◆ 記憶の森(1)
「たーだいまっ」
「おう」
そろそろニーセンへ帰りつこうという街道の途中、空からティセが降りてきた。
「無事に、妖精界ってとこに着いたのか? シルフェたちは」
「うん、ティアさんにも報告してきたよ。ちょっと寂しそうにしてたけど――もう、だいじょうぶみたいね」
「そうか」
まあ、じーさんばーさんと暮らしてるんだ。姉貴代わりの妖精が故郷に戻っちまったからって、心配するほどのことじゃないか……って。
「おまえ、どうしたんだ? それ」
天使の指を飾っている純白が目につき、よくよく見ればそれはシロツメグサだった。
「あの子がくれたの」
はにかんだティセは、もう片方の手で、ちょんと花弁をつつきながら呟く。
「記憶、消すのは簡単なんだけど――思い出させる術って無いんだよね。どうしたもんかな」
「あいつが親を知らないって話か? おまえが気にしてもしょうがないだろ、なるようにしかなんねーよ」
「そりゃそうね」
苦笑する天使に 「んで? 次は、なにをすりゃいいんだ」 と訊ねれば、
「今のとこ、依頼すること無いから待機」
「またかよ……」
まだるっこさに辟易するオレのぼやきを、 「いつものことでしょ」 とあっさり受け流し。
「退屈なら、暇なうちにお墓参りでもしてくれば?」
「ああ?」
「前に私と一緒に行ったっきりなんじゃない? たまには掃除しないと、墓碑も草木に埋もれちゃうよ」
「いーよ、べつに。何年放ったらかしても残ってたんだし――」
「うわぁ、親不孝」
「…………おまえもついて来んのか?」
「魔族狩りは常時多忙なの」
誘いを断った、ティセは軽く肩をすくめた。
「イウヴァートがやられたのは堕天使側も気づいたろうし。いったん事件が起きたら、冗談抜きに、不眠不休で働いてもらわなきゃなんだから――お墓参りじゃなくても、やりたいことあったら今のうちに済ませといてくれると助かるな」
「わーったよ、キンバルト領内で待機しときゃいいんだろ」
しかしイダヴェルの城が焼け落ちたっきり、噂も聞こえなくなったビュシークの野郎はどこに潜んでやがるんだか。
「……ったく、魔族どもが。こそこそ隠れてねーで、ケンカ売る気なら正面から来いってんだ」
「それは敵さんに言ってね」
じゃあねと片手をひらつかせ、ティセはまた何処かへ飛び去っていった。
×××××
「二回とも、この森だったんですよね? “堕天使ラスエル” に遭遇したのは」
「ええ。一度目は、声しか聞こえなかったけど」
「やっぱり今は、それらしい気配はないですね――磁場狂いは多少強めに感じますが」
ボルサ一帯を調べて回りながら、クレアは、傍らの勇者を振り仰ぐ。
「なにか他に、気づいたことないですか?」
「気づいたことって?」
「うーん……相手が現れるときの条件、みたいな」
「そう言われても、たった二回じゃ」
ナーサディアは眉根を寄せ、ひとしきり考え込んだあと答えた。
「強いて挙げれば――そうね。彼が接触してきたのは、シェリーと一緒にいるときだったわ」
勇者が六人、天使と妖精は二人づつ。
ローザが事件探索を得意としているため、普段の同行担当はシェリーになりがちだが。
「 “魔族狩り” の任に就いているティセナを、避けようとするぶんは理解できるけど……本当に “妹” も説得して連れて行くつもりなら、あなたが私に同行しているときにこそ、会いに来そうなものよね?」
「そうですね」
「もしも偽者だったら。あなたの浄化魔法で “化けの皮” を剥がせるなら――外見だけでは判断できない私や、ラスエルを直接には知らない妖精にしか、顔を見せようとしないのかもしれない」
やはり兄の姿形を模した魔族に過ぎず、そういうときを狙って現れていると考えた方がしっくりする。
「あと、たまたまかもしれないけど……二回とも寒い時期だったわね。秋から冬にかけての」
「それ! 法則性かもしれません」
クレアはあらためて、春の花咲く森を見渡した。
「今は、命が芽吹きだす季節だから。闇に属するものには息苦しい時期なんです」
「それは逆も言えるってことね?」
「はい。まだ、堕天使が無条件に出入りできるほど、インフォスと魔界の境目は乱れていないとしたら――」
「秋までは、ボルサを探し回っても骨折り損になる可能性が高い……かぁ」
ナーサディアは溜息をついて、肩を落とす。
「そうでなくとも遠からず、また向こうから接触してくるでしょうから」
1ヵ月近くかけて隅々まで巡っても、収穫無しに終わっているのだ。同じ場所をぐるぐる歩いているだけでは気も滅入る。
「気分転換に、ジャックに会いにガルフへ行きません?」
クレアは、ここぞとばかりに提案してみた。しかし神獣の近況を報せてから、もう何度目になるだろう。
「勝手に誘い出したら、今の飼い主さんに悪いわ」
苦笑いしたナーサディアの返事は、やはり芳しくなく。
「それに、あまりカノーアから離れていたくない。クヴァールまで足を伸ばす気にはなれないもの」
「だったら、デュミナスで待ち合わせっていうのはどうでしょう?」
「……デュミナス?」
「ええ。谷の神官さんたちが、ジャック救出に協力してくださった縁で――ヤルル君の希望もあって、デュミナスへ遊びに行こうかって話をしていたんです。具体的な日取りは、なにも決まっていませんでしたけど」
クレアは、思いつきを口にした勢いに乗せて窺う。
「后妃ミライヤが失踪したことで、乱れた国政の建て直しもだいぶ落ち着いてきているみたいですし……カノーアの国境近くまで、ジャックが出て来られそうだったら?」
「そうね。それなら――」
ようやく頷いたナーサディアは、こちらの背をぽんと叩いた。
「だけどその前に、あなたも、あなたの用事を優先させること」
「え?」
「ずーっとファンガムのお姫様に付き添ってて、今度はまた私と一緒にいたでしょう? 逆に放ったらかしにされてる勇者も、いるんじゃないの?」
行方不明だったレイヴにはシャリオバルト城で再会できたし、シーヴァスとも話をしたばかりだ、けれど。
「グリフィンと、フィアナの顔……しばらく見てないかもです」
「だったら。先に、その子たちに会って来なさいな」
そういえばフィアナと最後にゆっくり過ごしたのはいつだろう――考え込むクレアに、勇者はしみじみと言う。
「かまってくれるのは嬉しいけど、そのぶん蔑ろにされる側は寂しいものよ?」
「二人とも、そんなに子供じゃないですよ? もう二十歳過ぎてる大人ですし」
「あら、拗ねる気持ちに歳はカンケーないわ。むしろ大人の方が、表面に出さないでいじけるから厄介なの」
「……?」
あのグリフィンが、フィアナもだけれど、天使が面会に来ないといっていじけるだろうか?
機嫌は、ちょっとくらい悪くするかもしれないけれど。
「天使様は大変ね」
首をひねるクレアを見やり、ナーサディアは、茶化すような眼で笑みをこぼした。
カーライル兄弟の再会間近。翼ある者たちは10月ですね、時の淀んだインフォスに、季節が意味あるのかいまいち分かりませんが……。