきたら」
 あうっ?
 それはさっき拒否されちゃって無理っぽいです〜、と物陰でうろうろ焦る私。
「昨日から、飲まず食わずで過ごしてるでしょう。天使や竜族とは、生活サイクル違うんだから――こないだ負けた相手に、体力も気力も磨り減った状態じゃあ、なおさら勝てっこありませんよ」
 だけどティセナ様は続けて、さらっと青年を脅かした。
「まあ、堕天使の眷族なら私が一掃すれば済むことですし。どんな広範囲を巻き込む高位攻撃呪文ぶちかましたって、上層部からお咎め出ないし」
「だ、ダメだぞ!? そんなの絶対ッ」
「いや、せめて操られてるモンスターは殺さずに、解放してあげたいってクレア様が言うから。面倒だけど、谷ごと粉微塵にしたりはしませんけどね」
「天使様ぁー!?」
 どこまで本気か判断しにくい彼女の物言いに、ぎょっと眼を剥いて詰め寄った、
「……その呼び方、嫌い」
「え?」
「人間が人間様って言われてるよーなモノなんですけど」
「あ、そうか……変か」
 リュドラルさんは、ぽりぽり頬を掻いた。
「とにかくティセナ、やっつけるっていうのは最後の手段にしてくれよ! 術者のマキュラを倒せば、他の奴らの洗脳は解けるんだろう? 刺し違えてでも俺、あいつをなんとか止めてみせるからさ」
「刺し違え、っていうのもアウルドラゴン泣くだろうから却下です」
「う……」
「っていうか、ふらふらへろへろな人が同行してると足手纏いだから、突撃当日になっても憔悴したままだったら置いていきますよ? ムチャ出来ないように魔法で拘束して」
「…………例の、ボルンガたちを氷漬けにした?」
 フレンテの森で目にした魔法を思い出したんだろう。すっかりタジタジになってる青年に、
「氷じゃなくて、水晶なんだけど。ホントに動けなくなるだけで怪我もなにもしないって、確かめてみます?」
 ティセナ様は、ちょっぴり意地悪く笑ってみせた。
「……遠慮しとくよ」
 ぶんぶんと首を横に振った、リュドラルさんは 「メシ、食ってくる」 と登ってきた道を降り始めて。
「そう? いってらっしゃい」
「なあ。天使って、食事はしないのか?」
 崖から動こうとしないティセナ様へ、思いついたように誘いをかける。
「食べられるんなら、晩メシ付き合ってほしいんだけど。俺だけ食ってるっていうのも、味気ないしさ」
「甘いものあります?」
「え? えー、ボルンガの実ならあるけど」
「食べられるの?」
 ずっと崖に座りっぱなしだった少女が立ち上がると、ちょっとだけ嬉しそうに笑った。

 そうして二人並んでとことこ、みんなが待機してる岩場まで引き返していった。
「あのさ……俺の晩飯、まだある? ティセナが食べるぶんも」
 リュドラルさんは、少しバツが悪そうに訊ねて。
「はい!」
 湯気ほこほこなお鍋の前で、ボルンガと一緒に途方に暮れていたクレア様の、表情がぱあっと和らいだ。



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人間、かまわれたいときと、かまわれたくないときがあるわけで。心配を前面に出されるより、興味なさげに接されたほうが気楽なときもあったりしそうな。