◆ 握り返した、その手は(2)
「――だけどズルイや。人間の言葉、話せるの秘密にしてたなんて」
草むらにあぐらを掻いた、ヤルルがむくれて抗議する。
「母さんとはおしゃべりしてたんでしょ? 僕が見てないとこで、こっそり二人でさ」
「おしゃべり、と俗に言うような会話はしていないが……」
「それでもズルイ! 美味しいもの食べたり珍しいもの見つけたときなんか、いつも、ラッシュと話せたら楽しいのにって思ってたんだよ」
乾いた喉を潤し、治療も受け終えて。
「そ、そうか?」
寝そべって休んでいるジャックハウンドは、こそばゆげに。それでも嬉しそうに寄り添っていた。
しばらくして、上空を旋回してきた竜の姿を見とめ。
「あ、フェイー!」
走っていった少年を追い、クレアと連れだって森を抜けるや。
「ねえねえ、帰りも乗っけてくれる? ガルフまで、歩いて戻れない距離じゃないけど。ラッシュにはまだキツイと思うんだ」
「いや。私の身体なら、もう何ともないから――」
臆すでもなくドラゴンと交渉している人の子を、あわてて制しに入り。けれど、
「遠慮するなよ。しばらく安静にしてた方がいいって」
「ああ。どうせガルフは通り道だし、一人というか一匹増えたって大差無いしね。乗っていきなよ」
リュドラルたちから交互にうながされ、先にフェイの背へよじ登ったヤルルがまた 「早くー!」 とはしゃいで手招くので。
「……かたじけない」
固辞するのも逆に気が引けたか、おそるおそるといった仕草で腹部の鱗に足をかけ。
「どうぞ。ちょっと痒いけど痛くはないからさ」
相手がビクともしないと確かめ一息に駆け上がるも、バランスを崩して脚をすべらせ――どしん、べしゃっと腹ばいに四肢を投げだす形となってしまった。
「ほら、やっぱり! まだフラフラしてるんじゃないか。普段なら坂だって雪山だって転んだりしないのに」
「ち、違う! 竜族に乗った経験など無かったから、感覚を掴めなかっただけだ!」
心配そうに詰め寄るヤルルに、猛然と弁解するジャックハウンド。
ずっと彼の保護者代わりを自負してきたから、間抜けだったり弱ってる姿をさらすことには慣れておらず、抵抗があるのかもしれない。
「初乗りだと、バランス取るのも難しいだろうな。俺が後ろで支えとくよ」
他方、軽々とフェイに跨ったリュドラルの提案に、ヤルルが嬉々として賛同する。
「ありがと! それじゃ、落っこちないように前足も掴んどくから。こっちに出して、ラッシュ」
あっけらかんとした少年と青年に挟まれては、神獣の威厳もなにも形無しだった。がっちり彼らに抱えられて、
(……可愛いかも)
肩身が狭そうな青い眼と、視線がぶつかり。
込み上げる笑みを抑えきれず吹き出してしまったクレアの反応に、ジャックハウンドは、ますます情けない顔つきになる。
「ね、リュドラル兄ちゃん。帰りは急ぐの?」
「いや。見回りがてら、のんびり飛んでくつもりだけど」
「じゃあ、今夜は僕んちに泊まっていかない? いろいろ助けてもらったお礼もしたいし」
「え? せっかくラッシュが戻ってきたんだぜ。お母さんと話したいこともあるだろうし、家族水入らずの方が良いんじゃないか?」
「そんなことないよ、にぎやかな方が楽しいもん!」
誘われたリュドラルは、でもなぁと頭を掻きつつ躊躇っているが。
「それに母さんやラッシュとは、また毎日一緒にいられるけど――リュドラル兄ちゃんやフェイには、デュミナスまで行かなきゃ会えないでしょ?」
すっかり彼に懐いているらしい、ヤルルは無邪気に主張する。
「泊まるの無理なら晩ごはんだけでも食べてって! 母さんの料理、すっごく美味しいんだよ」
「そうか? うーん……迷惑にならないんなら、お言葉に甘えようかな」
「やった!」
ぴょんと跳ねた動作に引っぱられた神獣が、落ちまいとしがみついてくるのにまた笑って。少年は、握った前足をゆさゆさと揺さぶった。
「早く帰ろ、ラッシュ」
「……ああ」
まだ気後れに似た陰りを残しつつも、ジャックハウンドは頷いた。
今の名前、帰る家。
ラスエルに従い地上へ残ったことは、彼の運命を、天に与えられた存在意義を狂わせてしまったかもしれないけれど。
「じゃ、出発しんこーう!」
この明るい強さを秘めた少年に巡り合えたことは、インフォスに居てこそ得られた幸福に違いないだろう。
「ヤルル君と、仲良くね」
手を伸ばし、白毛まじりの首筋を撫でてやると――ジャックハウンドは焦ったように口を開きかけたが、
「私たち、インフォス全土を巡回しているから。また近いうちに様子を見に寄るわ」
添えられた言葉にほっと息をつき、再び沈黙する。
リュドラルが目礼して、クレアは彼らに手を振り返すと一歩下がった。
逞しい翼を羽ばたかせ、ドラゴンが青空へ舞い上がる。
「そうだ。僕も、そのうち “竜の谷” ってとこに遊びに行っていい?」
「ええっ!? 来てもらっても山ばっかりで、観光旅行には向いてないぜ? それに、竜族以外は立ち入り禁止って掟で決まってる場所も多いし……」
「えー?」
「なぁ、フェイ。小さい子には危ないよな?」
「僕もう12歳だよ、子供じゃないやい!」
「うーん。まあ、そこの彼が一緒なら崖くらい平気だろうし――アウルを倒したマキュラを負かしたリュドラルが、今は竜族の長なんだから」
背中で和気藹々やっている人間たちに、のんびり答えるフェイ。
「異種族とも友達付き合い出来る子を、客として招くくらい良いんじゃないか?」
「えーっ、リュドラル兄ちゃん。ドラゴンたちの親分なの!?」
ヤルルのすっとんきょうな声が、まじまじと問いかける。
「……じゃ、フェイって子分?」
「あはははっ、そうなるのかなぁ」
「ちっがーう!」
続いて間髪入れず、否定してのけるリュドラルの叫び。
「人間なんだか竜族だか中途半端な俺が長じゃ、マズイだろ? マキュラと戦ったあれは掟の範囲外だって―― “神官” の肩書きだけでもガラじゃなかったのに」
「人間が、竜の親分って……絵本みたいだね」
「絵本?」
「ああ、初代竜王の伝記だろう? 本棚にあった」
そんなラッシュの相槌も会話に加わり、楽しそうにヤルルが応じる。
「そうそう! ドラゴンと互角に戦えちゃうくらい強くて、優しい勇者で、お互いのこと認めて尊敬するようになって。だからデュミナスには “竜に護られる国” が生まれたんだって――」
「竜王? いいね、その響き」
からかいと本気が入り混じった語調で。
「やっぱり、アウル以上の “長” はいないって思ってるヤツも多いし……リュドラルのことは “竜王様” って呼ぶように言っとこうか」
「おもしろがるなって!」
冷やかすフェイ、騒ぐ青年たちの声は、間もなく天使の聴覚にも届かなくなり――辺りには静寂が訪れた。
(……ジャックのこと、ナーサディアに報せて来ようかな)
たとえ兄の行方が、判らなくても。
ラスエルと過ごした日々が幻ではなかったと実感できるだろう、神獣には会いたがるかもしれない。
そう考え、カノーアへ向かおうと飛び始めて――ふと首をかしげる。
なにか忘れているような気がするけれど、なんだったろう?
しばし黙考。そうして、
「あーっ!!」
森の上空で、ひとり頭を抱えたクレアの慌てっぷりを見咎める者は、幸か不幸かいなかった。
フェイの口調はテキトーです。公式小説版フェバは買って持ってたけど、一時期ゲーム&小説離れしてた時期に売っちゃったんですよねぇ……取っとけば良かった。