◆ 堕天使イウヴァート(1)
暴れ狂っていた亡霊たちは、失せたものの。
ぶっ倒れたままイビキかき始めたバーンズを、事情を知らない村人に見咎められては面倒だ。
「とりあえず、場所を変えようぜ」
「そだね」
ティセの魔法で、オムロン郊外へ転移してすぐ。
意識の戻ったシルフェから、話を聞いた。
十数年にわたりインフォスに滞在していた理由、長らく行方不明だった守護獣について。
いまはティアと呼ばれる少女に出会った日のこと――ターンゲリ夫妻とは血の繋がらぬ他人、己の名さえ覚えていない記憶喪失の娘だったとも。
「まだ小さい頃に、ティア……どうして自分にはパパとママがいないの? って駄々こねて」
草原に横たわる少女の寝顔を、懐かしげに見つめながら。
「おじいさんたちは、迷子のあなたを拾って育ててくれてるだけで。ホントの祖父母じゃないから、どんな人が両親かは知らないんだよって――何度か言おうとしたけど、結局、ずっと話せなかった」
ぽつりぽつり、シルフェが打ち明ける。
「おばあさんが特に隠したがってたし。ティアも夜眠ると魘されて、怖い夢を見たって泣いてた……記憶を無くした原因を思い出したら、心が壊れちゃいそうだったから」
本来の任務や、いずれ妖精界に帰らなければならないことも。
叶うなら忘れてしまいたかったと。
「あのときティアを助けたのは、たまたま通りがかったから。最初は、ティタニア様の指示で、資質者を保護するために見守ってたけど――可愛くって危なっかしくて放っとけなくて。私の方が、離れたくなくなっちゃって」
苦笑いを浮かべ、つぶやいた。
「騙してたことに、なるのかなぁ……?」
「なにも無理に聞かせることないだろ。ターンゲリ夫妻にとっちゃ本当も嘘もねえよ、ティアは、大事な孫娘だって」
いつだったか出会った彼女と、墓参りの話をしたことを思い出す。
「親の顔を知らないってことは、本人も自覚してるみたいだからな。必要だと思えば、いつかコイツが嫁に行く日にでもじーさんたちが話すだろうし――辛い記憶なら、忘れちまったままの方が良いさ」
励ますっつーか、まあ元気付けるつもりで相槌を打ったんだが。
「……鈍感!」
「はあ?」
なにが気に入らないんだか膨れっ面で口を尖らせた妖精に、それまで黙っていたティセがとりなすように言う。
「妖精レベルの直観力を人間に求めるのは、さすがに酷だよ。シルフェ」
しかしその台詞がまた、なんのことやら意味不明で。
「んだよ、おまえまで――」
問い質そうとしたとき、視界の隅でもぞもぞと毛むくじゃらが動いた。
「んお? ……俺、なにしてた?」
のっそり起き上がった赤茶けた獣の、第一声は、身構えたこっちが脱力する代物だった。
「シルフェ? おまえ、なにしてる」
「なにじゃないわよ、まったくも〜」
妖精はやれやれと、デカイ割りに軽そうなバーンズの頭をべしっとはたいた。
「ながーい散歩と昼寝の時間は、もう終わり――私は、あなたを迎えに来たの。分かった?」
「ん、そういえば腹減った」
眠気を払うように全身をぶるぶるやりながら、バーンズは応えた。
「帰る帰る、ティタニア様のとこ帰る! メシ食って水浴びして、みんなと遊ぶ」
問うまでもなく一目瞭然。ついさっきオレたちを襲ったことなど、キレイさっぱり忘れているようで。
「あれ? 誰だ?」
「私の友達、ティアよ。それから天使のティセナと……勇者、グリフィン」
「なんで、そこで詰まんだよ。オレの名前だけうろ覚えってか?」
きょとんとこっちを眺める巨獣の角に腰掛け、シルフェは 「べっつにー」 とそっぽを向いた。
「ティア? 寝てる」
のそのそ近づいてきたバーンズは、未だ気絶したままの少女を覗き込んだ。
(おまえも原因の一部だっつーの!)
だがまあ幸い怪我は無かったんだ、すぐに意識も戻るだろう。
なにかに操られての襲撃だったと判れば、元から鷹揚なティアのこと、コイツを責めはすまい――などと考えていると。
「!?」
バーンズは、いきなり少女の頬をべろんと舐めた。
「おいコラ、なにしやがる!」
「なにする? シルフェの友達、挨拶する」
オレにポカリとやられても、殴られる理由がまったく分からないようで首をひねり、
「うー、ん……?」
妙な触感と騒がしさに刺激されたか、身じろぎしたティアはうっすら瞼を押し開けた。
「きゃ!」
寝起きの視覚を埋め尽くす赤茶けた鼻面に、ぎょっと息を呑んで後ずさり切り株にぶつかって、それに縋りながら――おそるおそるバーンズを窺う。
「こーら。女の子、驚かしちゃダメだよ」
「ぐるぅぅ……俺、怖い?」
小突かれた守護獣はしょげながら、不思議そうに、ティセの腕から胸元にかけてをフンフンと嗅いだ。
「おまえ、天使? なんか混ざってる、精霊?」
「嗅覚鋭いね、バーンズ」
「俺、鼻利く! 遠くまで見える! 頭もイイ!」
褒められ撫でられて得意げに、ばさばさ尻尾を振るバーンズを眺めつつ、オレは思った。
(……嘘こけ)
少なくともイイトコの三番目は、疑わざるを得ないぞ。
「ティセナ、天使?」
問われたティセは、曖昧に笑いながら 「ま、一応ね」 と肩をすくめた。
「天使にも色々いるんだよ。だから、あんまり気にしないで」
「分かった! 俺、気にしない」
返事の内容は、実際どうでも良さげに。ごろごろと喉を鳴らしているバーンズに、
「あの……」
「なんだ?」
恐慌状態から脱したティアは、混乱と入れ替わり、好奇心に瞳を輝かせ 「私も、触っていい?」 と話しかけた。
「だーいじょうぶよ! バーンズ、ちゃんと目を覚ましたから。噛みついたりしないわ」
「シルフェの友達、俺もトモダチ!」
妖精が太鼓判を押して、バーンズも懐っこく尻尾を振り返し。
「うん……わー、ふかふか!」
「俺、毛並みも最高!」
「ホントだね〜」
鼻高々ふんぞり返る珍獣に、触れる瞬間こそためらっていたが、あとはもう近所の飼い犬と遊ぶノリでじゃれている。
微笑ましい光景ではあるが、小一時間ほど前に噛み殺されかけたことは忘却の彼方なんだろーか?
「――ッ!!」
理解に苦しみつつも、すっかり油断していたオレの眼前、いきなりバーンズが少女の喉笛に喰らいついた――ように映った。
「ティア!?」
跳躍する獣に咥えられ横っ飛びに、長い栗毛とスカートが翻り。
オレがグランメタリカを抜き放つより速く、天使が描いた魔方陣とせめぎあった “なにか” が障壁を突き破り、さっきまでティアが座っていた大地が轟音とともに押し潰され陥没する。
「きゃあっ! な、なに?」
シルフェが悲鳴を上げ、ティセは舌打ちしつつ一点を睨みつけた。
突然べきばきと裂けた前方の地面から噴き上がった溶岩が、のどかだった景色を紅蓮に塗り替え。
「チッ、やはり術の効果が切れてるようだな……」
灼熱の火柱が消えた、そこにはバーンズよりも一回りデカイ怪鳥の背に跨った、異形の男が。
「なんだ、テメェは!?」
「オレの名は、堕天使イウヴァート! 冥界で最も勇猛な戦士!!」
オレたちを嘲るように見渡しながら、大声で名乗った。
「おまえらが天使と、その勇者だな?」
ぐしゃぐしゃの金髪、背丈や身体の造りは人間と大差ないが――そいつの肌はカメかワニが死んで腐ったような、とにかく奇怪な緑色をしていて。
「ふん、よく知ってるじゃねーか」
「……こんなゴミクズのような、チビた人間だったとはなぁ」
イウヴァートの股座の下、四つんばいに大地を踏みしめたまま同意するように 「ガァ」 と鳴いた――パッと見、鳥っぽく思えた魔物に翼は無く。
「おおかた、その後ろにいる忌々しい臆病者の天使に “力” を借りたんだろうが……オレ様に、そんなことは通用せん。まとめて引き裂いてくれるわ!!」
主の宣言に沿い、爬虫類を連想させる太い尻尾を振りかざし、岩をも砕けそうな鉤爪でずしんずしん音をたて近づいてくる。
「腕に自信のある奴ァ、べらべら能書き垂れねーもんだぜ?」
敵襲か、と理解して振り向けば――ティアは蒼白になりながらも、無傷でバーンズの背に庇われていた。
(お手柄だぜ、守護獣さんよ)
ホッとしつつ堕天使に向き直り、剣をかまえ挑発する。
「弱い犬ほどよく吠える、ってな!!」
「生意気な口を利くな、ゴミクズが! 今までおまえらを仕留めそこなったのは、くらだらん計画に拘りのろくたやっていたアポルオンの怠慢だ!!」
「! アポルオン?」
「オレ様が自ら、おまえらを血祭りに上げ。そのハラワタ……地上にぶちまけてやろう!!」
「品の無え野郎だな、オイ」
女子供に聞かせるにはえげつない言葉の数々、堕天使とはいえ上半身真っ裸じゃあティアたちの目にも毒だろう。
「それ、あんたにだけは言われたくないと思うなー」
「どーいう意味だよ!」
オレの不快感はシルフェによって、ますます拍車をかけられ。他方、
「……ねえ、私たちの名前は知ってる?」
「はァん? 知るか! 今から死ぬ奴らの名など、聞いてどうする」
ぼそっと問いかけたティセを、小馬鹿にした態度でイウヴァートが答え。
「守護天使なんて肩書きは大層でも、女にガキと妖精二匹! 狭間の結界さえ破れば、こうしてオレが、片手で捻り潰せる数じゃないか――モンスターを操って人間を争わせ、外から眺めるのにもいい加減、飽き飽きしていたところだ!」
「あっそ。私は、あんたの噂を聞いてるよ……魔界でも五指に数えられる、単細胞の腕力馬鹿」
前半の台詞に単純に、自尊心をくすぐられたらしくニヤリと笑んだ堕天使を、天使は思いっきり冷たく突き放す。
「私が “力” 貸さなくたって、あんたなんかに負けやしないよ。フィンは」
「なんだとォ!?」
「おいおい、ケンカ売る相手を間違えんなよ」
絶句は一瞬、わなわな震えながら悪鬼の形相に変じたイウヴァートの進路を、すかさずグランメタリカで阻むオレ。
「天使がどうこうって負け惜しみ言われるのも癪ね。そこで観戦しててよ、ティセナ!」
すっかり戦う気満々のシルフェは、天使に 『手出し無用』 と告げ。
イウヴァートの脅威を “その程度” と看做したか、ティセは、頷いてティアの隣へ降りた。
「こんなアタマ弱そーな堕天使が相手なら、私の援護魔法でだっておつりが来るわ――行くわよ、バーンズ。いろいろ騒がせて迷惑かけちゃったお詫びに、最後の大仕事!」
「シルフェの友達、守る! 堕天使、やっつける……!!」
妖精の呼び声に応じたバーンズが、臨戦態勢に入り低く唸る。
「貴様ら――八つ裂きにしてくれるわ!!」
いきりたった堕天使の怒号に、びくっと縮み上がったティアが、
「シルフェ! グリフィンさん……!?」
おろおろと立ち上がりかけるが、それをティセが静かに片手で遮り。
「ティア、そこでお祈りしてて! 悪魔なんかへっちゃら、怖がることないって見せたげるから!」
シルフェは場違いなほどに、明るく言い切って笑った。
そうして対堕天使戦が幕を、開けた。
カーライル兄妹、シルフェ、バーンズと、この陣営に共闘させてみたかったのです。守護獣発見、ハイさよなら〜、なんて冷たすぎると思うのですよ。