NEXT  TOP

◆ すべてが灰燼に帰す日(2)


「……アドラメレクは死んだ。これ以上、街が焼かれることはないだろう」

 物言わぬ骸となった巨人を見下ろしながら、シーヴァスは、まるっきり抑揚無く呟いた。
「後は、医師協会の人間にでも託したらどうだ?」
「あ、はい! フィアナが、ギルドの方々にも救助活動を手伝ってもらうと言っていましたし」
 その声で、ようやく硬直状態から我に返り。
「それから。シスターたちは、ジェシカさんも一緒に市街の公園にいます。皆さん、疲れ切った様子でしたけれど――幸い、火傷を負ったりはしていませんでした」
 ここへ来るまでに見聞きした状況を、掻い摘んで伝えるが、
「そうか……」
 彼は小さく頷いたきり、なにも言わない。
 傍へ降りていくタイミングも完全に逃してしまった、クレアは、沈黙に耐え切れずうつむいた。

 魔力の大部分を放出、消耗してしまった水属性の身では――戦闘の気配を掴んでも、炎渦巻く一帯には近づけず。
 援護無しでも、勇者はどうにか勝利を収めたけれど。
 宿す “力” の異質さ故に、迫害され続けたという巨人は、

『仇や平和の為などと思って戦っているようだが、その実、おまえは利用されているに過ぎん』
 アドラメレクは死に逝きながら、嗤っていた。
『天使と堕天使が争わなければ、おまえの両親が死ぬことも無かったはずだ……』
 天の欺瞞を、嘲笑っていた。
 インフォス守護天使を名乗る自分が、気にかけもしなかった。孤独を彷徨っていた生命に――手を差し伸べたのは堕天使。
 それが現実。

 アドラメレクの言葉に呆然と、自分を仰ぎ見た、勇者の表情を思い出す。
 責める眼だった。
 猜疑と哀切が混在する、今にも泣き出しそうな色だった。

 ……怒っているんだろう。
 仕方が無い、と思う。
『そもそも我らの力を恐れた天使どもが、地上界を盾に据えるような真似をしなければ、貴様の両親が死ぬ必要も無かっただろうになぁ? 人間の娘よ』
 以前、アポルオンにも指摘されたこと。

『声かけてきたのが誰でも、なるって決めて続けてるのは、あ・た・し!』
 フィアナは、ああ言ってくれたけど。彼女やシーヴァスを、勇者に選びさえしなければ――タンブールが焼き払われる理由も、きっと無かった。
『巻き込んだなんてふうに考えて、守護天使の任務がなおざりになったら、それこそ堕天使の思うツボじゃないか』
 誰かに赦してもらえても、誰もがそんなふうに割り切ってくれるわけじゃない。
 ……ただ、フィアナには、堕天使を憎む理由の方が強かっただけ。


「あ、いたいた。クレア様ーっ!!」


 思考の渦に囚われていたクレアの耳に、今は場違いなほど明るく響く、妖精の呼び声が飛び込んできた。
「火事、完全に収まりましたよ――うわっ!?」
 雨雲の下を縫うように旋回してきたシェリーは、アドラメレクの死骸に気づいて、
「この怪物、シーヴァス様がやっつけたんですか? こいつが火事の原因だったんですか?」
「……ああ」
「なんかサラマンダーみたいな魔物ですね……って、それどころじゃないや!」
 おそるおそる遠巻きに窺いながら、報告を始めた。
「火傷した人がたくさん、あちこちで痛がってるんです。リトリーヴ医師やディアンさんが総出で治療にあたってるけど――ベッドも薬も全然足りてません! クレア様、手伝いに行ってあげてください」
「あ……」
 火傷という単語に、遅まきながら、勇者の外傷に思い至るも。
「ちょっと、待って――シーヴァスの怪我」
「私なら掠り傷だ。それに……以前もらっていた回復薬も、まだある」
 青年は顔を背けたまま、頑なな調子でうながす。
「医者は何人いても足りんだろう。早く向こうに行ってやれ――軽い火傷でも、処置が遅れれば死に至るぞ」
「へっ? シーヴァス様は、行かないんですか?」
「悪いが――私は、ここにいる」
 きょとんと訊ねるシェリーに答えた、彼は、焼け跡に眼を向けた。
「……少し、疲れた」

 視線の先には、いつだったか――両親の形見だと、好きだと話してくれた絵の、残骸が。
 礼拝堂ごと黒焦げに変わり果てた姿を、風雨にさらしていた。

「そっか、こんな大型モンスターと戦ったんですもんね。疲れちゃってますよね」
 戸惑いつつも納得したように、頷いた妖精は、
「それじゃあ、一息ついたら医師協会まで来てくださいねー」
 シーヴァスの背中に声をかけつつ、ぐいぐいと急かすように、クレアのローブの袖を引っぱった。
「クレア様、早く早くっ」
「え、ええ……」
 どんな大義名分も言い訳にしかならない。
 天使が求める資質を持ったが為に、堕天使から狙われることとなった、彼らが――失ったものは、取り戻せない。

「ごめんなさい、シーヴァス。あなたたちを巻き込んでしまって……」

 絞りだすように口にした、謝罪に応えは無かった。
 こんなふうに黙り込まれてしまうくらいなら――いっそ、荒いだ声で非難された方が良かったと、朦朧とした頭で思った。


×××××


 魔法が解けても、影響はすぐに消えないものらしくて。
 まだ雨は、しとしと降り続いていた。

「だっ、だいじょうぶですか……? クレア様こそ、休んでなきゃだったんじゃ?」
 広範囲に及ぶ術を使ってた反動なんだろう。
 よくよく見たら天使様、顔色は真っ青だし、飛び方もふらついてて――とてもじゃないけど、患者さんを診察できる状態には思えなかった。おまけに、
「いったんベテル宮に戻りましょう! 火は消せたんだし、あとはフィアナ様たちに任せたって」
「嫌よ! こんな惨状の街を、放ったらかして行くなんて……!」
 私がいくら休憩を勧めても、首を縦に振ってくれない。
(もう、ティセナ様を呼んじゃえっ!)
 追いかけて飛びながら、アイスグリーンの結晶石をこっそり取り出して、数秒と経たずに。
 前方の空気が、キュイイイィッ――と収縮した。
(? 速っ!)
 それはティセナ様が転移魔法を使うときにも起きる、見慣れた現象だったから、てっきり彼女が来てくれたんだと思ったら。

「クレア・ユールティーズ」
「ずいぶんと派手に、戒律違反を犯したものだな」

 立ち塞がるように現れた二人組は、まったく知らない、いかつい鎧姿の男天使で。
「……違反?」
「えーっと、どちら様ですか? なんの話です? クレア様、お疲れだし急いでるんですけど」
 唇を尖らせた私を、じろっと眺めて。代わる代わるに呆れ顔で言う。
「分からぬか」
「先刻、観測された豪雨――インフォスの定めを、魔力を以って捻じ曲げたろう」
「忘れたか」
「我らが地上に直接 “力” を行使することは、戒律によって禁じられている」
「……へ? だってモンスターが街を火の海にしちゃったから、死傷者が増えるのを防ぐために水が要っただけで……それに」
 ボルンガ族の洗脳騒ぎが起きたとき、ティセナ様が言っていた。
「魔族の手先になったモンスターは、同じ闇の眷属って扱いになるはずですよね?」
「奴らが “力” を与えた走狗であるならば、確かに、我らが直々に裁く対象であるが――眼下の街を焼きつつあった炎には、瘴気の欠片も含まれていなかった」
「山火事の類か人災であろう。それは自然淘汰……純然たる摂理に他ならぬ」
「ガブリエル様がお呼びだ。速やかに出頭せよ」
(う、嘘でしょお!?)
 あんな不自然に燃え広がってた、炎に――堕天使も魔族も関わってない?

「……人災?」

 クレア様にも、まったく戒律を破ったって意識は無かったみたいで、困惑もあらわに聞き返す。
「これだけ魔族の影響が、インフォス全土に広がっているのに――いちいち騒ぎの大元を確かめなければ、介入できないんですか」
 乾いた声は、握りしめた両手も小刻みに震えていて。
「堕天使や天界と無関係なら、放っておくべきだったって言うんですか?」
 うつむけていた顔をキッと怒りに染め上げると、噛みつきそうな勢いで食って掛かった。
「ここに生きている人々を見殺しにすることが正義なら……そんな守護天使の存在に、なんの意味があるんですかッ!?」
 とたんに相手も激昂して、クレア様の腕を乱暴に掴むと、問答無用で引きずって行こうとする。
「その減らず口――ガブリエル様の御前で、叩けるものなら叩いてみろ!」
「インフォスを離れていられるような戦況じゃないんです! 放して……っ!!」
「ええい、黙れ! 帰還命令に逆らうつもりか!?」
 全力で抵抗されている所為で、転移魔法も上手く使えないみたいで、二人組の片方がイライラと手を振り上げた。
「ク、クレア様……!!」
 ああ、とんでもないことになっちゃった。どうしようと――竦み上がるばかりだった私の、目の前で。

「――胸くそ悪い気配がすると思ったら」

 バチィッと光が弾けて。
 男天使二人が、いきなり揃って吹っ飛んで。

「相変わらず、女子供相手に手荒なことだな? 異端審問官」

 ハッと気づいた次の瞬間には、剣をかまえたティセナ様が、クレア様を庇うように滞空していた。
「貴様……!!」
「我らに対する暴行! 反逆行為と看做すぞ!?」
 ばさばさっと翼を広げて、体勢を立て直した相手から凄まれても、
「ふん。連行対象者を不必要に刺激、威嚇し、あまつさえ武器も持たぬ女に手を上げようとしていた蛮行は棚上げか」
 ティセナ様はびくともしないで、冷たく睨み返している。
「それとも、ここで私と戦るか?」
 自分たちよりずっと小さい女の子に、完全に気圧されてるみたいで。ぐっと呻いた二人組は、脂汗を浮かべて後ずさり。
「……ティセ」
 ぽかんと目を丸くしていたクレア様が、名前を呼ぶと。
「まったく、いつもいつも人が目を離した隙に……! おちおち魔族狩りにも出られりゃしない!!」
 青筋たてて振り返ったティセナ様は、一拍置いて、確かめるように空を仰いだ。
「魔法を使ったんですか、雨を呼ぶのに――」
「……うん」
 怒られて首を竦めていたクレア様は、しゅんと頷いて、項垂れるけれど。
「とりあえず今は、あいつらに従って出頭してください」
「嫌よ」
 やっぱり頑固に、首を横に振った。
「どっちにしたって審問会に拘束されるなら。ひとつふたつ罪状が増えたって同じだもの――フィアナひとりに街のこと押しつけて行けないし――シーヴァスとも、まだ話が」
「分かってます。やり遂げなきゃいけないこと、たくさんあるんでしょう?」
「そうよ。だって、今のナーサディアを一人になんか出来ない。ファンガムはクーデター兵に占拠されたままだし、黒衣の騎士や、ビュシークの行方だって……」
「だから。今ここに留まり続けたら、戒律違反に命令不服従って罪状も追加されますよ? 審問会だけじゃない、処罰も長期化する。最悪、インフォス守護を解任されるかもしれない」
「あ――」
「同じ、じゃないですよ。ね?」
 宥めるように問いかけた、ティセナ様は、サファイアブルーの瞳を覗き込んだ。
「……うん」
 やっと頷いたクレア様は、落ち着かなきゃと自分に言い聞かせるみたいに、深呼吸を繰り返して――異端審問官に、ぺこっと頭を下げながら訊ねた。

「ご迷惑おかけしてすみませんでした。出頭先は……聖グラシア宮になるんでしょうか?」
「そうだ、さっさと来い!」

 横柄に答えた二人組が、また荒っぽく拘束するけど、今度はクレア様も静かに従っていった。
「クレア様! 天界へは、私が送りますよ」
「ううん、一人でも平気だから」
 呼び止めるティセナ様の声に、振り返って笑って。
「ティセは残って、みんなに伝えて? シェリーも。こんなときに戦列を離れてごめんね、って――戻るから。出来るだけ早く、帰ってくるから」
「……分かりました」


 そうして三人の姿は、転移魔法で、真っ暗な空に消えてしまった。


(審問会って――だけど、ちゃんと事情があるんだもん。そんな厳罰になったりしないよね?)
 私が途方に暮れてると、ティセナ様が、険しい眼をして問い質す。
「シェリー。火災の原因って、なんだったの?」
「え、えっと! サラマンダーみたいな巨人族です。シーヴァス様がやっつけたらしくて、教会の跡地に倒れてました」
 こっちです、と急いで案内していった焼け跡に、勇者様の姿は無かった。
 そんなに時間は経ってないはずだけど、もう、医師協会に向かったんだろうか?

「そう……」

 相槌とも何とも言えない吐息をもらして。
 真っ赤なモンスターの死体を一瞥した、ティセナ様は、ぼろぼろに焼け崩れた礼拝堂に足を踏み入れた。
 そうして煤だらけな絵の前に立つと、ちょっとしゃがんで、足元から何か拾い上げ――吐き捨てんばかりに、舌打ちした。

「……ふざけた真似を」

 一見、無表情で。
 だけど敵意というか、怒りを含んだ殺気めいた横顔は――初めて会ったとき、ガブリエル様に向けていたものと、そっくり同じだった。



NEXT  TOP

祖父を除いて誰とも、こじれるほど深い関係になったことがなさそうなシーヴァスと。誤解や仲違いとは無縁だろう生活を送ってきた天使――気に病んでる部分が微妙にずれてたり、そうとも知らず早合点してみたり。