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◆ 花結び


「だいじょぶ? シェリー」
 インフォスへ降りてく空の途中、ティセナ様から心配そうに訊かれてしまって。
「はい。まあ、なんとか――」
 あはは〜と頭を掻きながら、私は、やっぱりまだ自分がお酒臭いような気がして仕方なかった。

 …… “堕天使ラスエル” と再会した、あの日から。
 ナーサディア様は、くたくたになるまで踊ったり、眠くなるまでカードゲームで勝負したり、朝から晩まで魔物をぶちのめし続けたり――とにかく何かして時間を潰さなきゃ耐えられないって感じの毎日を送っていて。
 どんなに彼女が心配でも、あちこちの事件を抱えてる天使様たちは、ずっと一緒にいるわけにはいかなくて。だから私が同行してたけど。
 やっぱり、一介の妖精に務まるようなことじゃなくって。
『呑めないってなんでよぉ!? 私のことが嫌いなのね、そーなのね! ひどいわっ』
 こないだ、ナーサディア様が酔っ払って暴れ始めた晩方に。
 お酒に付き合えば満足してくれるかなと思って、勧められたヤツをグイッとやったら……シェリーちゃん目が回ってバタンキュウ。
『きゃはは、あっははは! 伸びちゃった〜? あ、そーだ。ねえ、これってホンモノ?』
 なんかケタケタ笑ってる勇者様の声と、しっぽが引っぱられる感覚を最後に、目の前が真っ暗になって。
 次に気がついたのは。

『ええっ、シェリー!?』

 ばたばた駆け寄ってくるクレア様の、気配に足音と。
 堅い板張りから、ふわっと手のひらに抱き上げられる感触。
『どうしたの、なんでこんなところに倒れてるの! 見当たらないと思ったら――』
『はうえぇ、吐きそうです〜』
『ナーサディア! シェリーは、外の木陰で休んでるんじゃなかったんですか?』
『そーよう。だって、その子いつもそうしてるもの』
『 “いつも” の話じゃなくて、昨晩! 私がここへ来る前はどうだったんですか?』
『ええーっとぉ……あれ?』
『ええっとじゃなくて、お酒飲ませたでしょう!?』
 ふらふらとぼけてるナーサディア様と、そんな彼女を叱りつける天使様のやりとりに、重たい瞼を開けてみれば。
 窓の外はうっすら明るくて、小鳥がちゅんちゅん鳴いていた。
 頭に響くから静かにしてぇーと叫ぶヒトの気持ちが、ちょっと分かってしまった朝だった。

 それからクレア様が、ローザを呼んでくれて。
 インフォスの情勢も今は落ち着いてるから、息抜きに里帰りしてきたら? と提案されて。
『なんでもかんでも、勇者様の要望を聞き入れればいいってモノじゃないのよ!』
 手厳しいお説教を浴びつつも、妖精界まで付き添ってもらったら。

 なーんとびっくり、行方不明だった守護獣が帰って来てて、あっちもこっちもお祭り騒ぎ。
 シルフェを探して事情を聞いたら――バーンズは堕天使に操られてたみたいで、洗脳はティアさんの “力” で無事に解けて。
 そこへ襲ってきたイウヴァートを、グリフィン様を援護しながら戦ってやっつけたって言うんだから、もう仰天!
 私たちが絶句してるとこに、二人を送って来たんだっていうティセナ様が通りがかって、堕天使を倒したって本当なんですかって訊いたら。
『うん。けっこーフィンたちの楽勝だったよ』
 あっさり肯定した、彼女は小首をかしげて、
『ところで……なにがあったの、シェリー。飛ぶのにスピード出しすぎて、酒樽にでも落っこちた?』
 一夜明けても取れなかった、シェリーちゃんのお酒臭さをさっくり指摘したのだった。

 仕事熱心なローザは、残る堕天使の痕跡を探りますといってインフォスへとんぼ返り。
 二日酔いじゃ足手纏いになっちゃうだけだから、私は、一心不乱に水浴びをして――あとは、だるさが無くなるまでゴロゴロと過ごして。
 ティセナ様は、イウヴァートが消滅したことをクレア様へ報告しに行ったり、フォータ離宮のティタニア様に会いに向かったり、ずっと忙しそうにしてた。
 そうして、あくる日。

『今からティアさんのとこに寄って、通常任務に戻るけど……シェリーも一緒に来る? まだ寝とく?』
『もう起きまーす』

 シルフェとバーンズが無事に故郷へ着いたことを伝えるんだっていう、天使様にくっついて、目指したオムロンの上空で。
 面識ある女の子の気配を辿っていくと――そこは森の中、一面のお花畑だった。



「わー、すっごおい……」



 パンジー、チューリップ、アネモネ、マーガレット、菫やタンポポ――いろんな花が咲き乱れている、若草色の絨毯に。スカートの裾をふんわり広げた少女が座っていて、
「! ティセナ様?」
 声をかけられるより早く、ぱっと嬉しそうに顔を上げた。
(……この子も感覚、鋭いなぁ)
 ずーっとシルフェと一緒にいたんだから、そりゃアストラル体の認識力も育って当然だろうけど。
「こんにちは。いま、話せる?」
「もちろんです、お久しぶりです!」
 立ち上がって出迎えた彼女に、ティセナ様は短く用件を告げる。
「シルフェたち、無事に妖精界に着いたから」
「そうですか――」
 ティアさんは、ちょっと寂しげに空を仰いだ。
「やっぱり、妖精界って遠いんですね。天使様の翼で飛んでも、一ヶ月以上かかるんだ……」
「うーん、こっちと向こうで時流が違うだけなんだけどね」
 相手がきょとんと首をかしげるのに、説明は面倒だと思ったらしくてティセナ様は話題を変えた。
「今日は、花摘み?」
「はい。おじい様の風邪は、もう治ったんですけど――おばあ様がまだ寝込んでるから。気分転換になるように、お部屋に飾ろうと思って」
 にこっと笑ったティアさんは、春色の花束を掲げてみせた。
「あと、いくつかブーケや鉢植えにして売りに出そうかなぁって……最近、あんまりお天気が良くないせいかな? キレイに花が咲く場所も限られてるから、市場で需要が多いんですよ」
 農家の娘さんらしい、生活感あふれる発言をしたあとになって急に萎縮する。
「――す、すみません! 天使様に、こんな商売の話して」
「いいよ、気にしなくて」
 ティセナ様は苦笑して、彼女の手元へ視線を向けた。
「そのリースも、売り物に?」
「あ、いいえ。これは……両親のお墓に、供えようと思って」
「ご両親? あなたには親の記憶が無いんだって、シルフェから聞いたけど」
「ええ。父や母がどんな人だったか、まったく分からなくて」
 ティアさんは、こくっと頷いて。
「昔から、眠ると怖い夢を見ることがあって。心のどこかで “これは夢だ” って分かってるから――とにかく早く起きちゃおうとして、もがいて――目が覚めたあとも、深く考えないようにしてたんです。でも」
 シルフェと約束したから。
「悪魔が襲ってくるなら、今度は逃げずに木槌を投げつけてみようと思って……そうしたら」
「夢じゃなくて、昔の記憶だった?」
「はい。まだ断片的にしか思い出せないけど、私――おじい様とおばあ様の、ホントの孫じゃなかった。ぜんぜん違う、四人家族で暮らしてました」
 うなだれた首筋を、長い栗毛がするっと滑り落ちて。
「だけど、夜中に……逃げなきゃ危ないって起こされて。一生懸命走ったけど、途中で……大怪我した父と母が倒れてしまって、兄とも逸れて」
 薄桃色の瞳が辛そうに翳るけれど。
「火事だったのか、なんなのか、家があった場所さえあやふやですけど――兄と一緒に作った、両親の、お墓の場所だけは記憶どおりだったから」
 深呼吸したティアさんは、怖さや不安を紛らわすような明るい口調で言った。
「今まで忘れてしまっていたぶん、これから毎日欠かさず、お参りに行こうと思って」
「……まあ、もちろんお参りは良いことだけど」
 ティセナ様は淡々と、相槌を打つ。
「思い出したよ、元気に生きてるよって報告すれば充分じゃないのかな。お墓、オムロンの隣近所ってわけじゃないんでしょ?」
「確かに、ちょっと遠いけど。日帰り出来ないほどの距離じゃないですし――」
「んー、だけど。生活の負担になるようだったら、逆に、ご両親も心配すると思うよ」
「…………」
 それもそうですねと、純朴そうな娘さんは真面目に考え込んでしまった。
「ところでね。ティタニア様――妖精界の女王様が。あなたには、シルフェやバーンズのことで随分お世話になったから、なにかひとつ願い事を叶えてあげたいって」
「え?」
 シェリーちゃん、そんなの聞いてない……って、ダウンしてたから当たり前かぁ。
「全知全能の神様って訳じゃないから、まあ出来ることと無理なことがあるけど。ダメで元々って感じの――なにか、ない?」
「願い事ですか?」
 ティアさんは、ますます真剣な表情で悩みだした。
 そうして、ひとしきり 「またシルフェと一緒に暮らしたい、っていうのはダメなんだろうなぁ」 とかなんとか唸ってから、つぶやく。
「私……」
「うん」
「兄さんに会いたい」
 ティアさんは、スカートの裾をぎゅっと握りしめた。
「両親は、もう死んでしまっているけど。兄さんは、私の記憶が途切れたあと、どうなったか分からないけど――十年以上前に作ったお墓の、目印にした十字架が残ってるんだから。もしかしたら生きていて、命日にはお参りに来てたのかもしれないって、思って」
 ティセナ様は、そんな彼女をじっと見つめてる。
「私は、命日がいつなのかも思い出せない、親不孝な娘ですけど……兄さんの名前も顔も忘れてしまって、分からないような妹だけど」
 再会が叶っても他人行儀で、ぎこちない時間が過ぎるだけかもしれないけれど。
「でも、兄さんに会いたいです」
「――そっか、分かった」
 微苦笑を浮かべた、ティセナ様が 「伝えとく」 と応えて。
「ありがとうございます……あっ、そうだ!」
 希望を言葉にしてすっきりした様子の、ティアさんは、ぽむっと両手を打った。
「ティセナ様、お花、好きですか?」
「え? うん、まあ」
「良かった! いろいろ助けてもらったのに、ずっとお礼が出来ないままだったから」
 お守りまでいただいてしまいましたしと、胸元から取り出されたペンダントトップは、アイスグリーンの結晶石だった。
「私、お花を育てるのは得意なんです。自宅にも、花カゴや寄せ植えがいくつかあって――もし良かったら、差し上げたいんですけれど。家に寄っていただく時間あります?」
「んー、ごめん。せっかくだけど、一応、インフォスには任務で来てるから……」
 ティセナ様は、ちょっと困った顔になった。
「小さいのはともかく、荷物になるとちょっとね。それに、あんまり自分の部屋に戻ることないから、水やりに手が回らなくて枯らしちゃうだろうし」
「そうですか――」
 しゅんとなったティアさんは、なにか思いついたようにしゃがみ込んで、
「あ、それじゃ!」
 花畑の中でガサガサと手を動かして、またすぐこっちに振り向いた。
「小っちゃすぎ、かもですけど……」
 おずおずと差し出された、それはシロツメグサで作った指輪だった。
 一瞬ぽかんとしてたティセナ様だけど、ふわぁっと目を細めて 「懐かしい、それ」 と笑う。
「子供の頃に、よく作って遊んだなぁ」
「受け取っていただけますか?」
「うん」
 さっきみたいに渋ることなく伸ばされた手のひらに、指輪が渡されると思いきや。
 ティアさんは、なーんにも考えてないんだろう自然な仕草で、ひょいっと天使様の人差し指にシロツメグサを飾ってしまって。
「! す、すみません、失礼でした? 失礼でしたか!?」
 面食らって固まってるティセナ様に、一拍遅れて真っ青になると、あたふたおろおろ問いかける。
「いや、ごめん。ちょっとびっくりしただけ――」
 大きな瞳をぱちくりさせた、天使様は、シロツメグサと彼女を代わりばんこに眺めて。照れ臭そうに頬笑んだ。
「ありがとう」
「はい!」
 ティアさんも、ほっとした様子で笑い返す。
「あー、いいなぁティセナ様ってば」
 いつの間にやら仲良さげな二人の話に混ざりたくて、私が唇を尖らせると。
「シェリーさんも、もし良かったら」
「えっ?」
 ティアさんは、天使様へ贈ったのと同じくらいのシロツメグサを花冠にして、私の頭に乗っけてくれた。

「わーいっ♪ おそろいですよ、ティセナ様!」 
 花そのものは見慣れた品種なんだけど。我ながら現金だなぁと思いつつ、はしゃいでしまう。
「そうだね」
 頷くティセナ様は、いつになく穏やかな雰囲気だった。



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ティアと花畑。女の子は仲良しだと良いです。ほのぼの。
シロツメグサの花言葉は 『約束』 と、もうひとつ 『私を思い出して』 があるそうです。