◆ 静かな眠りを(2)
「……確かに、祖父ビュシークのものです」
受け取った指輪を一目見るなり、イダヴェルは断言した。
「祖母とおそろいの――」
おそろい? って、マジで結婚指輪の類かよ。
だったらなおさら、拾ってきて良かったかとは思うが……ティセのヤツ。これ持ってても本当に、呪われたり、夜な夜な動き回って怪現象起こしたりしねーんだろうな? 頼むぜオイ。
「本当に、ありがとうございました。グリフィン様」
指輪を握りしめたまま、うつむいていたイダヴェルが顔を上げた、とたん。
「あ――」
ぽたぽたと、大粒の涙が頬をつたって落ちた。
「あ、あれっ?」
自分が泣いていることに面食らった様子で、あわてて手の甲で目元を拭うが、完全に涙腺が決壊してしまったらしく一向に止まる気配が無い。
「すみません! なにか、目にゴミ……?」
くしゃくしゃになった真っ赤な顔を擦りつつ鼻を啜る、それは女の涙というより、五歳児みてーな泣きっぷりだった。
不意に、遠い記憶――なにかあるたびベソをかいていた、妹の姿が脳裏を過ぎって、すぐに消える。
(……こいつは、泣くんだな)
悲しいのか悔しいのか、どういう涙なんだか知らないが。
ビュシークも、トチ狂う前には少しでも、孫相手に優しかった頃もあったんだろうか――?
「そ、そうでした! お礼っ……」
そこで急に思い出したように、謝礼の話を蒸し返す。
「申し付けてください。私に出来ることなら、なんでもしますから!」
「んなモン要らねえから、さっさと礼状書きの続きでもしてろ。領主らしく」
初対面でも火事んときも言ったろーがしつこいな、と呆れたオレが突っぱねると、またビクッと縮こまり。
「はい!」
「じゃあな、オレは帰るぞ」
「す、すみませんお引き止めして!」
おどおど頷きながらも追って来ようとする――なんかもう、すみませんが口癖になっちまってんじゃねえのか、こいつ?
「見送りも要らねえ」
「え? ……で、でも」
「そんなボロ泣きしながらくっついて来られたら、オレが、何しでかしたんだって目で見られるだろ城の連中から!」
「は、はいっ。すみません!」
叱りつけられたイダヴェルは、ようやく足を止め。
踵を返したオレがドアを閉めるまでずっと、深々と頭を下げていた。
「あんたもさ、見送りいらねーって。迷うほどの広さでもねえし」
「いや、ワシも畑に戻るし」
「…………そーかよ」
門扉を潜って外に出る。
たぶん部屋の窓から、イダヴェルが見送ってるんじゃないかという気がしたが、振り返ることはしなかった。
「じゃ、留守を頼むぞー」
門番に声を掛けたロンディンが、オレと並んで歩きだす。
ついて来んなよと言いたいところだが、戻る方向が一緒じゃ文句も言えない。
「ほんに、世話になったなぁ。グリフィン殿」
しみじみと呟きながら、またしつこさを発揮するエセ貴族。
「さっきイダヴェルにはああ言っとったが、なにか入用の物は無いのかね? 財産丸ごと要求されても当然の立場なんだ、なんでも持って行ってくれてかまわんぞ?」
「要らねえっつってんだろ。オレは自分の意志で戦ったんだ、あんたたちの為じゃない」
「遠慮深いのー。やるっちゅうモンは素直に受け取ってもらった方が、渡す側も嬉しいんだぞ?」
むうと唸り、ぽんと手を打つ。
「なんならワシが精魂込めて育てたカボチャを永代取り放題に」
「いるかッ! 料理しなきゃ食えねえようなモンは、家に置かねえんだよオレは。たいてい出歩いてるし、腐らすだけだ――余ってんならハロウィンの菓子用に、領地のガキどもにでもくれてやれ」
「そうか? それじゃあしょうがないのー」
「それより……どーいうヤツだったんだ。ビュシークはよ」
なんでもって言うなら、金だの物だのもらうより。あの日、なにがどうしてああなったのか詳細まで判った方がスッキリする。
とりあえず、このオヤジなら泣きゃしねーだろうし。
「恥ずかしながら、よくは知らんのだよ」
ゴツイ肩をすくめ、ロンディンは声を落とした。
「そもそも田舎者っちゅうて嫌われていたからな、ワシは。姉夫妻とはともかく、ビュシークとは、親戚付き合いらしい付き合いもしとらんかったが」
ぽつりぽつり語り始めた男の表情は、擦り切れた麦わら帽子に隠れて窺えず。
「イダヴェルが、5歳の誕生日を迎える前だったな。グリフィン殿も、南大陸の人間なら知っとるだろ? “子供狩り” と呼ばれた大量殺戮事件は――」
当たり前だろ。
(オレたちが、領民が、どんな目に遭ったと思ってんだ!)
喉元まで出かかった恨み言を、どうにか呑み込む。
「義兄さんが、発狂して暴れるビュシークをどうにか拘束して、城の地下に幽閉して。それから数年は何事も無く過ぎていったが……あの悪夢の日にはまだ赤ん坊だった、ワシの甥っ子……イダヴェルの弟がな。ようやく8歳になった頃に」
話の流れがなんとなく読めてしまい、オレは立ち止まった。
「あの子が、契約条件の “千人目” だったのか。実の孫まで手にかける執念を、悪魔が気に入ったのかは分からんが」
ロンディンは、溜息まじりに首を振る。
「怖いもん知らずの子供っちゃ恐ろしいのう。閉じ込められて可哀相だと思ったんか、好奇心を押さえられんかったのか――絶対に、立ち入り禁止とされていた地下牢の鍵を持ち出して、開けてしもうた」
最初に押しかけてきたとき、イダヴェルが語ったこと。
「これも又聞きの話で、半分は想像だ。ただ、召使たちが、坊ちゃんがおらんと騒いで探し回るうちに、牢の鍵が無くなっとると判って――そのとき地下から、轟音が聞こえたと。あわてて階段を降りていったら――溶けた鉄格子の中から現れたバケモンが、襲い掛かってきて」
洗い浚いと思えるほどに羅列された事実の中、ひとつ、伏せられていたこと。
「両親の後を追って来てしまっとったイダヴェルを庇って、姉さんは死んだ。義兄さんは、狂った父親と心中する覚悟だったんだろうな……娘や家臣を非難させて、城を封鎖したが……結局、ビュシークには逃げられとったわけだ」
実の弟が、千人目?
「城だけ丸焦げになって――姉さんも義兄さんも、遺体すら無いまま葬式をしたが。イダヴェルは泣かんかったよ――あの日を境に、泣きも笑いもしなくなった。単に、ショックが酷すぎたんかと考えとったが」
暗い女だと思った。
「……しばらくしてな、絞りだすように言ったんだよ。ぜんぶ自分の所為だと」
目の色、強ばった表情、雰囲気まで。
「どうしてウチにはじーさんがいないんだと。もう死んどるなら、ばーさんの墓はあるのに、なんでじーさんの墓が無いんだと、不思議がる弟にな――教えてしもうたらしい。おじいちゃんは地下の牢屋にいるけど、悪い、怖い人だから絶対に近づいちゃダメだよと」
イダヴェルを、ああまで頑なにさせた理由は……それか。
「それからあの子は、ずっと探し続けとった」
領主のお嬢さんには無縁だったろう、ガラの悪い酒場に乗り込んで来てまで。
「生半可な剣士に依頼しても、死なせてしまうだけだからと。自分らじゃ手も足も出ん、あの怪物を倒せる “勇者様” を探しとった」
ビュシークを倒して、殺してくれと、食い下がり続けた訳は。
「あれに勝てる猛者がおるわけないと、ワシはもう半ば諦めとったんだが――」
そもそもの原因は悪魔なんぞに頼ったジジイに、それを幽閉なんて半端な手で済まそうとした親父どもと、言いつけ破った弟だったろうに――全員いっぺんに死んじまっちゃあ、一人で抱え込む他に無かったんだろう。
「ありがとう、恩に着るぞ」
しみじみと右手を差し出す、イダヴェルの叔父貴。
「要らんと言われても忘れんからな? 入用の物が出来たら、いつでも訪ねて来とくれ」
「やなこった」
握り返す気にも無視する気にもなれず、オレは、その手を軽くはたき落とした。
「あばよ、おっさん」
「達者でのー」
苦笑いするロンディンの声を背に、用を終えて。
ニーセンへの帰り道。
山越えの途中、クルメナが見えた。
住人のほとんどが死に絶え廃墟になった町は、十数年の月日を経て、草木に埋もれかけている。
「仇は取ったぞー」
死んだ家族や近所に住んでた奴らに報告してんのか、それとも以前戦った亡霊どもに聞かせてやりたいのか、自分でも曖昧なまま空を見上げて、
「……天使が居んだから、天国もどっかにあるだろ」
呟いた。
「そっち逝って、眠れよな」
“殺される謂れのなかった魂” たち――せめて、どうか安らかに。
ゲーム容量的に無理だったのかもだけど、ビュシーク戦後、イダヴェルと再会して話すイベントがあっても良かったのになぁと。彼女は自己弁護とかしなさそうなんで、オリキャラ叔父さんに出張らせてしまいましたが。