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◆ 凍都の姫君


「あのっ、フォルクガング卿!」
「はい?」

 カノーア王国首都・ノティシア。
 ファンガムの姫、及び将軍を送り届けるという荷を降ろし、ルースヴェイク城のバルコニーで黄昏ていたシーヴァスに、
「失礼かと思いますが――つかぬことを、お伺いしますが」
 好青年を絵に描いたような風貌の王子が、そわそわと、緊張した面持ちで詰め寄ってきた。

「貴方は、アーシェ王女と交際していらっしゃるのですかッ!?」
「……は?」
 まず質問内容そのもの理解するのに、たっぷり十数秒かかった。
「どこから、そんな話に?」
「い、いや。クーデター兵の魔手から、彼女を救い出した騎士が誰かを――これまで消息の途絶えていた姫は、フォルクガング邸に匿われていたのだと聞きまして」
 問い返されたミリアスは、どもりつつ赤面しているという愉快な格好である。
「私との婚約を拒否された理由は、他に、れっきとした想い人がいたからなのではと……」
「はは、違いますよ」
 ようやく相手の懸念事項に合点がいった、シーヴァスは苦笑する。
「親しくしているのは私の知人、それも女性です」
「クレアさん、ですか? 王女の御友人だという」
「ええ。私が姫にお会いしたのは、クーデター勃発時が初めてです。恋仲になど、なりようがありませんよ――確かに我が屋敷でお休みいただいておりましたが、ずっとクレアが付き添っていたことですし」
「初めて? 建国祭で……?」
「ええ。エリオット様には、何度か、公務の場でご挨拶したこともありますが。姫には――悪い虫がつくことを、亡き王が懸念しておられたか、もしくは誘拐や暗殺といった危険を避けるためだったのか――お見かけしても遠い位置からで、直にお話しする機会などありませんでしたからね」
 こちらが事実を述べても、ミリアスはどこか釈然としない様子で。
「……もしや、私の浮き名を気に病んでおいでですか?」
「え?」
「さすがに、一国の姫君にちょっかいをかけ、友好国の王子を敵に回すほど無謀ではありませんよ」
 シーヴァスが肩をすくめてみせると、うろたえ赤面しつつ否定する。
「い、いいえっ! すみません、決して、そんなつもりで言った訳ではないのです」
 どうやら他意は無かったらしいが。
 過去の諸々はあることないこと、カノーア王族の耳にまで届いているようだ。やれやれだ。
「ただ、その。以前、アーシェ王女とお二人で、私が主催したパーティーにいらっしゃいませんでしたか?」
「は? ご招待いただいた覚えはありませんが――」

 訝るシーヴァスに、ミリアスは。
 かつてパーティー会場で目を惹いた、黒髪の令嬢に、ダンスを申し込むも手酷く断られてしまったと。
 寄り添っていた涼やかな、金髪の青年を、彼女は 「パートナー」 と呼んで憚らなかったことを手短に話した。

「破談になったとはいえ婚約者だった身で、こんなことを打ち明けるのもお恥ずかしい限りですが。実は、私も……今日の今日まで “王女の顔” を知らずにいまして」
 けれど、王子たる自分の誘いを断る娘などいないという。
 認識は思い上がりだと突きつけて去った、少女の印象は、鮮やかに残っていたから。
「このたびお会いして、心底驚きました」
「そんなことがあったとは。微塵も感じさせぬエスコートぶりでしたね――先ほど、姫を出迎えられたときには」
 反乱兵により、ファンガムを追われた立場ながら。
 国賓に準ずる待遇を受けたアーシェは、現カノーア国王と挨拶を交わしたのち、ウォルフラム将軍ともども客室へ案内されていったところだ。
「とっさに、どんな顔をすれば良いのか分からなかっただけですよ」
 頭を掻きつつ、ミリアスは物憂げに溜息をついた。
「ですが、彼女はともかく。連れの男性がどんな容姿だったかは、うろ覚えで……名前も思い出せず」
「私ではない、としか答えようがありませんね。気になるのなら姫に直接、訊ねてみては?」
「聞けませんよ、そんなこと! ずいぶん前に一度会ったきりの令嬢を、覚えていたなどと判ったら――しつこいにも程があると呆れられてしまいそうじゃないですか? 家族を殺されて間もない王女のお気持ちを、これ以上、余計なことで煩わせたくもありませんし」
 握りこぶしで力説されても、相槌に困るのだが。
 そもそも招待客の面前で恥をかかされたなら、恨みに思うくらいが普通だろう。下手すれば、両国の友好関係に亀裂を生じさせかねない仕打ちだったはずだ。
 それを怒るどころか元婚約者を気遣ってさえいるとは、今時珍しい、純粋培養のお坊ちゃんであるようだ。
「しかし……差し支えなければ、私も、お聞きしたいのですが」
「なんでしょう?」
「互いの顔を知らず、言葉を交わしたこともないまま婚約とは――王子こそ、政略結婚に不満は無かったのですか?」
「不満だなんて、とんでもない! ……元々、私の方から申し込んだ話だったんですよ」

 ぶんぶんと頭を振った、ミリアスは真剣な顔つきで。
 長きに渡ったヘブロンとの紛争を終結に導き、平和の為に尽力していたブレイダリク王を、慕い憧れていたのだと。
 あらゆる政治的難局を切り抜けてきた経験談は、どんな帝王学よりも興味深く頷けるものであったし――時には、馬術や剣術を指南してもらったこともある。
 その合い間に、ふと彼が漏らした “おしゃまな愛娘” に興味を惹かれたのだと、照れ臭げに告白した。

「どんな姫君なのですかと訊ねたら、ブレイダリク王は……誰より手がかかる、けれど自分の宝物だと仰って」
 あれこれ質問を重ねるうちに、年の頃もちょうど同じと判り。
「君になら嫁にやっても良いな、と言われたもので。じゃあ是非ください、お会いしてみたいですとお願いしたんです」
「それで、とんとん拍子に縁談が持ち上がったという訳ですか」
「はい。けれど王女は話に反発して、グルーチの城を飛び出してしまったと――後に王から戴いた手紙には、娘を説得するから少し待ってくれと書き記してありましたが。そのとき私は、なにが嫌がられたのか理解できず」
 自ら、アーシェを探しに行こうとして。
 市街では身分を伏せているだろう、顔も知らない相手をどうやって見つけるつもりかと、追いかけてきた家臣に呆れられたと。
「あのときパーティー会場で、誘いを断られてようやく解ったように思います。一方的な好意や想いの押しつけは、迷惑になることもあるのだと」
 ミリアスは、しょぼんと肩を落とした。
「面識も無い相手といきなり……では、傍からすれば政略結婚にしか思われないのは当然でしょうし。婚約を断ったことでアーシェ王女が、カノーアの民から、事実無根の噂を立てられていたことも最近になってようやく知りました」
 ほぼ初対面の人間相手にいきなり愚痴りだすあたり、警戒心が無いというかなんというのか。
「こんな頼りない無神経な男の、なにがお気に召したのか――もしかしたら、冗談を真に受けた私が勝手に盛り上がってしまっただけで。王も内心、お困りだったのかもしれません」
「……それは今となっては、確かめる術もないことですが」
 なにしろ父親の命令に逆らって家出したうえ、天使の勇者まで務めていた王女だ。
 三歩後ろを黙ってついて来い、女がでしゃばるなと偉ぶる男のもとへ嫁入りしても。大喧嘩をやらかした挙句――相手に平手打ちを食わせ、離婚してしまいそうな気がする。
「今はこの城に姫が滞在しているのです。誠意と本気を示し、お互いを知り直すには、またとない機会では?」
 長所と短所は紙一重。
 アーシェの伴侶としては、温厚かつ鈍感な男の方が適しているのかもしれないなと、シーヴァスは思った。
「一人娘を託そうと考えるほどの信頼を、抱いていたなら……それが恋に発展するかは別として、あなたが姫の助けとなってくださることを、亡き王も望んでいるでしょう」
「もちろんです! カノーアとしても、ファンガムが旧体制に戻ってしまう事態は避けたい――なにより姑息極まりない逆臣、ステレンスなどとは和平条約も結べませんから」
 国を挙げてアーシェを支援すると、ミリアスは意気込んでいた。
「あの方から学んだことを……少しでも、彼女へ還せればと思っています」
「そうですか、それは頼もしい」
 初々しいというか青臭いというのか、ともあれ、まるで裏表の感じられない青年は好もしくあった。
「王女個人から信頼を得られるようになれば、件の “パートナー” が何者であったかも、きちんと説明してもらえるでしょう。なにも焦ることはありませんよ」
 親身になってくれる人間が傍にいれば、アーシェの気分もいくらか休まるだろう。
「そう、ですね――ああ、申し訳ありません。長々と話してしまって」
 話し終えてすっきりしたか、ミリアスは、頬を掻きつつ頭を下げる。
「ヘブロンへの帰国は、お急ぎですか? アーシェ王女も、知人は多くいた方が安心できると思います……部屋を用意させますから、宜しければ、何日かだけでも泊まっていかれませんか?」

「いいえ、もう失礼します」
 アーシェが実質、身動きの取れない環境にいる以上、勇者が一箇所に固まっているべきではないだろう。
「ファンガムと隣接するヘブロンは厳戒態勢に入っていますし、ステレンス政権を静観しているエスパルダの動向も気にかかる。姫の御身は、ウォルフラム将軍がお守りするでしょう。それに――」
 無難な理由を数え上げつつ、シーヴァスは、王子を軽くからかってみた。
「私も、馬に蹴られて死にたくはないのでね」
 ミリアスはまた純朴に、ぶしゅうと耳まで見事に赤くなった。



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ミリアス王子の決意表明というか、女慣れしたオニーサンに恋愛相談というか。
王子の年齢は不明ですが、あの天然っぽい雰囲気からしては二十歳過ぎてはいないと思う。