◆ すべてが灰燼に帰す日(1)
そこは、瓦礫の山と化していた。
居住スペースに隣接していたサンルーム、四季折々に色を変える花壇、物置小屋まで焼け落ちて――なにも残っていない。誰もいない。
ちろちろと炎燻る、礼拝堂の壁に。
黒焦げになった “両親の絵” が、外れかかったまま煤混じりの風にさらされていた。
(シスターエレンや、子供たちは……?)
無事に郊外へ避難できたのか、それとも――
半ば放心して立ち尽くすシーヴァスの頬を、すっと水滴が掠め。
ぼんやりと空を仰げば、暗い雲間からポツポツと、みるみるうちに激しさを増した雨が降りだす。
瞳に鮮やかな金髪はおろか、翼も焼け爛れてしまった姿に、天使として描かれた面影は無く。
そんな母に比べ、腕に抱かれた赤ん坊は、色褪せこそすれど無傷で――ふと、乾いた笑みが漏れた。
(……この絵まで、同じ運命を辿ったわけか)
ずぶ濡れになって泣いているようにも見える、在るはずだった幸福の残骸を。強い雨に打たれながら、どれくらい、そうして突っ立って眺めていたのか。
「それほど大事だったか? ――こんな、ちっぽけな教会が」
「!?」
不意に、背後から嘲笑が響き。ギョッと飛び退きつつ振り返れば、
「使い魔の観察眼とは、たいしたものだな……どちらにせよ、ガープ様に盾突く者どもの、活動拠点のひとつは潰せたわけだが」
筋骨隆々とした体躯に逆立った白髪、拘束具と見紛わんばかりに重量級の腕輪をつけ、じゃらりと鳴る鎖を携えた巨人が、薄笑いを浮かべていた。
「アドラメレク……!?」
とうの昔に自爆して果てたはずの、堕天使の遣いが何故という驚愕より、なにより先に――大火に襲われた街と、両親の仇を前にして、確信が口を突いて出る。
「おまえか、タンブールを……この教会を破壊したのは」
「そうだ。我が魂を拾い上げた、亡き主の命により。勇者シーヴァス――今度こそ、おまえを殺す」
「死ぬのはおまえだ、アドラメレク!!」
はらわたが煮えくり返るとは、こういった精神状態を指すんだろう。
「……おまえは私を、本気で怒らせた」
「そうか」
平然と応じる相手に、ますます怒りを覚え、クリスタルソードを抜き放つが。
「因縁の決着をつけるときが、来たようだな」
アドラメレクは身構えもせず唐突に、世間話でもするような調子で、意味が分からないことを言いだした。
「なぜ、こうなったかと――考えたことはあるか、シーヴァス?」
怒気を煽って隙を突こうという魂胆か、時間稼ぎのつもりかは知らないが、
「おまえごときと語る言葉は無い、行くぞ!」
シーヴァスは敵の弁舌を遮り、先制攻撃を仕掛ける。
ヨーストを焼き払い、愛する両親を殺して。今またタンブールを火の海に変えたモンスターが、生きて存在しているという現実が、もはや一秒たりとも我慢ならなかった。
「死んだと見せかけ、逃げ延びていたわけか……手の込んだ真似を!」
「死ぬつもりには違いなかったがな」
壊滅した街の中では、いまさら周辺への被害など気に病む必要も無く。
「手錬の剣士となっていたおまえに、敵わぬと悟り。この身を起爆剤に変えるも、相打ちは天使によって阻まれた」
火炎放射に嬲られた全身に、皮膚や鎧の焼けた匂いがつきまとうが、剣圧に薙ぎ払われた火勢は弱り――土砂降りの雨に打ち消されていった。
「耐性を越える熱量に、死に瀕し、しばらく眠る必要があったが……それでも我は、再び目覚めた」
「さっき、亡き主と言ったな?」
辛うじて残っていた理性の部分で、考える。やはりイウヴァートは死んだのか。
「貴様に “力” を与えていた堕天使は滅びたんだろう。なぜ、奴らの言いなりになって街を襲う!?」
「笑止!」
シーヴァスの剣撃を、鋼鉄の鎖を振り回して弾き、
「炎を宿す、この身――レライエやマキュラのように、契約を結び授かったモノではないわ」
アドラメレクは、しわがれた声で嗤う。
「持って生れた我が異能を、同胞たちは忌み嫌った。巨人の皮を被った “悪魔の落とし子” とな……」
その両眼は、ぎらぎらと紅蓮に燃えていた。
「しかし、イウヴァート様は必要としてくださったのだ。天使どもの結界に阻まれ、自ら攻め入れぬインフォスを――内から解放するよう、我に命じた」
「……同族から迫害された腹いせに、魔族の企みに加担したわけか」
動機としては筋が通るようにも思う。しかし到底、同情や共感できる話ではなかった。
「それで堕天使の仲間にでもなったつもりか? 連中は、貴様の復讐心を、体よく利用しているだけだろう!」
「知っているさ、そんなことは」
「なんだと……?」
「我は “駒” だよ。どれほど役立ったとしても、道具に過ぎん」
まるで動じるでもなく認めた、巨人の眼つきは常軌を逸していた。
「だが、生れた日から要らぬと虐げられるばかりだった、この身に――炎王アドラメレクという名を。生きる理由を与えてくださった」
遠距離攻撃を繰り返しても、シーヴァスに致命傷は与えられないと判断したか。
「イウヴァート様は確かに、忌々しい勇者の手に掛かり、志半ばにして倒れたが……あの方が “神” と崇めた堕天使の王は、今も復活の時を待っているのだ!!」
地を這うごとき声で吠え、炎を撒き散らしながら突進してくる。
「偉大なる支配者を迎えたインフォスは――悪魔にこそ相応しい世界へと、変わる!」
「戯言を……!!」
どのみち火の手に囲まれ消耗戦に陥ってしまえば、こちらが不利。
ならば。
シーヴァスは敢えて避けず、紅蓮の波を突っ切って加速――アドラメレクに狙い定め、長剣を一閃させた。
腕に堪える、鈍い衝撃と。
視界を焼く熱風に、疼く火傷。
身の丈3メートルはあろう巨体が、どおぉんと大地を揺らしながら、仰向けに倒れ。
シーヴァス自身も、満身創痍といった有り様だったが。
傷口ごと焼き潰されている為か、さほど出血は無く痛みも続かず。ただ――濡れて纏わりつく衣服が擦れ、不快だった。
一帯で燃え盛っていた炎は、降りしきる雨を浴び、ゆっくりと弱まって消えていく……。
焼けた煉瓦が冷めていくように、立ち上る殺気が失せても、まだアドラメレクは死んでいないようだった。
虫の息となりつつある “仇” を、剣の切っ先を赤黒く染めている、炎ではない赤を――なぜか空虚な気分で見下ろす。
(ああ、そうだ……元に戻りはしない)
こいつを殺せたとて、なにひとつ十五年前には。
すべてがどうでも良いような気分で、それでも前と同じ轍は踏まぬよう距離を置き、敵が息絶える瞬間を待っていた。
「これで、恨みは晴れたか? シーヴァス――」
ぜいぜいと喘ぎながら、嘲るようにアドラメレクは問うた。
「……なにが言いたい」
恨み、だと?
晴れるものか。何百回と斬り殺しても、憎み足りるものか――それでも過去には手が届かない。
殺された両親は、還らない。
「どうあれ貴様は今から死ぬ、それだけだ」
「フン……分からぬか?」
いっそ憐れむような声音を、訝しむと同時に不快に思うが。
「おまえも、我と同じ駒に過ぎんということだ。こちらが堕天使、おまえが天使のな――」
アドラメレクが続けた台詞に、シーヴァスの思考は停止した。
「仇や平和の為などと思って戦っているようだが、その実、おまえは利用されているに過ぎん」
……駒?
私が? こいつの同類?
「天使と堕天使が争わなければ、おまえの両親が死ぬことも無かったはずだ……」
ぎぎ、と重たげに首をもたげ。
「なあ? そこの天使よ」
返す言葉を失っているシーヴァスの肩越しに、瀕死の炎王は、宙を見上げた。
「!」
びくっと空気が震える感覚に、振り向けば。
「クレア……!?」
いったい、いつからそこに居たのか。
インフォスの守護天使が、表情を真っ青に凍りつかせ、教会の跡地上空に浮かんでいた。
水属性ゆえか、雨粒を弾くように淡く輝いている彼女の姿は、まるで濡れそぼった様子もなく幻影めいて。
「気づけ、シーヴァス。おまえが何に利用されているか、を――」
それっきり。
アドラメレクは事切れ、辺りに沈黙が落ちた。
シーヴァスは、信じ難い思いで天使を見つめる。
(……なぜ、否定しない?)
違うと。
魔族と一緒にするな、と。
堕天使の手先が吐き捨てた戯言を、一笑に付さず?
「あ、あの――」
ようやくクレアが、口を開くが。
サファイアブルーの瞳はおどおどと、シーヴァスから視線を逸らせ、何事か言い淀む。
その態度は、相手こそ異なれど、飽きるほどに見慣れたものだった。
祖父に引き取られた、あの日から。
本家の使用人たち、あるいは知り合った貴族に――なにか子供じみたことを訊ねれば、決まって気まずげに眼を逸らす。
……詭弁でごまかそうとしつつ、認めるものだった。
“あのヒトが言ったことは、本当なんだよ” と、嫌というほどに告げている眼だった。
アドラメレクって、悪魔の名前らしいです。インフォスに巨人族はいるようだけど、そんな名前つけられるってどういう……? とか考えたら、こんな話になりました。