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◆ 死闘(2)


 さっきまで倒れていた地面に、草が潰れた跡だけ僅かに残して。
 
「リーガル……」

 消えてしまったヒトの名前を呆然と呟いた、勇者様が、辺りを警戒しつつ剣をかまえて怒鳴った。
「誰だ、出て来い!!」
 堕天使が襲ってきたのかと、つられて身構える私の隣で。
「――逆凪です」
 ひとり冷静に、首を振った天使様が。
「ティセナ?」
「ここに、敵は居ません」
 困惑気味のレイヴ様に歩み寄っていって、断言する。
「ティセナ様、逆凪って……?」
「呪術の一種よ。だいたいは、フィアナの胸にもあったような痣というか――刻印をね、媒介にして」
 静まり返った森に、その声は淡々と響いた。
「術者に抗おう、牙を向こうとする意識が引き金になって。さっきみたいな衝撃波が呪われた者を襲うの」
 いきなり、リーガルさんを呑み込んだ黒い竜巻。
「彼を甦らせた堕天使がベルフェゴールというなら。普通は、自分に盾突けないように術をかけそうなものだけど……崇拝してるっていう、ガープに逆らえないように呪縛していたみたいね」
「ガープ――」
 ぎりっと歯軋りしたレイヴ様が、ティセナ様に向き直る。
「そいつは何者だ、知っているか?」
「聞き覚えがあります、歴史書にも記されていた。インフォスが形作られるより、遥か昔――秩序と相反する混沌を望み、争いに敗れて、異界へ追放された能天使」
「……能天使」

 天界に背いた者を滅ぼす役目を負っているっていう。
 だけど、悪魔と接する機会が多いぶん、堕天する例も多いんだって聞いたことがある。

「それにベルフェゴールは――敵が、二重に名を騙っているのでなければ。前世紀に、クレア様の前任者が戦って倒したはずの堕天使です」
「息の根を止め損ねていた、ということか……?」
「ええ。アポルオンにしろイウヴァートにしろ、生半可な相手に従うような気性じゃない。連中を率い、インフォス侵略を目論んだのは、ガープと考えて間違いないでしょう」
「ベルフェゴール」
 うめく勇者様の声は、ふつふつ煮えたぎる怒りに燃えていた。
「堕天使ガープ――それが、真に倒すべき敵の名か」
「レイヴ様」
 心配そうな眼をしたティセナ様が、念を押すみたいに言う。
「アンデッドは “死なない” んじゃない。誰かに殺してもらわなきゃ、死ねない存在です」
「…………」
「リーガルさんだって。魔族の手先として戦い続ける生き地獄から、ようやく解放されたんだ――あなたが気に病む必要はありません」
「……ああ、分かっている」
 そう言われても、戦闘放棄に失踪約1年間って前例があるから――どうにもこうにも危なっかしいイメージが消えないんだけど。心配される原因は、さすがに本人も解ってる感じだった。
「堕天使に、新たな肉体を与えられて甦ったというなら。ファンガムとの戦いで死んだ、あいつ自身の遺骸は……とっくに土に還っていたはず」
 レイヴ様は、寂しそうに苦しげに、自分に言い聞かせるように呟いた。
「ここは、墓とさえ呼べぬのだろう」
 どこでどんなふうに最初の死を迎えたか、遺骨の場所も分からない。

「だが、リーガルの魂を弄び――インフォスを混乱に陥れた罪は、償ってもらう。必ず」

 キッと頭上を仰いだ、勇者様を掠めて。
 ぽつぽつ、ぽつり。
 すぐにサーッと速度を増して、夜空から、降りしきる冷たい、水の糸。

「……雨か」

 細くて柔らかい、霧みたいな。

「 “死者が導かれる空” は、目に見えぬのだろうな――遠すぎて」

 雨粒が、青い鎧に当たって弾けて。
 リーガルさんが消えてしまった場所に突っ立っている、レイヴ様は、相も変わらずな無表情だったけど。
 雨に紛れて分からなかったけど、ひょっとしたら泣いてるのかもしれない……なんとなく、そんな気がした。

“すまなかった、リーガル”

 私たちには聞こえないように、こっそり小声で呟いたんだろうけど。
 妖精シェリーちゃんの聴覚には、バッチリはっきり聞こえちゃった。

“……ありがとう”

 たくさん矛盾抱えて、悪魔の誘いに乗って化けて出るくらいに、だけど。
 どんな言葉より、きっと。
 もう動けないって倒れてたのに、最後の最後に――庇ってくれたこと。

『生き残れよ』

 傍にいたレイヴ様まで、逆凪に巻き込まれないように、道連れになんかしないように。
 とっさに渾身の力、振り絞って。

 助けてくれたんだから。

 気持ち、ちゃんと伝わってるよね? ……ホントにもう、だいじょうぶだよね。


「団長! ご無事ですか?」


 ガサガサと茂みを掻き分けて、騎士団の人たちが駆けてくる。
「――ああ」
 振り返ったレイヴ様は、静かに応えた。
「奴らを率いていた死霊は、滅びた……もう、甦りはしない」
「滅びた? なるほど、それで!」
「どうした?」
「それが、さっきまで暴れていたスカルデーモンやグールが、急に、ぱったり動かなくなって――」
「ただの骸骨、死体に戻ったと考えて良いのでしょうか?」
 口々に報告する部下たちを、安心させるように頷いてみせて。

「帰ろう、ヴォーラスへ」
「はい!」

 アンデッドモンスターの脅威を退けたヴォーラス騎士団は、無事に、首都への帰路についた。


「……ティセナ様」


 任務を終えたレイヴ様たちを見送って、急いで、ナーサディア様を探しに向かいながら。
「リーガルさん、最後に……なんて言おうとしたんでしょう?」
 私は、ずっと同じことを考えていた。
「堕天使のこと、教えてくれようとしてたんですよね? 世界の中止って――」
「 “ちゅうし” じゃないと思うよ。それじゃ、ちょっと意味不明だし」
「うーん……」
 確かに。あらためて考えると、世界って部分もよく分からない。
 どこのこと?
 天界? 魔界? 地上界? 
 だけど利用されていたとはいえ、自我もろくに残ってないようなアンデッドとは、やっぱり別格の存在だったんだろう。
 “ラスエル様” のことといい、ベルフェゴールの特性といい。リーガルさんは、堕天使側の内情をかなり深くまで把握してたんじゃないかと思う。
「ガープの弱点か、もっと違う何かか……今となっては分からないね」

 プレア大聖堂に行って、レミエル様にお願いして、リーガルさんに会えないだろうかって考えたんだけど。
 魔族に使役されてた生物の魂は、例外なく弱って磨り減ってるから。
 核だけなんとか留めても、浄化と生命エネルギー補充の為に、種みたいに、ずーっとずーっと眠らなきゃいけなくて――だから話を聞くなんて不可能だし、転生の環にも、普通の十数倍の時間をかけなきゃ入れないんだって。
 こないだグリフィン様が倒した、ビュシークなんて、核さえボロボロで無になり果てる寸前だったって。

「本物のラスエル様を助けるにも、堕天使ガープの手掛かりを得るためにも……とにかく今は、ベルフェゴールの根城を探さないと」
「ボルサの森を?」
「他の地区を手薄にする訳にもいかないけど、前例どおりの時期に変化があるとは限らないし。ジャックハウンドの嗅覚にも限度はある――冬が終わるまでは交代で、常に誰か、ボルサに待機しといた方が確実ね」



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今ではもうすっかり見慣れてしまったけど、ラスボスの居場所がリメール海のど真ん中って! 「え? 行くの? あの渦巻きの中にどーやって?」 ……と、最初びっくりした記憶があります。