◆ 竜王の称号(1)
どんなにデュミナスが大変な事態だって、他の地域でなにか起きたときの対処が遅れたら困る。
リュドラルさんが、ちょっとだけ元気になったあと。
クレア様は後ろ髪を引かれるようにしながら、インフォスの対角線上に位置する、グリフィン様のところへ待機に向かって……ローザは、フィアナ様との同行を中断して探索任務へ。
私は、万一の場合に備えるティセナ様と一緒に残った。
どんなにインフォスの窮状に理解があっても、勇者じゃない人間の戦いを直接には援護できない。
だからもしアウルドラゴンの遺志を継ぐヒトたちが、マキュラ一派に敗北したら―― “魔族狩り” の任務を遂行しなくちゃいけないんだと。
滞空して、攻防の行く末を見守っていたけれど。
「マキュラ……もう、おまえのいいようにはさせない!」
「ふん、アウルの後ろ盾がなければ何も出来ない男が――」
操られているモンスターの大群は、フェイさんを筆頭とする竜族が総出で食い止めて。
作戦どおりに小柄さ (怪物に比べればの) と身軽さ生かした、リュドラルさんが単身、敵陣を突破――破壊の限りを尽くしていた、マキュラドラゴンとの一騎討ちに縺れ込んだ。
「魔力で捩じ伏せなきゃ皆を従えられない、そんな奴がいきがってんなよ」
「言わせておけば……」
リュドラルさんの挑発に、猛り狂った魔竜が吠える。
「怒るのは、図星を突かれた証拠だぜ? そろそろ始めるか、マキュラドラゴン!」
さわやか好青年だと思っていたのに、飛び出す台詞はけっこうキツイ。それだけ怒ってるからなんだろうけど。
「おもしろい――来い、小僧!」
そうして戦いの火蓋は切って落とされた。
マキュラドラゴンは怪力で、しかも黒魔術を使うし――またリュドラルさんが、ぎったんぎったんにやられちゃうんじゃないかと思ったら心臓が縮みそうだったけど。
青年の太刀捌きは、勇者の剣士陣に負けず劣らず鮮やかで。
さすが岩場だらけの地形で暮らしてきただけあって、反射神経なんかの身体能力も抜群。
けっして楽にとはいえないけど、しっかり致命傷は避けながら少しずつマキュラにダメージを負わせていった。
「……強いですねぇ。こないだ負けちゃったのが嘘みたい」
もし勇者候補として見つけて、ずっと一緒に行動していたら。
マキュラの動向にもっと注意を払って、アウルドラゴンが殺されちゃう前になんとかしてあげられたんだろうか?
「お義父さんがやられて動揺してたんだろうね、きっと」
ティセナ様も、頷いてつぶやく。
それをいうならアウルドラゴンだって、ラルースの村人を守ることに気を取られてなかったら。
「優しいヒトって、なんだか――損かも」
竜の谷を吹く風に。
うっすら血の匂いが混じり始めた頃……ようやくリュドラルさんの一撃が、マキュラドラゴンを大地に倒して。
満身創痍な青年は、それでも油断なく相手を睨んだまま問いかけた。
「アウルがどれだけ痛かったか、少しは解ったかよ?」
だけど返されたのは、忌々しげな舌打ちで。
「イウヴァートと取引して得た魔力も、この程度か……クソッ!」
首をひねって 「イウヴァート?」 と呟いたリュドラルさんに、ぐったり大の字に転がった魔竜は、
「ハッ、どうせ死ぬ身だ。種明かしをしてやるよ――俺は、堕天使のイウヴァートって野郎から魔力を得た。奴の望みを叶えることと引き換えにな」
「望み?」
「人間どもをブチ殺せ、村を街を破壊しろと言われたよ。まあ、俺の望みでもあったがね」
まるで後悔も反省もしてない態度、がらがら声で喉を鳴らす。
「おまえは、そんな奴と……!」
「俺は、おまえら人間どもが憎い」
激怒した青年を突き放す、言葉はホントに憎悪の塊みたいな。
「弱く、小賢しく、矮小なおまえらが、ただ数だけを頼って我が物顔で地上をうろちょろするのがよ――」
「……マキュラ」
捨て台詞なんかじゃなしに “そう” なんだと悟ったらしい、リュドラルさんは、怒りに燃えていた表情を翳らせて。
「皆殺しにしてやろうと思ったんだが……まあ、もう視界に紛れ込んでくることも無くなるか」
そんな彼を、マキュラドラゴンが挑発する。
「さっさと止めを刺せよ。老いぼれの仇を取りに来たんだろうが」
「敵だから、気に入らないからって殺しちまったら、おまえのこと責められたモンじゃないだろう」
しかめっつらで首を横に振った青年は、
「いいから、みんなの洗脳を解けよ。術者になら出来るんだろう? それから、マキュラ――回復したらだけど、あちこち暴れまわった後の瓦礫ぜんぶ撤去してもらうからな。馬鹿力が役に立つだろ!」
壊れたものを元に戻すのがどんなに大変で面倒か、いっぺん味わってみろと語気を荒くした。
「言っとくけど、俺やフェイたちの監視付きでだからな。また悪さしようとしたら、容赦なくぶん殴るぞ」
「……いつまでそんな戯言を抜かしてられるか、見物だな」
だけど蛇みたいな眼は、呆れたようにそっぽを向いて。
「さっき言ったろうが、どうせ死ぬ身だと――魔力を飼い馴らすには、餌が要る。人間どもを殺し続けなければ、飢えた “力” は宿主を食い潰す。それが契約の条件だ」
「なんだって?」
眉をひそめたリュドラルさんに 「時間切れだ」 と告げた。
ゴールドドラゴンは尻尾の方からザラザラと、痣と似た色の砂になって崩れだした。
「お、おい……マキュラ!?」
ぎょっとしたリュドラルさんが手を伸ばすけれど、ドラゴンの腕は触れたところからまたバサッと砕け散って。
「甘ったれのイカレ野郎が、最高にムカつくぜ」
どんどん崩れていきながら。
「俺たち竜が、モンスターが――人間なんぞと隣り合わせにやっていける訳ねえだろう」
マキュラは最後に、掠れた声で嗤った。
「いつかおまえが正義ヅラして庇った奴に、後ろからザックリ刺されてくたばるまで……無駄な努力を見物しといてやるよ。地獄の淵からな」
×××××
ひどく長いようでいて短期決戦に終わった、竜族の内乱が収まった、その日。
術者の死により、洗脳状態から解放されたモンスターたちは――フェイさんたちに付き添われて、それぞれの棲み処へ帰っていった。
「……天使のティセナに、こんなこと言うのも失礼だろうけど」
デュミナスを一望できる高い崖の上に立って、風に吹かれながら、リュドラルさんは言った。
「俺あんまり、信心深くはなくって――いやもちろん、君たちや天界の存在は信じてるよ? ただ神官なんて呼ばれてたって、マジメに礼拝するのは祭りのときくらいで。ろくに聖書を読んだこともなかった」
バツが悪そうに、ウッドブラウンの髪をぽりぽり掻いて。
「けどひとつだけ、好きな話があるんだ。そのワリに、文章もあんまり詳しく覚えてないんだけど……ソドムとゴモラって、街の話」
ティセナ様は続きをうながすように、小首をかしげて。
「なんかの理由で怒った神様が、罪には罰をって――そこに住んでる奴らごと滅ぼしちまおうとするんだ。そうしたら――名前忘れたけど、人間の男が言うんだ。あの町にイイ奴が五十人いても、悪人と一緒に滅ぼしてしまうのか? それが正義なのかって」
確か旧約聖書、創世記18の行だ。
「神様は……善人が五十人いるなら、そいつらの為に街ぜんぶを赦すって答えて」
だけどそんな細かいことは、リュドラルさんにはどうでも良さそうだし。もしこの場で教えてあげても翌朝には忘れちゃってる気がする。
「人間の男は、もしかしたら五人足りないかも、四十人、三十人しか――怒らないで聞いてほしいんだけど、二十人いればマシな方かもって。どんどん例えの数を減らして、しつこく粘るんだ」
同じように感じたのかティセナ様も、静かに耳を傾けるだけだ。
「そうして最後に、神様は言うんだ。その十人のために私は滅ぼさない、ってさ……そんで何もしないで、帰っていった」
そのエピソードは、そこで終わってて。
「じゃあ、もしイイ奴が一人しかいなかったら、神様はどうするんだろうと思った」
リュドラルさんは、迷いの吹っ切れた眼をして笑った。
「聖書には書いてないから、どうなるのか分かんないけど。誰か一人でもいたら、未来のことを。良くなる可能性を信じてくれたらいいなって思う」
ミッション系学校に通っていた管理人の部屋には、今も聖書と賛美歌の本が残っています。世界各国で戦争の原因になってる宗教は好きじゃないけど、こーいう一節は好き。