◆ 死闘(1)
お墓参りを終えたナーサディア様たちが、海岸へ向かうのを見送って。
ファンガムの様子を見に行こうと西へ飛んでいたら――ヘブロン方面から漂ってくる、総毛立つような異臭と瘴気。
(只事じゃないや、レイヴ様に報せなきゃ!)
大急ぎでヴォーラスへ向かいながら、結晶石に念じてティセナ様も呼んで。
勇者様の気配を辿っていったら、北に広がる森の中で、騎士団とアンデッドモンスターが入り乱れて大乱闘していた。
「騎士リーガルが攻めて来たか……シェリー、レイヴ様を探して。やばそうだったら体力回復、お願い」
「えっ? ティセナ様、どっか行っちゃうんですか?」
「敵、アンデッドだからね。それに」
薄暗い獣道を睨むように見渡した、ティセナ様の、周りで元素がきゅうっと収縮して。
次の瞬間には。
「因縁の対決なんだから、ジャマさせる訳にいかないでしょ?」
その外見は、シャリオバルト城でよく見かける紫紺の鎧姿に変わっていた。
右手にはロングソード。ちょっと小柄だけど、顔半分を兜で覆っているから、パッと見たくらいじゃ騎士団員さんたちと区別がつかない。
「市街地まで被害が及ばないように、ひと暴れしてくるよ。ある程度片付けたら、追いかけるから」
「はいっ!」
そうして天使様と二手に別れて、奥へ先へ飛んでいったら。
「リーガル!」
「レイヴか……」
木々が途切れた森の狭間、月明かりに照らされて、青と黒の人影が対峙していた。
「騎士の精神を忘れた惰弱なおまえが、何故ここに来た?」
あんまり驚いたふうでもない、静かな声に。
「おまえなど殺す価値も無いから、ああして放っておいたのだが――」
「おまえを倒しに来た」
真っ向から相手を見据えて、宣言するレイヴ様。
「騎士として。天使の勇者としてな」
一瞬きょとんとなった黒衣の騎士は、楽しげに、おもしろそうに笑って。
「今日はまた、ずいぶんと威勢が良いな」
「戦う前に、ひとつ訊かせてくれ。なぜ、魔族を率いて人々を苦しめるような真似をする?」
「騎士は “主” に忠誠を捧げるもの」
詩でも諳んじるように呟いて、レイヴ様の質問を一蹴した。
「敵に、ぺらぺら目的を教えると思うのか?」
「…………」
まだ心のどこかで “敵” とは割り切れてなかったんだろう、レイヴ様の眉間に皺が寄って。
「だが、そうだな。はっきりしているのは――おまえと全力で戦うことが、今の俺には、最大の望みだ」
そんな勇者様を挑発するように、黒い鞘から引き抜かれた剣が、ひゅっと白く弧を描いた。
「それ以上を聞き出したければ、腕づくで来い。レイヴ!!」
剣撃と、土を蹴る音、血の匂いと。
二人とも動きが速すぎて、私には太刀筋もまったく読めないくらいで。
黒衣の騎士に負けず劣らず、レイヴ様もどんどん傷だらけになっていったけど――近づこうとしたら、無言で睨まれた。
「…………」
手を出すな、って顔してる。
(どっ、どうしよ……?)
安全確実に考えたら、魔法で援護した方が良いに決まってるけど、そしたら一生恨まれそうな雰囲気だ。
どっちが押され気味なのかも、私じゃよく分かんないし――迷ってその場でオロオロしているうちに、どのくらい時間が経ったのか。長かった気がするだけで10分そこらでしかなかったのか。
「シェリー」
「ティセナ様!」
振り向いたら、頼りの天使様がいつもの姿で立っていた。
「すみません、ええっと……迷惑がられてる感じがしたんで、援護、してないです」
「うん」
ティセナ様は頷いて、激しく斬り結ぶ騎士様たちの動きを、目で追い始めた。
(見守っていればいい、ってことなのかな?)
とりあえず戦況は、互角かそれ以上でヤバくはないから――レイヴ様の意志を尊重して?
「そういえば、モンスターの群れはどうなりました?」
「物理攻撃が通じないタイプは蹴散らしてきた。残りは、ヴォーラス騎士団が押さえてる……普段から鍛えてるだけあるよ、お飾りの軍隊じゃない。任せといてだいじょうぶ」
――それから、すぐに。
レイヴ様の一撃が決まって、剣を取り落とした黒衣の騎士が、地面に膝をついた。
(やった!)
私は正直、ホッとしたんだけど。
レイヴ様には……たぶん出来れば避けたかった、嬉しくもなんともない勝利だったわけで。
「リーガル!!」
血相変えて駆け寄って、自分で倒した “敵” を抱え起こした。
「ティセナ、シェリー! 頼む、リーガルに回復魔法を――」
「その必要は無い」
懇願するレイヴ様を、リーガルさんの方が遮って。
「俺は死霊だ。分かるだろう? レイヴ」
「…………」
分からないというのか、解りたくないのか。レイヴ様は泣きだしそうな顔で、ぶんぶんと首を横に振る。
「生きていないものに天使の癒しなど、効かない」
そうそう。むしろ逆効果で、弱っちいアンデッドモンスターなら即消滅しちゃうくらいなんだから。
「だいたい、おまえは……この期に及んで」
黒衣の騎士は掠れる声で、レイヴ様を叱りつけた。
「敵に情けをかけるな、隙を見せるなと――昔、散々言っただろう」
やれやれといった感じで、溜息ひとつ。
「俺がまだ刃物を隠し持っていて、倒れたのも演技で。おまえの首を掻っ切るつもりだったらどうするんだ?」
「しかし!」
「まあ……もう、剣を握る力も残っていないが」
レイヴ様の腕に支えられて、上半身だけ起こした状態で、ふっと笑う。
「久しぶりに、剣を交えたな……レイヴ」
今までに聞いた言葉の、どれとも違う。
「おまえは強くなった」
純粋に、懐かしむみたいな。
「俺がおまえに負けたのは、初めてだな」
「……ああ、そうだ」
絞りだすように呟いて、頷くレイヴ様。今勝ったことより、ずっと勝てなかった過去の方が誇らしいように。
「俺は一度も、おまえに敵わなかった」
「日々の、鍛錬の成果か――よく、ここまで強くなった」
逆にリーガルさんは負けたっていうのに、不思議と満足げ、穏やかな表情だった。
「魔族を率い、人々を苦しめてきた理由……だったな」
「もう、いい! 喋るなリーガル!!」
「いいから聞け、バカヤロウ。ヴォーラスの騎士団長がそんなことでどうする――」
そうして、彼は言った。
ファンガムの戦いで死ぬとき迷ったんだと。
騎士として堂々と死ねれば本望だと思っていたはずなのに……いざ死が迫ったとき、自分の不運に怒りを感じてしまった。
『なぜ俺が、死ななければならない?』
理不尽に思う気持ちは、早ければ早すぎるほど、きっと誰もが抱く自然な想いだったのに。
「運命を呪いながら死んだ俺の、魂に、ラスエルという堕天使が接触してきた」
(堕天使……!? ラスエルって)
「神が造りし世の理を認められぬというなら。インフォス侵略に手を貸せば、新しい肉体を与えると言われて――俺は、そいつの話に飛びついた」
まさか、こんなところでクレア様のお兄さんの名前が出るなんて。
「ラスエル様の “力” は、この世界を支配するに値する――そう思ったんだ、確かに。迷いもせずに」
ティセナ様も予想外だったみたいで、アイスグリーンの目を瞠っている。
「恨みつらみに囚われたまま死んだ、人間は……悪霊になるということか。襲われた人々の苦しみなど、復活した当時は気にも留めなかった」
レイヴ様はただ呆然と、リーガルさんの話を聞いていた。
「再会した、おまえを叩きのめした後だったかな。急に、空しくなった――我に返ったと言えるのは」
大義の為に、無私の精神を――他者の上に立つものこそ、力に溺れてはならないと。
口癖のように語っていた自分が、今はこの有り様か? と。
「だから、これは……俺の騎士としての迷いが、弱い心が招いた、災いだ……」
堕天使が変なちょっかい出さなかったら。
どんなに未練を残して死んでしまっても、ちょっとずつちょっとずつ、ヒトの祈りや自然、時間に癒されて――いつか気持ちに折り合いをつけて、空へ還っていくはずだったのに。
「おまえは立派な騎士だ。大義を忘れず、己の信念を貫いた――」
アンデッドモンスターって、怖いし薄気味悪いし臭いの多くて嫌だと、ずっと思ってたけど。
バルバ島にいたワイトみたいなのは、やっぱり今でも近寄りたくないけど。
「そのおまえに、俺は倒されたんだ。もう、迷いは無い……」
眠るはずだったところを魔術で引っぱり起こされた、このヒトたちも被害者なんだ。
「生き残れよ、レイヴ」
「…………」
なにか答えようとしたみたいだけど結局言葉にならないで、レイヴ様は、黙ってリーガルさんの手を握り締めた。
「俺を甦らせた、堕天使は……青白い、天使めいた姿をしているが」
やっぱりダメージが大きかったのか、切れ切れに。
「ラスエルという名、優しげな面構えもすべて偽りだ。真の名はベルフェゴール――ワニを人間にしてコウモリの羽を植えつけたような、異形の男で」
「!」
「魔力で雷を操り、ほとんどの攻撃を無効化する障壁を生み出す」
次から次に私たちが知りたかった、だけど、ぼんやり憶測するしかなかったことの真相を告げたリーガルさんが。
「ベルフェゴールが主と崇めるもの。堕天使ガープは、世界のちゅうし」
続けて、なにか言いかけて。
「……っ!?」
途中で、ぐっと顔を引き攣らせて。
どこにそんな力が残っていたのか――ものすごい勢いで身をよじるなり、レイヴ様を突き飛ばした。
「リーガル!?」
地面にひっくり返ったレイヴ様が起き上がって、ティセナ様が一歩踏み出すのも間に合わずに。
黒い竜巻が、爆発するように渦巻いて――消えたあと。
全身真っ白な、乾いた粘土みたいになってひび割れた、リーガルさんの身体は音も立てずに塵になった。
死の瞬間に魅入られたなら、4〜5年はベルフェゴールの部下やってたと思われるわけでして。リーガルさんなら、堕天使の本性くらいは見抜いてたっておかしくないよなぁ……と思ったり。